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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
四.義龍・謀反
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義龍・謀反―①:兄と父の決裂――美濃を揺るがす血筋の疑惑

事の起こりー旧臣の囁き

      四.義龍 謀反


その翌年、弘治2年(1556年)、父様と兄様――義龍殿との間に争いが起こった。


 あの義龍兄様が、父様に刃を向けるなどとは、かつての私には想像だにできぬことであった。兄様は気性こそやや荒ぶるところがあったものの、武を重んじ、家中の者にも公平に接して信を得ておられたと聞き及んでいる。父・道三様より家督を譲られた後も、その姿勢は変わらず、家中の誰かを贔屓されることもなかったと。私の知る兄様も、まさにそのようなお方であった。――なのに、なぜ父様に弓を引くことになったのか。


 聞くところによれば、兄様のもとに度々顔を出しておったのは、かつて土岐家に仕えた旧臣、武井肥後守(たけいひごのかみ)であったそうな。彼は、主家たる土岐家を滅ぼして美濃を我が物とした父様に対し、快からぬ思いを抱いておった。そして義龍兄様が、実は土岐頼芸公の御子である――という噂を真に受けておったようじゃ。


 なればこそ、美濃の守護たるべきは義龍殿に違いないと信じ、兄様を唆したのであろう。そこへもって、父様が義龍兄様を廃し、次男の孫四郎殿を跡継ぎに据えようとしておる、との噂が重なった。肥後守にしてみれば、実子でない義龍兄様を退けて、実の子である孫四郎殿を後継とするのは道三殿の当然の策である――そう思い込んでしまったのやも知れぬ。


弘治元年の夏のある日、肥後守はその思いを兄様に告げた。


「お館様、山城守様は、お館様を廃嫡なさるおつもりにございます」


その言葉を聞くまで、兄様はそのようなこと、夢にも思ってはおられなかったという。確かに父様とそりの合わぬところはあったが、己を認めて家督を譲ってくれたのだと、信じていた。


「何のことじゃ?」

「山城守様にとっては、お館様より血を分けた孫四郎様の方がかわゆうございましょう。それも道理にございます」

「…何を申しておるのか、さっぱり分からぬ」


“人の口に戸は立てられぬ”とは申すが、義龍兄様が頼芸公の御子であるという噂を、これまで面と向かって口にした者はおらなんだ。いや、耳にしておらぬはずもなかろうが、兄様は自らそれを否と信じ、否と念じて今まで過ごしてこられたのであろう。


「まだご存じなかったとは……これは何とも、哀れなことにございます」


そう言って、肥後守は芝居がかった仕草で頭を垂れた。兄様は怪訝な面持ちで、その続きを促した。


「何が言いたいのじゃ?」

「実は…お館様は、山城守様の御子にあらせられませぬ」

「……何?」

「お館様は、前守護・土岐頼芸公の御種より生まれた御子にございます。このことは、山城守様もご承知にて……」


その言葉に、兄様は顔を顰めた。誰かの口から漏れ聞いたことはあれど、面と向かって言われたのはこれが初めて。これまで目を逸らしてきた話題であったのだ。


「たわけたことを申すな!そのような戯言、許すわけにはいかぬぞ!」


激昂した兄様が刀を抜くと、肥後守は腰を抜かした。まさか、怒られるとは思わなかったのであろう。愚か者め。私がその場におれば、ためらわず首を刎ねていたわ。兄様にとって、その言葉は誰にも口にしてほしくない、決して認めたくないものであった。怒りを目の当たりにし、小心者の肥後守はもはや声も出せず――だが、ただ噂を吹き込んだだけでは、自身の身が危うくなると思ったのであろう。ここで肥後守は我が保身に走った。


「そ、それならば……義理の叔父君である長井隼人正(ながいはやとのしょう)様にお聞きくだされ……あの方ならご存じのはず……」


そう言い置いて、肥後守は慌ててその場を逃げ出した。


 もし、この者がいなければ――父様はあのような最期を迎えることもなかったのではないか。私は今でも、そう思わずにはおられぬ。


 義龍兄様も、噂を耳にして「あるいは」と思ったことはあったであろうが、誰も確かなことは告げてこなかった。されど、こうして面と向かって言われてしまえば、確かめずにはいられぬ思いに駆られた。

兄様は、稲葉城下に屋敷を構える長井隼人正殿を呼び寄せた。隼人正殿が現れると、兄様は正面に座し、肥後守の言葉をそのまま伝えた。


「真実をご存じであれば、はっきりとお聞かせ願いたい」


兄様の問いに、隼人正殿は「肥後の奴、よけいなことを……」と心中では舌打ちしておったであろう。だが、こうまで問われては下手なことも申せぬ。……否、本来ならば、否定すべきところであるではあるのだが。このお方もまた、妙に融通の利かぬお人であった。とはいえ、噂はあくまで噂。本当のことなど、義龍殿を産んだ深芳野様にしか分かるまい。男子など所詮、女子に「あなたのお子です」と言われれば、それを信じるほかないのだから。


「それは何とも……ただ――」

「ただ?」

「お館様は、頼芸公にお顔立ちがよう似ておられるように思います……が、真実のほどは、私には測りかねます。お分かりなのは、深芳野様のみかと……」


ああ、なんと愚かしい……それでは兄様が頼芸公のお子と申してるようなもの。


「父上がわしを廃嫡しようとしておるという話は、どうじゃ?」

「そのような噂、私の耳にも入ってはおりますが……さて、真か否かは……」


まことに、どちらともつかぬ返答。


「そちなら知っておると、肥後守は申しておったぞ!」

「それは、あやつの戯言にございます!……が」

「が?」

「もしも、お館様が頼芸公の御子にてあられるならば、山城守様よりも由緒正しきお血筋――。そのご器量にも、頼芸公様の面影を感じ申す」

「……そうか。分かり申した」


義龍兄様の返事を聞いて、長井隼人正はその場を辞した。うまくやり過ごしたつもりであろうが――事は、そう簡単には参らぬこととなってしまった。


お読みいただきありがとうございます。

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