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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
五.桶狭間の戦い

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桶狭間の戦いー③:ふてぶてしい策士――木下藤吉郎

策謀と勝利への確信

「猿、そちに内密の話がある」


信長の言葉に、藤吉郎は大層驚いた顔をしたが、その目が一瞬、光ったのを信長は見逃してはいない。


「おぬし、わしに力を貸せるか?」

「お話し次第にございます」


なんとまあ、ふてぶてしい。

 主君に力を貸せと申されて、断れる家臣などこの時代におろうはずもない。だが、そんな藤吉郎を信長は面白がっておる。食えぬ男よと、そう思うているのだろう。


 それに藤吉郎も、どのように応えれば信長の興味を引けるか、よう心得ておる。

信長は、自ら考えた義元攻略の策を語り始める。それを聞く藤吉郎の顔には、次第に熱が宿り、目が輝き始めた。


(ああ、乗ったな)


そう感じた。おそらく信長もまた、同じことを察したのであろう。口の端がふっと持ち上がっておった。

しかし、藤吉郎は、さも「とんでもないことを仰せつかった」といった風に鷹揚に腕を組む。

まこと、殿の御前で腕組みなど、ようやるわ。このような地度を取れるのはきっとこやつだけであろう。周りから見れば、「少しは立場をわきまえよ」と言いたくなるところだが、この遠慮のなさこそが信長の気に入っておるところなのだろう。誰も口を挟めぬ空気が、そこにはあった。


「それは、実に面白き策にございます」

「これに乗らずして何としましょう。ちょうど良き男を、私目は存じておりまする」

「ほう?」

「野武士の頭に蜂須賀小六(はちすかころく)という者がおりましてな。手下を500ばかり抱えております。小六を動かせば、2000や3000の野武士を集めることなど造作もなきこと。それに、元気のあり余った百姓どもも、そこそこにおりまする」

「では、その手筈を整えてくれ」

「かしこまりました」

「猿は、本当に顔が広いのう」

「私は足軽の子でございます。家は貧しく、親は畑を耕し、私も食うためには何でもいたしましたから。自然と顔も広うなります」

「そうか……羨ましいのう」

「は?」

「いや、何でもない」

「殿が私などを羨まれるとは、妙な話ですな」


そんな2人のやりとりを、私は少し離れたところから眺めていた。信長の気持ちが、私には痛いほど分かる。自由気ままに生きられたら、どれほど面白かろう。私も何度、そう願ったことか。けれど、そういった生き方にもまた、別の悩みがあるのであろう。


上に立ち、人を動かすことを「自由」と呼ぶ者もおるかもしれぬが、それがどれほど 重い責め苦か、わかる者は少ない。かといって、何にも縛られぬ庶民の暮らしも、財がなければ日々の生存に追われるばかりで、「自由に楽しむ」など夢のまた夢。これは結局、ない物ねだりなのだ。人は、手に入らぬものを欲する生き物。


 ならば、与えられた場所で、いかに豊かに生きられるか――そのために、何ができるかを考えるしかあるまい。そう思えば、私は実に恵まれておる。今の人生も、なかなかに面白い。何と言うても、信長のような男と巡り会えたのだから。


「人を集めるに銭が要るならば、いくらでも申し出よ。織田の台所が干からびても構わぬ。負ければ、どうせ全部失う」

「承知。私目も、この合戦の後、殿と旨い酒を酌み交わしとうございます」

「必ず勝ってみせようぞ」

「はっ!」


藤吉郎が深く頭を下げる様子を見て、信長は、

(この男を敵に回してはならぬ)

そう思うたのではなかろうか――私には、そう見えた。


 藤吉郎が去った後、信長は侍女たちを集め、酒宴を催した。随分と上機嫌ではあるが、今川が今にも攻めてくるというこの時節に酒宴とは……と、重臣たちは苦虫を噛み潰しておった。だが、信長には確信があったのだ。藤吉郎が、必ずや己の願いを成してくれると。


 それがまた、重臣たちには面白くない。田舎の山猿に過ぎぬ男を、信長が信用しているのが我慢ならぬのだ。まあ、男の見栄と言うか、嫉妬とでもいうのか。いつの時代も、出世の上手い輩をよく思わぬ者はいるものである。


「殿は、ずいぶんと藤吉郎を買うておられるのですね」

「胡蝶も、あ奴をただの山猿と思っておるか?」

「山猿には違いありませぬが、よく回る頭を持った猿です。あれは、怖い男。味方にしておくのが何よりかと」


私がそう申すと、信長は一瞬、目を丸くして私を見つめ、それから満足げにうなずいた。


「そちもな、胡蝶」

「はい?」

「お前も敵にはしたくない女子じゃ」

「戯れ言を……私はあなた様の妻でございますよ」


そう応えると、信長は何やら含みのある笑みを浮かべた。まあ、この時代、妻だからとて寝首を掻かれぬ保証はない。現に、私も嫁ぐ前にはその覚悟であった。一生ウツケの妻などやっておられぬ、尼寺にでも入った方がまだマシ――そう思っていたくらいだ。


 なれど、まさかこのような奇想天外なウツケと共に生きることになろうとは。人生とは、まことに予測のつかぬものである。これは、父様が私に与えてくださった、最大の贈り物と言えよう。


……それにしても、その父様の首を落とした義龍。あやつは今頃、どうしておるのであろう。父様を討ち果たして、その首まで晒し、笑うておるのかと思うと、誠腹立たしい。とは言っても、信長もすぐにうち討ち果たしたき思いがあるではあろうが、今はそれどころではなかろう。この身がもっと身軽であったならば――義龍に、一刺しでも浴びせに行きたいものをという思いが、今も心に燻っておる。

お読みいただきありがとうございます。

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