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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
六.美濃攻略
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美濃攻略ー③:市姫の嫁入り――夫婦の絆

初々しき花嫁ー武家の娘の覚悟

 美濃は3年前、義龍急死ののち、その子・斎藤竜興(たつおき)が後を継いだが、勢力は思いのほか衰えておらぬ。ゆえに、まずは周辺を固めねばならぬと信長は考えた。竜興の背後に控える大名たちと手を結び、間接的に包囲してゆく策である。浅井家もその一つ。その為に妹である市姫との婚姻を進めたのだ。


 浅井長政は北近江四郡十二万石を領し、小谷山に大きな城を構える浅井家の当主。その力を味方につければ、信長の戦略にとっても大きな助けとなる。当時、長政19歳、市姫は17歳。すっかり美しき姫御に成長し、誰もが見惚れるほどのたおやかさであった。聡明で、武にも心得があり、私の話し相手にもなってくれた優しき姫であった。私にとっては本当に妹のようであった。だからその嫁入りには、少なからず寂しさも覚えた。


嫁ぐ前の夜、市姫と私は庭を眺めながらゆっくり話をした。


義姉上(あねうえ)様、私も自分の役目を果たしに参りますね。どうかいつまでもお健やかに――」


その表情には、揺るぎのなき覚悟があった。幼き頃より聡き娘であった。


「近江には海のごとく広き湖があるそうです。とても綺麗なところだとか。いつか機会があれば、どうか案内して下さいまし」

「はい、その日が訪れますことを楽しみにしておりまする」

「長政公は慈悲深き良き御領主と伺っております。きっと市殿を大切にしてくださることでしょう」


私の言葉に、市姫は静かに、優しい笑みを浮かべてと頷いた。


「兄上様よりずっと穏やかなお方と聞いておりますゆえ、何も心配しておりませぬ。私もようやく兄上様のお役に立てること、それが嬉しゅうございます」


 その目の奥には、まるで戦に赴く戦士のような凛々しさが宿っておった。私たちの嫁入りは、政の駒。己の意志など知ったことかと、親兄弟も、当の本人さえもそう思っている。そういう世の理であった。政略に他ならない婚姻は、間者としての役目を背負うこともあれば、家を捨てる覚悟をも強いられる。


 いつ嫁ぎ先と生家が敵味方となるやも知れぬ乱世において、嫁入りとは、家族とは今生の別れであり、それが親子であっても例外ではないということは幼き頃より子超えておる。


 けれどもな、間者のつもり嫁いでも人の心とは不思議なもので。例え政略であろうとも、夫婦となれば情も湧く。ましてや、夫が誠の人ならば、妻もまた心を寄せてしまうというもの。情に引かれ、理を忘れ、定めに逆らうこともある。


 それが、人というものよ。人質としての嫁入りであっても、生家が敵となろうとも、ひとたび夫の側に立つと決めたなら、生家に弓を引くことあり得る――武家の娘は皆、そう叩きこまれて育つのだ。


 そうしてその年、8月の半ば――まだ夏の暑さが尾を引く頃、市姫の花嫁行列は、美濃の斎藤を避け、北伊勢から南近江を通り、小谷城へと向こうた。


市姫が麓まで到着すると迎えに出ていた長政の家臣や女中たちは、輿から降りたその姿に、目を奪われたという。香のように気高く、美しき花のようなたおやかさ。この世にこれほどに美しい姫御前がおられるのかと目を見張ったそうな。


 浅井の館は高台にあって、そこからは歩いて上らねばならなかったが、市姫は一歩ずつ、夫の待つ城へと足を進めた。途中で見た近江の景色は、見事なものじゃったそうだが、こんな高い所にある城とはどのようなものなのか、どんな暮らしが待っているのかと、不安も覚えたとか。


 祝言は盛大に行われたと聞く。長政は終始、市姫の隣に鎮座しておったが、市姫は白い綿帽子に遮られて、その顔をまともに見ることができなかったとな。いや、それ以上に、見上げるのが恥ずかしくて、顔を上げることもできなかったようである。美しい姫のそのような姿はさぞ初々しく皆の目には映ったであろうよ。


 お色直しの席にて、ちらりと夫の顔を見たその刹那、市姫の胸はどくん、と鳴ったという。それは初めて味わう感覚であったそうな。その長政はただ市姫をじっと見つめておったとか。市姫は自分の視線をどうすれば良いか分からず、頬を染めた。長政もまた、市の美しさに魅入られ、顔を赤らめていたのだと。それを見た周囲の者たちは、口々に「なんと似合いの夫婦(めおと)よ」と囃したてていたそうだ。

 実際、二人はまことに仲睦まじく、見る者が皆、羨ましく思うほどの夫婦となったのじゃ。


 この婚姻によって、織田と浅井の結びつきは強まり、信長の思惑どおり、浅井家は斎藤家とは疎遠になってゆく。市姫はその役目を見事に果たしたと言えよう。


 市姫からは、度々(ふみ)が届いた。嫁いで間もなくの頃の手紙には、婚礼の様子も詳しくしたためられておった。そして日を追うごとに、長政の事を慕っている市姫の様子がその文面から伺えた。

お読みいただきありがとうございます。

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