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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
二.輿入れ
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輿入れー⑧:政秀の小言――穏やかなる日々

小言もまた子守唄の如く

守役の政秀は、信長の良き味方であり心底信長を案じておったが、信長が何を考えておるのかは、まるで分からぬ御仁でもあった。政秀は真面目で頑固、よく言えば一途な男であるがゆえに、頭が固く柔らかみが足らぬところがあったのであろう。


 信長自身、政秀が自分を気にかけてくれておることは分かっておったようだが、理解されぬことに苛立ちを覚えていたと思う。信長という男はこの頃よりすでに、心の内を人に明かさぬ人間であった。


「若殿、少しはお考えなされませ。あなた様は、やがては大殿の跡を継がれる御身。奥方様もお迎えあそばされたというのに、些か行いをお慎みくださりませんと……下々の者が若殿のことを何と申しておるか、そのお耳にも入っておりましょうぞ」

「フン、くそ面白くもないことを申すな。人の陰口だど所詮戯言(ざれごと)。じいの諫言(かんげん)は聞き飽きたわ」


と、吐き捨てて、刀を引っ提げ、信長は庭に飛び出してゆく。その背には、子供のような無邪気さと、獣のような凶暴さとが入り混じっておった。信長自身、自分を持て余しておった時期でもあったと記憶しておる。


 その背を見送ると政秀は今度は我が前に進み出て、ひざを突き合わせてくる。小言の矛先が、見事に私へと向かうわけである。信長もこういうときは私の腕でも引っつかんで外へ連れ出してくれれば、どれほど気が利いておるかと思うのに。


「よろしいですか、奥方様――」


(ほら、始まった……)


「奥方様。あなた様はご正室にございますぞ」


(ええ、ええ、よく存じておりますとも。人質みたいなもので参ったわけですから)


「あなた様が付きながら、若殿にご忠告の一つもなさらず、一緒になってふざけておられるとは、何事ですか。政秀は呆れ果てております。ご理解なさっておりますか。殿の無茶をお諫めするのは、あなた様のお役目でもございます」


(ええ、仰る通りでございますとも!)


――なれど、普通では面白うないではござりませぬか、とも言いたくなる。政秀も、どこにでもおるような凡庸な殿に仕えるのは、つまらぬとは思わぬのかしら?


「これからは、この政秀を呆れさせぬよう、心して頂かねばなりませぬぞ」


あー、誠につまらぬ。放っておけば良いものを。そんなに大袈裟なことでもあるまいに。家来や領民に迷惑をかけておるわけでもない。馬に乗り、弓を射ち、林の大木を切り倒し、川で魚を獲っているだけのこと。


 館の中では、庭木を切りつけたり、手水鉢(ちょうずばち)をひっくり返したり、小姓たちと木刀で本気で打ち合いをしたり、たまに女中を投げ飛ばすくらいである。私もたまに投げ飛ばされるが、その時はすぐに立ち上がり、噛みついてやる。……たぶん、大したことでは、ないはずだ……。


 確かに、美濃ではおよそ見られぬ光景ではあったが、これほどに愉快なのだから良いではないか。などと考えておるうちにも、政秀の小言は止まぬ。返事をせずにいると、政秀は深いため息をついた。


「やれやれ……まさか、奥方様までかようなお方だとは……」


(えーい、うるさいわ!)


私も信長のように蹴散らして立ち去ってしまいたい。が、それでは武家の姫としての面目も立たぬ、と思っておるわけではないが私まで無視したら、政秀の立つ瀬がなかろう。


 そう思うて、辛抱して聞いてやっておるのだが……その気持ち、少しは察してもらいたいものよ。などと心の中でブツブツ言うておったら、眠くなってきた。政秀の小言は、もはや子守唄かえ……小言の声が段々と遠くなっていく……と思ってたら、本当に寝てしまっておったようで、気づけば政秀はそこにはおらなんだ。


(やってしまった……)


これでは次の小言がさらに長くなるであろう……ああ、気の重い事だ。


 とある昼下がり、私が書見をしておった折、背後の襖が開く気配がした。信長であろうと、私は身構える。こうやって忍び入ってくるときは、必ず何か仕掛けてくる。案の定、信長は木刀を掲げ、背後から私の頭上へ振り下ろしてきた。私は瞬時に振り返り、手にしていた書簡で木刀を払い除け信長の足を私の足で払う。しかし、信長は思うようには転ばず、そのまま私を放り投げてきた。


「チッ!」


(小癪な!)


と思いながらも私は受け身を取り、すぐに立ち上がる。こんなこと、日常茶飯事であった。そして、政秀に見つかって2人して大目玉を食らうのである。思えば、この頃がいちばん平和で、他愛もない日々であったな……。


◆  ◆  ◆


〈ご機嫌いかがでございますか。私は毎日、殿とふざけ合っております。殿はなかなかに容赦なく私を投げ飛ばして下さいますが、父上様より伝授されました受け身の心得がございますゆえ、何の問題もございませぬ。殿も面白がっておられます候。

 私、この殿に、生涯ついて行くと心得ましてございます。ゆえに、父上様、お手出しはご無用に願います。

 そのうちに父上様の首でも貰い受けに馳せ参じる所存にございますが、情もございますゆえ、今しばらくお時間をさしあげます候。

 母上様はいかがお過ごしでございましょうか。胡蝶は、ことのほか元気に暮らしておりますゆえ、ご案ご案じめさるなとお伝えくださいませ。くれぐれもお健やかにお過ごしくださいますように。体の弱き母上様なれば、父上様もどうかお気にかけてくださいますよう、伏してお願い申し上げ候。     

                                                            胡蝶

父上様参る                       〉


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