君主・信長―⑨:信長の才――光秀の秘めた野心
信長と私の縁
何にしても共通して申せるのは、信長の側近にいる者は、武将と私を除けば大概が見目麗しき者ばかり、ということじゃ。まこと、美しきものを好む人であったのだ。
されど、私の心には不思議と嫉妬の念は湧かなかった。私と信長の間にあった情は、夫婦とか男とか女とか、そういった範疇のものではない。むしろ「同士」や「戦友」といった言葉の方が近いような気もするが、それも何か違う。宿世の縁とでも言うべきか――目には見えぬ糸に導かれ、出会うべくして出会った巡り合わせ、、そんな感覚が近いようにも思える。私たちの間に、男女の隔てはなかった。そして、それが心地よかった。信長にとっても、そのような繋がりは唯一無二であったと、そう思っている。
――その頃、私の従兄にあたる明智十兵衛光秀殿は、鷺山城に滞在し、父・道三の語る世情を日々拝聴する日々を送っておった。父様としては、光秀に広く世の中を学ばせておるつもりであったのであろう。
光秀の父・光継が没したのは、光秀が十にも満たぬ幼き頃であった。それゆえ、明智家は叔父・光安殿が継ぎ、いずれは光秀に戻すと申していたのだが、光秀は幾度も口実を設けてそれを先延ばしにしておった。土岐十三流の筆頭に連なる名門といえど、所詮は小領主。しかも今や美濃は土岐家ではなく斎藤家の所領。そこに留まれば、それ以上の道は閉ざされる、そんな思いがあったのやもしれぬ。
父・道三は、もとは土岐氏の被官に過ぎぬ身でありながら、美濃を奪い取った。明智が没落したのも、言ってみれば父様のせいと申せよう。されど、光秀は父を恨むどころか、むしろ仄暗い敬意にも似た感情を抱いておったようだ。
「弱き者が倒れるのは、戦国の常。むしろ私は道三殿を尊敬している。あのようにありたいものじゃ」
と、光秀はかつて私に語ったことがある。大国を手中に収めたい、明智の当主となって山の中でくすぶるのはご免蒙る――そのような野心が、光秀の胸中にも確かにあったのじゃ。
光秀は一見、寡黙で、眉目秀麗、涼しげな風情の持ち主にて、平和主義者のようにも見えた。されど、その奥底には誰にも気づかれぬほど静かに、しかし確かに、大志が息づいていた。しかし光秀は父様にそんな話を1度もした事はなかったと思う。しかし光秀に合戦の駆け引きや、人の心の動きや世間の事をよく話して聞かせていた父様もまた、光秀のその内なる思いに気づいておったのやもしれぬ。父様は、人の野心を見抜く目を持つ御方であったから。
とはいえ光秀は、野心こそ抱いてはおれど、行動には慎重な男。正に「石橋を叩いても渡らぬ」たぐいであった。もし野心すら持たぬ男であったなら、落ちぶれたとはいえ、素直に家紋が残っている明智の当主となり、詩歌に囲まれて穏やかに生きていたであろうに――それができぬゆえに、心中穏やかならぬ日々を過ごしておった。
そんな折、父様が信長との会見を果たされた。光秀もその話をすでに耳にしていた。どうなったのかと思っていたら父様の方からわざわざ光秀のもとを訪れ、その時の話を語り始めたそうな。
* * *
従妹の胡蝶が嫁いだ信長は大層なウツケ者だという評判だ。果たして道三殿の目にはどう映ったのか。光秀はとても興味を引かれた。光秀の前に腰を下ろした道三は、
「評判のウツケとは、どのような男か。そちも興味があろう?」
そう言ってニヤリと笑んだ。その目は、まるで心の奥を見透かしておるかのようであった。
「そのようなことは…」
「そうか? それにしても、あれは大層な男よ」
「と、申されますと?」
「ウツケを装うのも、恐らくは計算のうち。あれは恐ろしいほどの才覚を秘めておるわ。胡蝶も、あのような男を夫に持ち、さぞ面白おかしく日々を過ごしておろう」
珍しく目を輝かせながら語る父様に、光秀はますます信長という男への関心を募らせた。
「そちとは正反対の男よ。信長が『動』なら、そちは『静』じゃな」
「私など、比べるにも足りませぬ」
そちは、ひとたび心に決めれば、何か空恐ろしいことでもしでかしそうに見えるがのう」
「滅相もござりませぬ」
「そうかの? こんな話をできる相手は他におらぬと思って、ここに参ったのじゃぞ」
「かたじけのうございます」
「そちは、いくつになった?」
「26歳にござります」
「ほう、信長より六つ上か。どうじゃ、信長に会ってみる気は?」
「ぜひ、お目にかかってみとうございます」
滅多に人を褒めない道三がこのように語る信長という男はどのような人間なのか、胡蝶の夫であるという事も重ねて見てみたいという思いが光秀の中に沸き上がる。
「うむ。そちと信長が手を結べば、面白いことになろうな」
「いずれ、挨拶に参りたく存じます」
「その折には、わしが手紙をしたためて進ぜようぞ」
その言葉に、光秀は深々と頭を下げたという。
* * *
光秀殿と父様の間にこのような会話があったことは、当時の私は知る由もなかった。けれど、父様が光秀殿を認めていたことは、嫁ぐ前から私も感じ取っておった。そして同時に、光秀殿の優しい笑顔の奥に潜む熱き野心も、私は見抜いていたつもりだ。
この時、光秀殿の胸中には信長と手を合わせる、というよりも、「羨望」に近き想いがあったという。あの道三が認めし男――未だ二十歳に満たぬ若さで尾張の半国を治める信長。その出発点の差をまざまざと見せつけられて、肩を並べるなど到底叶うまいと思いつつも、いつかは――と、密かに願っていたらしい。
のちにその話を光秀殿から聞かされても、私はさして驚きはしなかった。光秀心の裏が私には何となく見えていた。というか、あの頃の私はさればこそ、光秀殿に好意を持っていたのように思う。どうやら私は根っから野心家が好きなようだ。
翌・天文二十三年(1554年)、坂井大膳が清州城の織田信友を唆し、信長の叔父・信光を味方につけようと企てた。されど信長は、それを事前に察知していた。坂井大膳、よほど信長が気に入らぬのか、それとも恐れておるのか――懲りぬ男よ。信友は斯波義統を担いでいたが、信光は信長側につき、信友の誘いには乗らなんだ。
弘治元年(1555年)、信長は信光と手を組み、清州城を攻め落とす。信友・義統を討ち果たし、大膳を今川に追いやった。これにより、信長は清州を本拠とし、那古野城は信光に託された。
この年に信長は生駒家の長女・吉乃殿を側室に迎えた。吉乃殿はもともと土田弥平治という方に嫁いでおったが、夫を戦で亡くし、生駒家に戻っていた。信長はそこで吉乃殿を見初めたようだ。
また、藤吉郎(のちの秀吉)も、この生駒家に出入りしており、それが縁で信長に仕えるようになった。藤吉郎が信長の家臣となったのも、吉乃殿の口添えあってのこととも聞く。
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