桶狭間の戦い―⑥: 天が味方した日 ――信長が掴んだ勝機
油断の酒宴ー死を招く舞
午前八つ刻――信長は熱田神宮へと到着なされた。神前にて戦勝を祈願したそうな。その頃には、軍の半数以上がすでに集結しており、遠くからは野武士や百姓どもの軍勢が動き始める音が、耳にも届いていたという。鐘や太鼓の音が心地よく響き、さぞや信長の気勢も高まったであろう。
敵方は、信長の兵らの多くが未だ清洲城の砦に控えておると思うておるはず。二つの砦を攻め込まれ、籠城するはずの清洲から信長が慌てて出陣したと思わせることこそ、狙いの一つであった。実際、義元がそのように受け取るよう、ことを運んでおったのじゃ。頃合いに、鷲津砦が落ちたらしき黒煙も上がっておったと聞く。やがて信長が山崎の辺りに至ると、丸根砦も破れ、守将・佐久間盛重が討死との報が届いた。
砦が次々に陥ちるのは、初めから覚悟の上。守りにつけし者らは犠牲とするほかない。何とか生き延びられるなら、それはその者の運でしかない。そこへ引き返し救援を試みるわけにもいかない。それでは全ての策が水泡と帰す。痛ましく思う気持ちはあれど、非情なる選択を強いられるのも戦の道理である。
初めから落ちるのが分かっているからと言って、砦にただ野武士や百姓ばかりを置いては策が見え透いてしまう。其れなりの守将を置かねば、攻めて来たものが危ぶんでしまう。特にあの元康は、疑い深い性格だと聞き及んでいた。胸を切り裂かれる思いであっても、全ての者を守ることは叶わぬのじゃ。
山崎を越えた頃には、丹下砦もまた陥ち、全員討死の報せが届く。それでも後戻りをするわけにはいかぬ。ここが正念場である。否、それら命の犠牲を無にせぬためにも、なお進まねばならぬ。今川方が、信長が未だ清洲城にて右往左往しておると思うておるうちに、義元の目を欺きつつ距離を稼がねば、全てが徒労と終わる。それではむざむざ死んだ者の魂を浮かばれぬことであろう。
かくして信長は進み続け、善照寺の西北に着いて、ようやく軍に休息を与えた。約4時間余り、全力で駆け抜けてきた軍も馬も、すでに疲労困憊。おまけに中島砦付近に至りし頃には、突如、夕立ちのごとき豪雨が降り注い出来てしまったのだ。
――されど、この雨こそが、勝利の兆し。
信長が天を仰ぎ、これを天運と捉えたであろうことは、想像に難くない。
その頃、義元は次々に織田の砦が陥ちゆくことに気をよくし、加えてこの豪雨となれば、信長も群を進めようもあるまい、と高を括っておった。義元はなんとこの大雨の中、酒宴を催していたという。しかも、軍を分散させていたため、義元本陣を守る兵はさほど多くなく、信長が引き連れた兵と大差なき規模にとなっていたのだ。
田楽狭間(のちの桶狭間)に至った信長のもとへ、義元が浮かれ調子で舞を舞っているとの情報がいた。見くびりおって、と腹もたてたが、豪雨の中に信長が来るはずもない――と、油断しきっておる証にてあった。思惑通りと信長は舌鼓を打ったことであろう。その様子を聞いた信長は食していた握り飯を一気にかきこみ、こう叫ばれた。
「太子ガ根山へ登るぞ!」
太子ヶ根は、田楽狭間を見下ろす絶好の位置にある。前も見えぬほどの豪雨の中、信長は天を仰いだそうな。これぞ天がくれた恵みの雨。お陰でこのまま敵陣に近づいても、こちらの軍の姿も音も敵に悟らせずにすむ。まさに千載一遇の好機と申せましょう。この話を後に聞いた折、私もその豪雨の中を共に駆けたかったものと、心の底より思うた。
「天が我に味方しておる、この戦、我らが勝つぞ!」
信長の檄に、兵の士気は大いに上がった。雨に隠れ、山に登った兵らは分散して隠れ、敵の様子を窺う。静かに時を待っていると、雨音の合間に、小鼓の音が聞こえてきたという。情報通り、義元は幕舎にて舞い浮かれておったそうだ。「舐められたものだ」と信長は舌打ちしたとか。それどこれこそが、信長の狙い通り。敵はまったく防備を施しておらぬばかりか、その首は目前。信長公は物頭らを集めて命を下した。
「勝機、いままさに我らの手中にあり。落ち着いてことに当たれ。ただし、この雨では鉄砲の火縄は使えぬ。刀で討て。わしの号令を合図に、山を下って突入いたせ!」
雨はいよいよ強さを増していたが、それはすなわち、こちらの動きがなおさらに隠されることを意味しておった。敵は信長本陣が未だ清洲にあると思い込んでおり、まさかこのような目前にまで迫っているとは夢にも思うまい。戦の用意を怠って宴に花を咲かせている者達と、今まさに攻めかからんとする織田の兵、すでに気迫だけでも勝っている。もはや勝敗は明白と信長も確信したであろう。
弓隊は本来、白兵戦には不向きながら、今回は近距離でも扱えるよう、短弓を持たせたという。かくして機は熟し、信長は采配を振り上げた。それを合図に怒涛のごとく、二千の兵が山を下り、義元本陣へとなだれ込む。
虚を突かれた義元は、慌てふためきながら旗本三百騎に守られて騎馬にて脱出を試みた。この時、鎧すら身につけていなかったようだ。しかし勢いのついた織田の追撃により次第に兵を失い、ついに馬周りも突き崩されてしまう。義元はようやく太刀を抜いて奮戦するも、元より実践数の少ないお方。さぞや青くなっておられたであろう。ついには服部小平太、毛利新助らに討ち取られ、その首は信長の手に渡った。
今川方の名だたる将も、この戦にて多く命を落とした。
――この桶狭間の勝利は、あっという間に巷を駆け巡った。他の諸将もまた、この大勝利に驚きを隠せなかったのじゃ。実際、当の織田方でさえ、驚いておった様子。詳しい戦法を聞かされてなかった者はみな、死を覚悟して挑んだ戦いであっただろう。
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