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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
七.信長上洛
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信長上洛ー②:信長の町造り――やって来た明智光秀

兵農分離―見えてきた天下

 新たなる町を造るというのは、それはもう当然ながら多忙を極めることであった。信長も、例に漏れず忙しく立ち回っておった。勢いに乗じて、北伊勢八郡までも手中に収めたのである。


 北伊勢には、工藤・関といった一族が根を張り、後藤、赤堀、楠、稲生、南部など、いわゆる四十八家が分立して互いに争っていた。その混乱の中、南近江の六角義賢(ろっかくよしかた)が関氏との縁戚を頼りに手を伸ばしてきた。


 信長は、六角氏が勢力を増して尾張を突くことのないよう、滝川一益に桑名城を占拠させ、永禄10年の秋から翌11年(1568年)2月にかけて自ら兵を率いて伊勢へ侵攻し、諸家を平定した。こうして四十八家を滝川の配下とし、安濃津城には織田掃部介(おだ かもんのすけ)を総目付として据えたのだった。


 かくして信長は、岐阜の城下町を整備し、家臣や兵を常駐させた。城下に兵を常時待機させることなど、さほど珍しきことではなかったが、これほどの規模で徹底した者は信長が初めてであろう。


 これまでは急襲されれば、百姓が鋤鍬を手に立ち向かうしかなかった。だが信長は、農民は田を耕し、戦は兵が行うと明確に分け隔てた。兵農分離、その端緒ともいえる。


 やがて岐阜の町も、信長の治める地として徐々に城下町らしい賑わいを見せはじめた。

永禄11年(1568年)7月、信長は久方ぶりに私とともに、完成した岐阜城の一角である西鹿(せいろく)の館にいた。 

                                                                                            

「こうしてそちと過ごすのも、久しゅうなったのう」

「そうですね。毎日、お忙しそうで…」


信長と添うて、はや20年近くになる。14で嫁ぎ、いまや34歳。けれども、嫁いだ日のことは昨日のことのように鮮明に覚えておる。


「20年も経てば、美醜などどうでもよくなるな」

「最初は、気にしておられたのですか?」

「いや、そちに関しては最初から気にならなんだ。お前は今も、わしの周囲の女子の中では飛び抜けておる」

「お褒めの言葉と、受け取っておきまする」

「当然、褒めておる。わしの正室となれるのは、この世でお前しかおらぬ」

「さりとて…」

「なんだ?」

「いえ…」


と、私は言葉を飲み込む。


 信長とは、ただの一度も男女の契りを交わしたことがない。否、それどころか、私という女は、生涯において一度たりとも、殿方と睦言を交わしたことがないのである。夜を共にすることはあっても、それは語り合い、静かに眠るだけ。寂しいと感じたことは、不思議と一度もない。信長は私の人生の伴侶であり、もはや他の殿方に惹かれることなども考えられぬ。なのに、枕を共にしたいとも思わぬ。


 周囲は私を石女と見ているようだが、それもさほど気にはならぬ。子を欲したことがないのだ。母性とは誰もが持つものではないのかもしれぬ。子らを見て可愛いと思うことはあれど、それは花や猫を愛でる感覚と大差ない。自ら子を産んで育てることなど、幼き頃より望んだ事がない。


 ただ、この戦国の世に置いて子は大事である。妻となったからには子をなすことも大事な役目、それを果たさぬことに少しは罪悪感も持ってしまうが、夜伽の務めをせずに済むなら、私にはありがたいことでしかない。信長の子を成してくれる側室たちは、むしろ私にとっては救いでもあり、私にはありがたいばかりじゃ。


 もしかして信長は、私のこういう気質を見抜いていたのかもしれぬ。信長にとって、私は「妻」ではあれど「女」ではなく、さりとて「男」のように扱うでもない。言葉にしづらい関係ではあるが、それが心地よいと思っていた。


  * * *


「それはそうと、殿。十兵衛光秀を覚えておいでですか?」

「そなたの従兄か。面識はないが、名は覚えておる」

「光秀を、お抱えいただけませぬか?」


このとき、私は心に咎を抱いていた。かつて明智の一族は、父・道三の側についたために滅びた。それもこれも父に背いた、あの義龍めのせいじゃが。その子孫として残った光秀だけでも、陽の当たる場所へ導いてやりたいという思いがあった。それに、私の母も明智の出。明智の再興は、私にとってひとつの責め、いや、務めのようにも思えていた。


しかし、後々になって思うことがある。このとき私が信長に光秀を薦めていなければ、歴史は変わっていたのではないか、と。


 ただし、信長は人の薦めで軽々しく家臣を迎え入れるような男ではない。私がどれだけ「信頼に足る」と申しても、それだけで心を動かす者ではなかった。


「どのような男だ?」

「なかなか裁量に富む人物かと。殿のお役に立つと、私は思っております。とは申せ、殿のご見識に異を唱えるつもりはございませぬ。ただ、厄介になっていた朝倉家にも、もはや居づらくなっているようですので…」

「ふむ…では、一度会ってみるとしよう」

「ありがとうございます。実は、外に控えております」

「なんと、すでに連れてきておったのか」

「いえ、訪ねて参ったのです。決して、私から呼んだわけではございませぬ」

お読みいただきありがとうございます。

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