蝮ー③:この刀は父を刺すやもしれぬ――義龍の器量と我が血のゆくえ
乱世の器
「なれどお父様、私の夫の方がお父様より優れたる男でしたら、この刀がお父様を刺すことになるやもしれませぬぞ。その時はお覚悟をなさって下さいまし」
私の返答に父は愉快そうに笑った。
「面白い。それも戦乱の世の常じゃ、心得ておこう。まあ、義龍に打たれるよりはお前の方が良いかもしれんな…」
父はそう言って遠くを見やった。
「まさか、兄様がそのようなこと……」
父はこの時何か予感があったのか。もしやあの噂は本当なのではないか、という思いが私の中に走る。長兄・義龍は土岐頼芸の種によりできた子だと、巷では囁かれておる。元々頼芸公の愛妾であったため、父のもとに来たときに既にお腹に兄がいたとしてもおかしくない。でも父はその義龍に早々に当主の座を引き渡した。もっともこれは反・道三派を抑えるための策とも言われているが、父はそのくだらない噂を払拭するために義龍に家督を譲ったのではないか、という気がしなくもない。とは言っても、実のところ政務の肝心なところを握っているのは変わらず父であるのだが。
「義龍は紛れもない、わしの倅じゃ」
父は以前、そう言っていた。父がそう言うなら間違いないとは思う。だが、本当にそう思っていたのか、そう思いたかっただけなのかは定かではない。それともどうでも良かったのかもしれない、なんて思う事もある。誰の種であろうと、自分のもとで産まれなら我の子とまっとうに受け入れていたのかもと思える。父にはそういう剛毅な一面もあった。
「だがあいつには人の上に立つ才はない」
「さようにございますか?」
「文武に長けておるし、人を惹く裁量も無きにしも非ず」
「ならば……」
「だが短慮なのだ。頭に血が上ると他が目に入らなくなる。人の戯言に流され易いところがある。行動をなすときにはよくよく考えねばならぬ。敵であろうが味方であろうが、自分にとって得か損か見極める才がな。器の足りぬ者が上に立っても世は乱れるばかりだ」
父は目を細めて息を吐く。私は
(あなたもなかなかに世を乱していますけどね)
と言いたくなったが口には出さなかった。
「お前が男であったら、と思う事は多々あるが、それはそれでまた火種になったであろう。もしやもすると、わしがお前の首を撥ねることになったかもしれんしな」
「私が男であったなら、むざむざと討たれはしませぬ。返り討ちにしてくれましょうぞ」
「ファーハッハッハッ。やはり女にしておくには惜しい娘よ」
父は若い頃に油売りをしていたという通説が後世に伝えられているがこれは誤りである。油売りをしていたのは父ではなく、祖父の松浪庄五郎である。祖父は元々武士の家の出であった。
京都御所警備の武士の血筋で松波左近将監基宗というのが祖父の元々の名前。父はその庶子で明応3年(1494年)3月、山城国乙訓郡で産まれ幼名を峯丸と言った。
祖父・基宗は12歳のとき、出家して京都の日蓮宗・妙覚寺に入った。
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