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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
六.美濃攻略
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美濃攻略―①:家康(元康)の決断――信長との同盟に至る道

家康の野心ー義龍の首

 桶狭間の戦いで、信長への世間の見る目ががらりと変わった。領民も、近隣の大名らも、信長に一目置くようになったのじゃ。実のところ、勝ち名乗りをあげた織田勢でさえ、皆、驚いておったのだ。無理もない。あれは、誰もが討ち死に覚悟で挑んだ戦であったからな。それが、まさか勝って生きて帰れるとは、誰も予想だにしておらなんだ。


 そして、これまで勢力を伸ばし続けておった今川義元の嫡男・氏真(うじさね)には、誰ひとりとして期待など寄せなんだ。本来ならば、父の仇を討たんがため、すぐにでも兵を集め、信長を討つ策を練るべきところなれど、氏真にそうした気骨はなかった。


 氏真は、今川家の京風雅やかな文化の中でぬくぬくと育ち、すっかり「公家かぶれ」の坊ちゃんに成り果てておった。戦国の世に生きる武将の器など、まるでない。父が討たれたというのに、仇討ちどころか戦の気配すら見せず、遊楽三昧、日々優雅に暮らしておった。


 まあ、私が思うに、戦に興味がないというより、信長を内心恐れておったのであろう。誰よりも怖いと思っていた父・義元を討った男。そんな男に立ち向かって勝てるのか……向かっていけば父と同じように首を撥ねられてしまうのではないか、などと考えていたのではないかと、私には思われる。


 そのような体たらくゆえ、義元の代からの家臣たちも、次第に氏真のもとを離れてゆくこととなる。

三河の岡崎を治める松平広忠の長男・元康もまた、その一人であった。信長より八つ年下の元康は、当時十九歳。父・広忠が死んだ折に、三河は義元に取り込まれ、人質として駿府に送られた。だが、元康は義元のもとで屈辱を噛みしめながらも、いずれ三河を取り戻すという思いを胸に秘めておったのであろう。


 義元の上洛にも従い、先鋒を務めたが、桶狭間で義元が討たれたことは、元康にとって何よりの好機であったに違いない。氏真など、口ばかりで統率力もなく、家臣として従うに足る男ではない。元より、今川に仕える気などさらさらなかったのだから、ここで義を捨てたところで、己の信念に反するものではなかったのであろう。


 岡崎城にいた今川の武将たちもあっさりと引き上げ、城は元康の手に戻った。これを機に、元康は正式に岡崎城主の地位を得ようと動き出した。名目は義元の追悼合戦。織田に占領されていた誉母(ころも)、梅ヶ坪、伊保、広瀬といった城を奪い返し、自らの支配下に置いたのである。


 ここまでされては、氏真も承服せざるを得ず、渋々ながら岡崎城主の件を認めた。義元であったならば、こう簡単には承諾しなかったであろう。あれは、何かと因縁をつけるのが得意であったゆえ。そしてこのことでさらに、氏真は大した男ではない。恐るるに足らぬ――と、元康はそこで確信を得たのであろうな。


 元康も、よう人を見ておるわ。とは言っても、元康にはほんに優れた家臣がおったから、忠臣たちの意見を聞いていたのかも知れぬ。臆病なところのある元康は用心深い。その性格ゆえ、家臣の申す事にもよく耳を貸したのであろう。そこが、信長との大きな差であったやも知れぬ……。


 とはいえ、三河という土地は、織田と今川に挟まれた微妙な位置。下手に旗を掲げれば、どちらかに潰されるのは目に見えている。今はまだ、時を待つほかない。ならば、どちらかに従うしかない。頼りない氏真につくくらいならばと、元康は信長との同盟を選んだのだ。


 元康の家臣らも、今川家に散々苦しめられてきた身、信長につくことに大賛成であった。そこで元康は、三河刈谷の城主・水野忠元を介して信長に使者を送り、和睦を申し入れてきたのである。まあ、いろんな意味で信長にとっては追い風が吹いていたのじゃな。


「元康の奴……」


信長は使者の報告を聞いて、思わず笑っておった。


「どうなさいました?」

「元康が、同盟を求めてきおった」

「まあ、でもよろしいのでは? 今は手を組んだ方が得策にございましょう」

「きゃつめ、我が占領しておった四つの城を奪っておきながら、ようもまあ、いけしゃあしゃあと同盟などと申せたものよ。まったく、食えぬ奴じゃ」

「では、お断りなさるのですか?」

「いや、それはせぬ。そちの申すとおり、今ここで元康と手を組めば、東の今川や武田が攻めてくる心配も減ろう。そうなれば、美濃攻めに専念できる。お舅殿の仇を討つためにもな」

「殿……」


信長のその言葉が、どれほど嬉しかったことか。ちゃんと、私の心を汲んでくれておる……。弟たちを騙し討ちし、父様の首を撥ねた義龍の首をいつかは――という私の想いを。しかしついに、信長は義龍を討つことは叶わなんだ。


 斎藤義龍は、桶狭間の合戦の翌年、永禄四年(1561年)に病にてあっけなく死んでしまったのだ。その報せを聞いたときは、ただただ悔しかった。


(畳の上で、おめおめと死なせるとは……返す返すも、口惜しきこと……!)


私は歯ぎしりして、悔しさを噛み殺したものよ。

お読みいただきありがとうございます。

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