君主・信長ー⑧:道三の見た「道」――恐るべき男・信長
父と夫ー認め合うふたりの男
「お父上様、またお目にかかれますことを願っております。どうぞお健やかに」
「そこもとも達者でな。くれぐれも……」
と、そのとき父様は、私のことを頼もうとして、言葉を飲まれたそうな。すでに親元を離れた娘の身を、どうしようが――それこそ切って捨てようが、焼いて食おうが、夫の自由である。無論、理由もなくそんなことをすれば嫁の家に喧嘩を売ったも同然になるゆえ、そうそうおいそれとはできぬが。だが、信長はそんな父様の心中を察したかのように、にこやかに笑って申した。
「安心召されよ。つつがのう暮らしておりまする。良き妻を娶りまして、実に面白い毎日を過ごしてござります」
私が本当に「妻」と呼ばれるか否かは、些か疑問ではあるものの、そんな話を聞いて、少し嬉しい気持ちになった。
「そうか、面白いか……それは、長上長上」
そうして、父様と信長は田代にて別れた。
父様は帰途の途中、茜部にて馬を休め、そこに控えておった侍大将・猪子兵助にお訊ねになった。
「その方、信長を如何なる男と見たか?」
父様は今回は信長を圧してやろうとの覚悟で臨まれたのに、兵の数も武具も先手を取られ、むしろ完全に圧倒された。それを悔しがるかと思いきや、さにあらずでもあったのだ。
「お館様に拝謁の節は、一応体裁を整えてこられたようでございますが……帰りもあのような格好のまま、恥ずかしげもなく戻られるとは。所詮は付け焼き刃、噂に違わぬウツケと存じまする」
「本当に、そう思うか?」
「他に考えようがございませぬ。外見だけを取り繕っても、本性は変わらぬものにございます」
どうやら兵助は、信長が正装して現れたのは、父様を恐れたゆえだと解しておるようであった。
(こやつも、所詮は凡庸なものか)と、父様は内心で呟かれたそうな。
「お前には見えぬか……」
「何が、でございますか?」
「あの男の前に、広がっておる道じゃ」
「道……と申されますと?」
「怖い男ぞ。あやつの進む先には、死人の群れが見えるわ」
「は?」
「わしの手も、数えきれぬほどの血に染まっておるが……あやつがこれから手にかけるものの数には及ばぬじゃろう」
「それは……?」
「きっと、わしの子らは、いずれあれの門前に馬を繋ぎ、平伏することになるであろう。でなければ、あ奴の前にて骸となっておるやもしれん」
「お戯れを……」
「戯れか……まあ、それもこの世の定めじゃな。さてそれを見ることができるかのう。さればさぞ面白かろう」
そう申して、父様は天を仰がれた。
……が、この行く末を父・道三が見届けることは、叶わぬことであった。
* * *
会見より戻った信長は、上機嫌であった。この顔を見るに、父様とも気が合うたという事であろうと私は思うた。
「お父様は、お健やかでしたか?」
「ああ、思った通りのお人じゃった。そちによう似ておるわ」
「それは、お褒めくださっておるのですか?」
「他に、何がある?」
父様は若き頃、たいそう女子に人気があったと聞いていたが――今の父様は、目がギョロギョロしていて、まるで地獄絵図に描かれた閻魔様のごときお顔。己が見目麗しゅうはないことは、わかっておる。だが、あの父様ほど怖い顔はしておらぬはず。美人とは言わぬまでも、可愛げくらいはあるのではないか……と、密かに思ってはおったのだが……。
もちろん、信長が申しておるのは容貌ばかりではなかろうが、あの含み笑いを浮かべた顔を見るに、それも含めて――と言いたげである。まこと、人が悪い。揶揄っているのか、本気なのか……おそらく、その両方じゃ。けれど、信長がこの悪戯っぽい笑みを見せるのは、きっと私だけ。
信長にとって、私は唯一、素顔を見せられる存在――そう思わせてくれる。そこに私は、己の存在意義を見出しているのだ。このお人が高みへと昇る姿を、私はずっと見ていたい。――否、私がこの手で、天下の頂へ押し上げて差し上げたいと、本気で思っている。信長がこれを聞けば、きっとこう申すであろう。
「そちの手など要らぬわ」――と、一笑に付して。
「舅殿は、大層ご満悦で帰られたぞ」
「それは、ようございました。父様は、殿をお気に召したのでしょう。いえ、お認めあそばされたのでしょうね」
「わしも、そう思う。そちのことも案じておられた」
信長は満足げに笑った。夫と父が互いを認め合っている。それが、私は嬉しかった。このとき、信長は若干19歳。父は来年には還暦を迎えられる年で、私は18歳。
そんな私達の間にも、夫婦としての絆が育まれていた――とも言えるが、正直、それは少し違う、とも感じている。我らの間にあるものは、普通の夫婦とは異なるものであった。
それに、信長という男、決して妻一筋というわけではなかった。尤も私は「妻」であったかどうか甚だ疑問だが……。
この時代、名だたる武将に側室はつきものである。信長には11人の側室がいた。
よく知られておるのは、久庵桂昌――俗に生駒吉乃殿と呼ばれるお方で、信長との間に、信忠・信雄・徳姫の3人のお子を儲けられておる。
そして、三男・信孝を産んだ坂氏。この方は出自が定かではない。信長も多くは語らなんだ。元より、武家だの農民だのといった身分に拘らぬお人ゆえ、どこぞへ山狩りにでも出た折に出逢った女人であろうか……と、私は勝手に思っている。武家の出とは思えぬ風情だったのは確か。信長が語らぬゆえ、私も詮索しなかった。根掘り葉掘り問いただされるのは、お嫌いな方だから。それに、私も側室の氏素性などにはさして興味がなかった。
そして、後世にも名が残るのは、後ツマキ殿である。この方は、明智光秀殿の妹君にあたる。
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