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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
七.信長上洛
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信長上洛ー①:岐阜命名と天下布武――信長の野望

因幡錠の天守閣からー羅王の始まり

     七.信長上洛


永禄10年(1567年)初秋、信長は稲葉山城の天守におった。私は父様が愛しておられたこの城に、また戻ってこられたのが嬉しゅうてならなんだ。


「随分と待たせたな」

「待った甲斐がございました。父様も、さぞお喜びかと存じます」

「できればこの景色を、蝮殿と共に眺めたかったのう」

「何よりのお言葉にございます」


嫁いでからというもの、父様にも母様にも、再び会うこと叶わぬまま、ふたりともあの世へ旅立たれてしまった。元より、今生の別れと思うて嫁いだ身ではあるが、それでも、せめて一目だけでもという思いは、なかなか捨てきれぬものよ。なんと言っても、三度も嫁ぐとまたすぐに戻ることになるのではないかという危惧していたくらいじゃ。しかも三度目の嫁入り先は噂に聞くウツケ、此度も早々に戻ることになるであろうと思っておったくらいである。


 しかしながら私が信長のもとに嫁いだのは、15の歳であったゆえ、まだ恵まれていたほうであろう。中には四つ、五つ、いや物心つく前の幼子のうちに嫁に出される者もおるのじゃ。私とて、最初の輿入れは九つのとき。まだまだ親を恋しく思う心など、断ち切れるわけもない年頃であった。


 昨日は、沢彦(たくげん)和尚が城へお越しになり、信長とともに城下を見下ろしておられた。たいそう満足げな様子であった。沢彦和尚は政秀寺(せいしゅうじ)の開山にして、信長にも臆せず物申す、数少ないお方じゃ。


 この天守から見下ろす景色。美濃の平野、尾張の向こうに伊勢の山並みが遠く霞み、誠に壮観である。この景色に沢彦和尚も感嘆されていた。信長は、城も町も大きく作り変えているという話、どうやら居城をこちらへ移すつもりのようである。小牧山城からの移転を家中にも命じておる。まことに、住処を転々とするお方よ。沢彦和尚は、それを聞いて少し驚かれていた。


「生まれ育った地への郷愁は、ござらぬのですか?」


と問われたが、信長は笑って一蹴した。


「故郷など、要らぬ。気に入った場所に住めばよい。それが一番だろう」

「なるほど。言われてみればその通り。住みたいところに住めるというのは、最も人間らしき生き方かもしれませぬな。尤も、それが叶わぬ者のほうが多うございましょうが」

「住む場所も、生き方も自由に選べるのは、相応の力を持つ者だけだ。わしはその力を持つために、これまでできうる力を尽くしてやって来たのじゃ」


信長はそう申して、遠くを見やった。その目の先は、はるか未来を見通しておった。美濃を手中に収めた今、信長の腹は、完全に定まったのだと思う。


「わしは、天下を平らげる」


そう言って城下を睥睨(へいげい)した姿を、私は今も忘れぬ。その折、信長は沢彦和尚に、新たな町と城の名を付けてほしいと頼んだ。


「井ノ口という名は、わしにはあまり相応しくないだろう?」


と笑いながら言う信長に、和尚は少し考え込まれたが、新たな町の名をつける役目に選ばれたのが嬉しかったようなご様子じゃった。


岐山(ぎざん)など、いかがでございましょう。周の文王の故事にちなみまして」

「岐山…うーむ…」


信長は首を捻った。どうにもお気に召さぬようであった。


「では、技陽(ぎよう)というのは? 南泉寺の『仁岫録(じんゆうろく)』に出てまいります」

「…ありきたりじゃな」


信長にそう言われ、和尚も頭を抱えられた。私からすれば、そんなのすぐ色々名前を思いつく和尚も優れていると萌えるが。


「…そういえば、昔、この地を“岐阜の里”と詠んだ歌人がいたとか。(わざ)の地として、いっそ“岐阜”と申すのは、いかがでしょう」

「岐阜…うむ、よい響きじゃ。決まりだ。今よりこの城も町も、“岐阜”といたす」

「お気に召しまして、何よりにございます」


沢彦和尚は安堵の息をつかれた。信長は即座に家臣に命じて町へも触れを出した。


「わしは、これからも武をもって天下を治める。邪魔をする者は討ち果たす」


そう言いながら、信長は沢彦に「天下布武(てんかふぶ)」の朱印を示した。


「これからは、わしの書状にはこの印を押す」


そう言って笑う信長の瞳には、自信と覇気が満ちていた。されど、沢彦和尚の胸には、空恐ろしい風が吹いたと申しておった。信長の背後に、幾万の屍が見えたと。――さもあらん。この乱世において天下人となるとは、どれほどの命を奪い、いかなる血を流すことになるか。考えるだけでも胸が冷える。


 それでも和尚は申しておった。この信長という男は、他に並ぶ者なき稀代の将であると。天が選んだ武将。そう思わせる何かが、確かにあるのだと。しかし、そうやって築かれた天下は何をもたらすのであろう。屍の数だけ恨みも積もって行くのではないか、そんな思いが私の胸の中を通り過ぎた。

お読みいただきありがとうございます。

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