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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
四.義龍・謀反
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義龍・謀反ー②:我が父は誰ぞ――義龍、母の元へ馳せ参ず

土岐か斎藤か――揺れる血筋の行方

 噂はあくまでも噂に過ぎぬ――義龍兄様も、ずっとそう思うておられたはず。しかし、面と向かってそのようなことを言われれば、疑心暗鬼にもなるものでござろう。そしてこれまでのあれやこれやが頭をよぎった。


 義龍兄様の初陣は十五の時。父・道三に従い、頼芸公を美濃の国より追うた。頼芸公を追放するために、父に忠義を尽くしてきた。されど、もしその頼芸公こそが実の父であったならば――己は道三に欺かれ、まんまと操られ、血の繋がった父を追いやってしまったという事になるではないか。そんな想念が、義龍兄様の胸を占めた。


 こう思い至っては、はっきりさせねばどうにも落ち着かぬ。今まで聞き流していたことが、もはや看過できぬものとなってしまった。確かめずにはおれぬ――そう決意された兄様は、すぐさま馬にまたがり、城を飛び出された。家臣たちが止める間もなく、城門を風のごとく駆け抜け、ひたすらに母・深芳野様の御座す正法寺を目指して馬を走らせたのである。


 本来ならば、「下乗」と書かれた門前にて馬を降りるもの。しかし兄様はそのまま客院の玄関先まで馬で乗りつけ、そこでようやく馬を降りられた。「下乗」とは、神域に至る前に下馬すべし、という戒めである。にもかかわらず、その神域に馬でズカズカと乗り入れた義龍兄様に、慌てふためいた尼僧が飛び出してきた。


「どなた様にござりまする? 当寺は国主様より“下乗”の御免を頂いておりますれば、乗りつけはご無礼にござりまする」


 と咎めるや、兄様はその尼僧をギロリと睨みつけ、こう言い放った。


「わしが国主じゃ!」


 その迫力に、尼僧は腰を抜かさんばかりに仰天したと申す。ただ「国主」と名乗っただけではなく、その体躯(からだ)にも威圧の気が漲っていたからだ。義龍兄様は身の丈六尺五寸(およそ195センチ)もの大男。母・深芳野様もまた、六尺(約180センチ)と、現代でもモデルのような体型で、この時代には稀な長身の女性であらせられた。


 震えおののく尼僧など気にも留めず、兄様はさらに奥へ進まれた。そこに出てきた若い尼僧が平伏すると兄様は深芳野様の居場所を尋ねる。


「庵主様を、ここへ呼べ」


尼僧が奥に向かってそう伝えようとしたところで、兄様はそれを制した。


「いや、わしが参る。母上の御座所に案内せい」


 そうして兄様は、尼僧の先導で母君の部屋へと向かわれた。部屋の前に着くと、兄様は中へ呼びかける。


「母上、新九郎にござります」


何年かぶりに顔を見せた我が子に、深芳野様もさぞかし驚かれたことであろう。思わず声を上げられたが、それにも構わず兄様は部屋に入り、母の前に座られた。


「お久しゅうございます」

「ほんに、4年ぶりにござりましょうか。無事にお過ごしとの噂は聞いておりましたが……本日は、いかがなされました?」


 深芳野様は、父様に黙って出家された。なので兄様は父様の顔色を窺い、1里しか離れていない母君の元へ足を運ぶことを避けてこられたのである。


「実は、お聞きしたきことがござりまして……」

「なんでございましょう?」

「単刀直入に申します。私は……頼芸公の子にござりまするか?」


 この問いに、深芳野様は目を見張られた。驚き、そして動揺の色がその目に走る。狼狽されたのは思いもよらぬ問いゆえか、それとも図星であったからか……義龍兄様にも、見極めがつかなんだ。されど、できうるなら否定して欲しかったのであろう、そんな思いを持ってここへやってきたのだ。


「そのようなこと……」

「いかがなのですか。真実を、お明かしください」


 兄様がなおも膝を進めるも、深芳野様は俯いたまま、答えられぬ。口を固く結んだままのその面持ちは、硬く、そして哀しげであった。


「私はこれまで、頼芸公と戦い、追い詰めてまいりました。もしあのお方が私の父であったなら……私は、この手で実の父を……」


 義龍兄様の言葉に、深芳野様は小さく肩を震わせる。兄様は思わずその肩を掴み、揺さぶってしまわれた。深芳野様は痛みに顔を歪められる。無意識に、力が入ってしまったことに気づいた兄様は、慌ててその手を離す。


「申し訳ありませぬ……されど、私は本当のことを知らねばならぬのです」

「あなたは……」


 そう口にしかけて、深芳野様は沈黙なされた。

……だいたい、母親なら分かるはず、などと申す発想そのものが、貧しき考えであろう。この時代、女子の意思などものの数にも入らぬ。戦局や情勢の都合で、ある日突然、夫を離縁させられ、次の殿方の元へ「嫁がされる」ことなど日常茶飯。しかもそれが武家の娘なら、なおさら否も応もない。


 深芳野様も、頼芸公の寵愛を受けておられた身。それがある日突然、父様の許へ――まるで道具のように払い下げられた。まあ、元を質せば父様が深芳野様に懸想してしまったのが原因ではあるが……前日まで頼芸公と(しとね)を共にしておられたとなれば、子の父がどちらかなど、女とて分かりようがない。


 女は本能で分かる、などと誰が申したのやら、私は懐妊の経験すらない身ゆえ、そのあたりの機微には疎い。されど、複数の男と関係を持った女子が「誰の子か分からぬ」などと漏らすは今の世でもよくある話。ましてやこの時代、血液型もなければ、DNA鑑定など夢のまた夢。確かめようもないものを確かめよと言われても、それは酷というもの。


 結局その日、深芳野様は義龍兄様に明確な答えを告げぬまま、席を立たれた。されど、義龍兄様はそれをもって「答え」と受け取られた。

 ――道三を慮り、口にはできぬのだ。もし確かに道三の子であれば、そう明言なされたであろう。そう思い至った兄様は、こう決意されたのじゃ。


「我こそは土岐家の嫡子。土岐の仇、討たずして何とする!」 ――と。


 この時より、義龍兄様の胸には土岐家への帰属意識が芽生えてしまったのである。おかしな話ではある。実の親より、名のある家に魅せられてしまうとは……。産みの親より育ての親とう言葉を知らぬのか、それともその逆もまたあるのかもしれぬが……。


 それまで兄様は、弟の孫四郎、喜平治とも争うことなく、むしろ仲睦まじゅうしておられた。温厚で学問にも励み、武芸の鍛錬も怠らぬ、兄様にとっても誇らしき弟君たちであったはず。それが、ああ、それが――。

お読みいただきありがとうございます。

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