蝮ー④:婿となりて豪商の娘を娶る――その一手は国盗りのために
婿入りの計略 〜法蓮坊という男〜
その時の名を法蓮坊という。
祖父は、なかなかの男前であったそうだ。きりりとした切れ長の目に、通った鼻筋。父は「祖父譲りの顔だ」と私によく言っていたが、何やらぴんとこなかった。祖父は、京都山崎の荏油を一手に扱い、金融業も兼ねていた奈良屋という商家に婿養子に入った。
奈良屋は妙覚寺に出入りする商家であり、その折に僧侶であった祖父とよく話をしていたらしい。その際、祖父が寺の経営状態について的確な意見を述べるのを聞き、「この男には類稀なる商才がある」と奈良屋の主人(のちの庄五郎の舅殿)は見抜いたのだ。実は、祖父はそれも計算の上で奈良屋と話をしていたそうだ。
祖父には、もとより「いつかは国を治める当主となりたい」という野望があった。そのためには財がいる。そこで目をつけたのが奈良屋である。奈良屋には大層美しい一人娘がおって、その娘が寺にいた祖父に一目惚れをしたというのだ。祖父は寺にいた頃より、その娘の熱き視線を感じており、はなから奈良屋を足がかりとすることを目論んでいたのかもしれぬ。父の顔からは想像もつかぬが、祖父はやはり、それなりの美丈夫であったのであろう。ただ、私が生まれた時にはすでにこの世にはおらず、会ったこともないゆえ、実際のところは分からぬ。ただ間違いなく、父の腹黒さはこの祖父から受け継いだものであろう。
しかし、祖父の父、すなわち曾祖父は、あまり良い顔をしなかった。いかに財があるとはいえ、商家に婿入りさせるというのは、武家の家としては容易に受け入れがたい話であった。何といっても、腐っても松浪家は武家である。その自負があったのであろう。ただ、この頃の大商人や大百姓といえば、普通の武士などよりもはるかに社会的権力があり、実質的には財力を持つ者の方が地位も高かった。
しかも、この奈良屋は、山崎八幡宮が特権として持っていた荏油の販売権を委託され、京都市中から近江・美濃路にかけての広大な販売ルートを有していた。【座】と呼ばれる特権商人階級に属する豪商であったのだ。おそらく祖父は、そこに目をつけたのであろう。
商人とはいえ、これほどの財を持つ家からの婿望みは、天から降る黄金にも等しい申し入れであった。ただし、商家の婿となれば、所領を持つ君主にはなれぬ。武士としての立身出世も望めなくなる。曾祖父は熟慮の末、祖父に選ばせることとした。もしかすると、心の底では祖父が武士の道を選ぶことを願っていたのかもしれぬ。しかし、その期待に反し、祖父は二つ返事で頷いた。
「参りますとも。先方から頭を下げて婿と仰せ下されている。しかも、相手は天下の豪商。これほどの好機を逃す手はありませぬ。それに娘子の顔もよく存じております。あれは大層麗しき女子でございました。嫁としても申し分ありませぬ」
満足げに頷く祖父を見て、曾祖父は少し呆れたという。自らの将来を、目先の利益と女の色香に惑わされ決めた男。見た目は知的で寺でも評判が良かったゆえ期待したが、この程度の考えでは武士としての将来も大したものにはならぬであろう。それならば、いっそ豪商の婿となった方が良いかもしれぬと、曾祖父は思ったようであった。
「そちがそう申すならば、わしに異存はない。この話、受けるとしよう」
「はい。何卒、よろしくお願い申し上げます」
祖父は恭しく頭を下げた。
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