蝮ー②:父の策謀に散る夫――そして私は、“ウツケ”のもとへ
蝮の娘、3度目の輿入れ
天文15年(1546年)9月に、2度目の輿入れ.。2度2度目の夫は、土岐頼武の息子・頼純である。この頼武様は、頼芸様とご兄弟に当たるお方だ。
夫が、何故父のせいで命を落とすことになったかと言うと――選りにも選って、父が今も合戦を繰り返しておる織田信秀に、「父を討ってくれ」と頼んだのだ。それが父の知るところとなり、怒りを買うことになった。
まったく、本当に愚かなることこの上なし。頼純など、父と比べればまるで小物。だいたい、人に頼むこと自体がそれを証明しておる。討ちたければ、自ら討てばよいものを……もし、私に相談していたら協力していたかも……いや、ないな。この男では無理だわ。
父の怒りは、さぞや凄まじかったであろう。和議のために娘を嫁に出したのに、何ということか、というところだ――とはいえ、父自身も散々人を裏切ってのし上がってきた男ではあるが。元を質せば、父が美濃の守護であった頼純殿の叔父・頼芸様を追い出し、美濃の実権を手中にしたのだ。とは言え、夫もそれを承知で私を娶ったのだから、そこは辛抱すべきであろう。さすれば、もう少し長く生きられたかもしれぬものを……誠に残念なお人だ。
まあ、人の世の常で、人は自らの行いは振り返らぬくせに、人の裏切りは決して許さぬという、なんとも身勝手な生き物。妻の父を亡き者にしようなどと、愚かしいことを頼んだ夫は、24歳という若さでこの世を去った。
ただし、こちらは自死ではない。ある日、突然、頓死したのだ。茶席で茶を一服したところ、急に苦しみだしたということで、毒を盛られたのではないかと囁かれたが、定かではない……でも、父ならそれくらいのことをする間者を忍び込ませるなど、何ほどのこともなかったであろう。
というわけで、またしても、たった1年で夫を失った私は、早々に父のもとに返された。これでもう、当分は嫁入りの話などないだろうと思っていたのに――懲りもせず、またも勝手に決めてきた、このクソ親父。さすがは「蝮」と呼ばれた男。腹黒いことこの上ない。
「で、今度はどこに?」
「尾張のウツケよ」
と、父はニヤッと笑った。
(ウツケ、とな……?)
そんな男に、可愛い娘を嫁に出すのか、この腹黒親父め。
「信秀めが、平手政秀を使いに寄越して、倅の嫁にと申し出てきよった。和睦ではなく、いきなり縁者になろうというんだ。これを断っては、わしも心の狭い大将と思われかねぬ」
などと尤もらしいことを言っておるが、腹積もりはそうではあるまい。あわよくば尾張も手中に、という目論見であることは明白。どこまでも欲深きことよ。
「だが、信秀の倅が、お前の夫に相応しからぬと思ったら――お前自身の手で、寝首を掻き切っても構わぬぞ」
そう言って、父は私に小刀を差し出した。もしかして今度は、娘を間者に使う気か……。繰り返すが、まったくもって腹黒い男だわ。
「ただし、その場合はお前もその場で斬られるやもしれぬ。だが、武家の女が嫁に出るということは、死を覚悟して当然のこと。それなのに、お前は夫を亡くしても2度も無事に生還しておる。なんと運の良いことか」
――それって、本当に「運が良い」って言えるのか?夫に2度も死なれてるんだぞ?
「それが“運の良さ”と言えましょうや?」
と言い返すと、父は鼻で笑った。
「フフン。もはや“拾った命”も同然であろうが。そう思えば、捨て身で嫁に行くのも吝かではあるまい」
どこまでも非常な親父殿だ。な〜にが「吝かではない」だ。先夫たちも、この父が手をかけたも同然だというのに――白々しいにもほどがある。本当に食えぬ男だ。ただ、残念なことに、私はこの腹黒い父が好きなのだ。野心丸出しで、家族さえ平気で見殺す冷血な「蝮の道三」と呼ばれたこの男は、私の尊敬すべき理想の男性像でもある。
この乱世の世――野心のない男など、クソの役にも立たぬ。そんな男と添うことこそ、不幸の極み。
「相手が噂通り“大ウツケ”でありましたら――仰せの通りに」
そう言って私は、静かに頭を垂れた。すると父は、さも満足そうに頷いた。
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