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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
四.義龍・謀反
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義龍・謀反―⑤:無念の撤退――道三、討たれる

義龍の兵は、軽く10000を超えると聞き及んでいる。父様の兵は、それに対して3000ばかり……今となっては、それよりもさらに減っていることであろう。信長が3000余の兵を率いて駆けつけたとて、その数は義龍の軍勢には到底及ばぬ。


 父を救いたき思いは胸を締め付けるほどに強くあれど、信長の身に何かあらば、それこそ後悔してもしきれぬ。助けに行ってほしき心と、引き留めたき心と、ふたつの想いがせめぎ合い、我が胸の内で渦を巻いておった。――まあ、信長が「行く」と決めたとなれば、私が何を言ったところで止まる御仁でもなかろうが。それに私の心のうちに葛藤はあれど、止めるつもりもない。


 信長は、最短路たる木曽川の支流・足近川を一気に渡り、長良川沿いに軍を進めた。それ程遠からぬその先の戦場からは、法螺貝や陣鐘、火縄銃の音が風に乗りて、低く大きく信長の耳にも響いて参った。信長も気が気ではなかったであろう。父様がこの刻にも窮地に追い込まれておるのではないか、早う行かねばならぬと、気ばかりが逸ったと聞く。斯様な場合ではあるが、信長が心の底から我が父様を救いたいと思うてくれた事が私には嬉しい事で合った。


 されど、途中の狐穴、不破一色という地にて、義龍方の将・牧村主水助(まきむらもんどのすけ)、林半平太らが3000の兵を率いて、信長を待ち受けておった。兵数こそ互角ではあるが、義龍軍は信長の進軍を予見し、守りを固めて待ち構えていたゆえ、容易には崩れぬ。ここを力攻めにすれば、多くの兵を失いかねない。


 たとえ父様のもとへ辿り着けたとしても、助けとなる兵力を失っては元も子もない。それでなくても足りない数を減らすわけにもいかぬ。如何にして損耗少なく突破すべきか……信長は知略を巡らせたが、なかなか良い突破口は見いだせず。早く行かねばと言う気が逸って、余計に良策が思いつかなかったのであろう。


 そうしておるうちに、戦場より響く音が次第に小さく、低くなっていった。――音が低くなる、すなわち戦が終盤を迎えつつある証。これはもしや、と案じていたところに、戦の様子を探らせていた諜者が戻り、悲しき報を伝えた。


「道三公、討ち死にされました」と――。


「それは、まことか……!」


父様は、義龍方の猛将・林主水(林通政)に一太刀浴び、さらに駆けつけた長井忠左衛門の手により斬られ、遂には首を撥ねられてしまったとのこと。その首は、既に井ノ口町・長良川の辺りに晒されておるとも。


「なんとしたことよ……」


信長は、「必ず連れて帰る」と私に約束した。されどその約を果たすこと能わず、深き痛恨の念に唸ったと申していた。また、あれほど兵法に通じた父様が、かくも呆気なく討たれるとは――と。それもショックであったそうな。このとき父様は六十三歳。時代が移り、兵法もまた変わる。道三ほどの人物とて、その戦法が古きものとなっていたのかと、信長は深く痛感したという。


 すでに首を落とされたとあらば、今さら駆けつけても仕方がない。数に劣る中、なお突き進めば、無為に兵を失うだけで利は何ひとつない。進むのは、父様の首を守るためであったのだ。されど、その首がすでに胴体と離れた今となっては、進軍の意味ももはや薄い。


 信長は、ただちに軍に引き上げの命を下し、己は最後の舟で川を渡った。当然、敵軍はこれを追うてきたが、こういう時の為に伏せておいた鉄砲隊が一斉に火を吹き、追手の足を阻んだ。その為、追撃はそれ以上続かなかった。向こうも、深追いして無益に命を失うことを避けたのであろう。


 父様の首は三日ほど晒されたと聞く。だがこれを見かねた父様の元家臣が、密かにその首を持ち帰り、長良の河野に葬り、ねんごろに弔ったとのこと。その者は父様の首を討つのに加担した者の1人でもあったと聞くが、武将としての父様に畏敬の念も抱いていたのであろう。


 この件は義龍の耳にも入ったが、何も申さなかったという。自ら討った者なれど、かつて父と信じておった男。その首を長く晒しておくには、心のどこかに痛みもあったのかもしれぬ。もしやもすると義龍自身がその首を埋葬するよう命じたのかも知れぬが、例えそうであっても、私は義龍を許す気には全くならぬ。


 清州城に戻って来た信長は、肩を落として私に言うた。


「すまぬ、間に合わなんだ……」


これも戦国の宿命。それを恨む気は毛頭ない。致し方のなきことよ。すぐにも父様の仇を討って欲しい思いはあれど、今はその時ではない。信長の全兵力をもってしても、今この時に美濃へ攻め入る力はなかったのである。それは信長も自覚しておったし、私とて承知しておる。


「舅殿は、わしに美濃を譲ると(したた)められた。あの会見の日より、蝮殿がそう思われていたこと、わしは感じ取っておった。機が熟したならば必ずや義龍を討ち、美濃を我が手中に収める。その時まで、しばし待て。美濃を取った暁には、そちを必ず舅殿の墓参に連れてゆく」

「お待ち申し上げております」


――道三という人物がいたからこそ、信長は天下統一への礎を築けたと、そう申しても、決して過言ではない。信長にとって、父様はそういう存在であったのじゃ。いつか私も父様と信長が酒を酌み交わす席に一緒におりたいものよ、と願っていたのであるが……。

お読みいただきありがとうございます。

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