美濃攻略ー②:兄弟のように見えた二人――清洲同盟成立
信長の歩みー美濃に向けて
「すまんの……間に合わなんだ。されど、かように早く世を去ったのは、天罰かも知れぬぞ。あるいは、蝮殿に呼ばれたのかもな」
「父様に……うん、きっとそうでしょうとも。もしかすると今頃、地獄で父様に追い回されておるやも知れませぬのう」
「確かに」
想像すれば、思わず笑いが漏れた。地に落ち、何度でも、何度でも父にその首を撥ねられればよい、と心の底から思ったものだ。父だって、天国などにいるはずがない。きっと、地獄の底におることじゃろうから。
戦国の世において、殺生はつきもの。中には、罪なき者も含まれておる。誰しも誰かの恨みを買っておるのが、武将というもの。そんな者たちが、清らかな天の国など行けるはずもあるまい。その身が滅んでもまた殺し合いの中にいるのかと思うと切ないものじゃが。
その翌年、永禄5年(1562年)正月11日、信長は清洲城にて元康を迎えた。21歳の元康は、植村新六郎、石川和正、鳥居元忠、大久保忠世ら百余名の譜代衆を従えての来訪であった。こちらがその気になれば、あの人数など容易く討てる。
しかしながら、信長がそうは出ぬと、元康もよく承知していたのだろう。ここで信長が元康を討てば、美濃攻めが頓挫する。信長が次に狙うは美濃――信長の腹積もりを、元康早う分かっておるようであった。勿論、信長も元康の思惑など寿十承知のうえでこの会見を行ったのである。会見は清洲城の大広間にて行われた。
「元康殿、久しゅうござるな」
信長は満面の笑みを浮かべ、元康と向き合う。元康は床に手を突いて丁重に応じた。
「まったくもって、お懐かしゅうございます」
信長はしげしげと元康を見つめる。幼少の折は痩せ細った子供であったと信長から聞いておったが、今見る限りではその面影は見事に消え失せ、まるまると肥えている。何を食して育ったのか、今川での人質生活と聞いていたが、それなりに良い暮らしであったようだ。それともこの者の神経が図太いのか。それとも長い人質生活で、食べる事だけが唯一の楽しみであったのか。確か10歳の頃に、5歳ほど年上の今川氏の重臣・関口親永の娘子と婚姻関係を結んだという話だ。
「随分と福々しき若大将になられたものよな。これでは知らされずに道ですれ違えば、見過ごしてしまうやもしれぬ」
信長の言葉に、元康はにっこりと笑う。
「旨きものを食すのが好きでして、家臣に叱られることもござりまする」
そう言いながら、ちらりと和正の方を見やる。和正は、少々ばつの悪そうな顔をしておった。
「しかし、その出で立ちであれば、人を欺くにも都合がよいな」
「はて、何のことでございましょう?」
元康はとぼけた顔で首を傾げる。太った者は温厚に見える――世の常である。もし、それをも考えて、外見を作っておったとしたら食えぬ男よ。人質はバカに見えた方が生きやすい、それをよう分かっておるのであろう。奥方の築山殿は、結構きついお方であると評判だが、さて、実際にところ手綱を引いているのはどっちなのか。きっと信長も同じようなことを思いながら元康を見ておるのであろう。
「いや、何でもない。だが、そのくらいの抜け目なさは、今の世には必要なことよ」
「この度は、立場上いささか申し訳なき振る舞いも致しましたが、今後は我が身を挺して、御力添え叶えばと存じまする」
それはきっと信長が占領していた城を幾つか落としたことを言っておるのであろうが、そう言いながら笑う元康の顔は穏やかで、育ちの良さがにじみ出ていた。生まれの良さというものは、隠そうとしても隠せぬものなのだろう。
がつがつしたところのないその物腰も、信長の側近には見られぬタイプであった。この時の元康は信長に対し、畏れと同時に兄のような親しみも抱いていたように見える。そして信長には、逆らわぬのが利口だ――そう思っていた節もある。かくして、両者は誓いの義を交わし、世に言う清州同盟が結ばれ。酒宴も和やかに執り行われた。
あの場にいた私の目には、信長と元康は兄弟のように映った。もしかしたら信長も、実の弟たちとこんなふうに酒を酌み交わしたかった、などと思ったのかも知れぬ。
元康はその2年後、家康と名を改め、さらに2年後の永禄9年(1566年)には徳川姓を称するようになる。そしてこの信長と家康の盟約は、終生、破られることはなかった。信長は家康という人間を、心から気に入っていた――私はそう感じている。とはいえ、信長がもっとずっと長く生きていたら、これもどうなっていたか分からぬが。
永禄七年(1564年)8月、信長の妹・市姫の輿入れが決まった。お相手は北近江の大名、浅井長政。噂に聞くところでは、文武両道、加えて眉目秀麗とか。私の時は“大うつけ”などと噂されておった男に嫁がされたというのに前評判のずいぶんと違うことよ。
信長は永禄2年(1559年)には織田信賢の居城・岩倉城を落とし、勝利を収めていた。さらにこの年、犬山城も手中に収め、織田信清や波多野銀らを追放して尾張の統一を果たした。そして、当然ながら美濃を狙っていた。否、あの地は、是が非でも手に入れたい土地。私の父の仇を討つ――という名目もあったが、それ以上に、美濃を掌中にすれば、近隣に信長と並ぶ者はおらぬ。その意味でも、重要な場所であったのである。
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