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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
四.義龍・謀反
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義龍・謀反ー④:道三と義龍――親子相克の果てに

信長に託された最期の願い

 それでも光秀は、何とか和議の目途は立たぬものかと、崇福寺の住職・快川紹喜(かいせんしょうき)のもとへ出向き、相談いたした。その後、父様と兄様の間を三度も往復し、和議の話を持ちかけたが、双方の言い分はまるで食い違い、話をまとめることは叶わなんだ。さぞ、ご苦労なことにてあったであろう。


 二人の狭間に立ち、日々苦悩する光秀の姿を見た義龍兄様は、彼を先人には立てず、勘定方にとどめた。父様と直接刃を交えぬように配慮したのである。義龍兄様は、父様の件を除けば、人の心の機微も推し量れる御方であった。かような所、本来の兄様らしきお姿が確かにあった。それほどの心をお持ちでありながら、弟たちにあのような非道な仕打ちをなされたとは、人の心とは本当に計り知れぬものじゃ。


 思えば、義龍兄様は大きな勘違いをしておられたのだ。父様は、義龍兄様が頼芸公の御子であることを知りつつ、あえてその父君を攻めさせた――腹の内では、己が子に追われる頼芸公の姿と、何も知らずに加担する義龍を見て嘲笑っておられたのだと。……まあ、そんな戯言を耳打ちする者もいたのであろう。


 疑心暗鬼に陥っておる折に、そうした話を吹き込まれれば、誰しも悪しき方向に傾いてしまうもの。今さら申しても詮無きことながら、もし私が傍におれば、兄様を思いとどまらせることもできたかもしれぬのに……父様がどれほど兄様を思うておられたか私なら伝えられる事が出来たのでは、と。


 怒りに呑まれていた義龍兄様には、もはや父様の真意は見えなんだのであろう。正直なところ、弟たちを騙し討ちにしたと聞いた時には、我が耳を疑うた。

 これまで道三に父と欺かれ、弄ばれた過去を思えば、当然のことだとでも思うたか……否、むしろ、父様の血を色濃く引く弟たちを、忌々しく思ってしまったか、❝妬み❞のような思いが湧いたのかも知れぬな。


 とは言っても実のところ、信長も私も義龍兄様の謀反を知ったのは、弘治二年(1556年)四月二十日――父様と義龍兄様が長良川で最期の戦いに臨む、まさにその前日のことであった。信長のもとに父様より一通の書状が届いたのである。


「義龍兄様が父様に反逆……?しかも、弟たちが騙し討ちにされたとな?」


美濃の地で、斯様な騒乱が起こっておったとは、思いもよらぬことであった。私は手の内にあるその手紙を何度も読み返したものだ。


〈織田上総介信長殿

時下、御機嫌麗しきことと存じ候。然れども、美濃国にて我が子・高政(義龍)、ついに兵を挙げ、親子相戦う不義の沙汰と相成り申した。孫四郎、喜平治の二人をば、謀り討ちにて殺害せし候。まことに遺憾の至り、老いの身にて斯様な事態を招きしは、偏に我が不徳と痛感いたす所に候。

 信長殿、貴殿の器量、若くして凡ならぬものと存じ候。かねてより貴殿を婿に迎えしは、義理ではなく見込みあってのことなれば、今こそその真価を世に示す時なり。

 もし我、此度の合戦にて討ち死に仕候わば、美濃の行く末、貴殿に託し申し候。高政が民を誑かし、武に走るを止むる者なくば、やがて国は乱れましょう。どうか、乱れし美濃を治め、我が志、引き継ぎ給え。援軍の件、申すまでもなく、これは我が身の咎と心得ており候。他家を煩わすこと、最期の意地にて控え申し候。されど、貴殿が心あるならば、将来にて手を携え、美濃・尾張の安寧を築きたく存じ候。貴殿の武運、天晴れなることを。      筆を置く。

弘治二年四月       斉藤山城守道三〉


 要するに、義龍兄様が謀反を起こし、明日には決戦となる。だが、これは親子の争いゆえ、信長に援軍を頼むわけには参らぬ――とは申すものの、父様が討たれて義龍が国を治めるようでは、美濃は必ずや乱れる。ゆえに、信長に美濃の行く末を託す――という、父様の最期の想いを綴った文であった。もっと端的に言えば、父様が死ねば美濃は信長に譲る、という事である。


「舅殿は来るなと申されておるが、行かぬわけには参らぬ。お前の大切な父上殿であろう」


この言葉も信長の真意であったには違いないであろうが、内心美濃を我が手中に入れる絶好の好機!と信長が思わなかったということもなかろう。


「何よりのお言葉にございます」


信長はすぐに兵を集めたが、二十日の朝までに集まったのはわずか三千ほど。もう1日あれば倍は集められようが、それでは間に合わぬと、信長は直感していた。弟二人を先に亡き者にしたは、まさに父様の両腕をもぎ取ったようなもの。信長殿でなくとも、父様の勝算が薄きは明らかであった。


 父様の手紙は、まさしく死を覚悟した者の遺言にて相違なきものと、私も信長も確信していた。道三軍の兵数は義龍側に比して圧倒的に劣り、初めから劣勢にあった。岩崎城もすでに落ち、大桑(おおが)へ後退したとの報も届いておった。


「必ず舅殿を連れて帰って参る」


出立の前、信長は私にそう言った。私は、心の底より信長に義龍の首を取って戻って欲しいと願った。父様と義龍兄様……いえ、もはや兄様ではない。可愛い弟たちを虫けらのように殺め、挙げ句、父様の命まで奪わんとする者など、赤の他人に等しい。戦国の世にあっては、親子も兄弟も敵味方となること常なれど、騙し討ちはどうにも気に食わぬ。そのような策に走る者は、我が兄にあらず。


「この吉法師、むざむざと蝮殿を討たせはせぬわ」

「でも……義龍兄様の兵は、父様の数倍あると申します。あなた様も、くれぐれもお気を付けあそばして……」

「わしのことは案ずるな。戦況の見極めは誰よりも早い。逃げ足もな」


そう言い残し、信長は移ったばかりの清州城を後にされた。信長が先陣を切って馬を駆け、父様のもとへと鞭を入れるその後ろ姿を、私は城の櫓より見送っていた。


 この人のもとに嫁いだのは、斯様な運命にあったのか。父様の敵となったのが信長ではなく、義龍であったこと――それもまた、巡り合わせの妙と申すべきか。


(どうか……ご武運を)

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