前田玄以ー⑤:静寂の後に動くもの――世を巡る思惑
二人の御台ーとるべき道
「父上はな、遠きところへ旅立たれた。あまりにも遠くての……すぐには戻れぬのじゃ」
いずれ、分かる時が来る。隠し通せるものではない。もし信長が生きておったなら、躊躇いもなく真実を告げたであろう。
――お前の父は死んだ。もう戻らぬ――と。
あの者は、情をかけぬのではない。情に溺れぬだけである。嘘は人を弱くする。よくそう申しておった。織田の直系であるならば、いかに幼くとも、真実を正面から受け止めるべきである。それは分かっておる。だが今は、信長もおらぬ。すべてを背負わせるには、あまりにも早い。せめて今しばし、子は子としてあらせても良いのではないか。そんな思いが、胸をかすめた。
こうして、子らとしばしの時を過ごした。久方ぶりの穏やかなひとときであった。蘭丸の顔にも、久しく見ぬ笑みが浮かんでいる。いかなる状況にあろうとも、子というものは人の心を和らげるもの。私は改めてそう感じていた。
千代と竹丸の姿が奥へ下がると、座敷には再び静けさが戻った。幼子らの気配が消えたことで、空気が一段と張り詰める。美弥は静かに膝を正し、うつむいている。その横顔には、母としてのやわらかさと、織田に連なる者としての覚悟とが同居していた。
やがて、前田玄以が深く一礼し、口を開く。
「……濃姫様。先ほどは、子らにもお心を賜り、誠にありがとうございました」
「礼には及ばぬ。あの子らは私の身内、守られるべき命じゃ」
私がそう言うと、美弥ははっと顔を上げ、再び頭を下げた。その仕草には、もはや織田の嫁としての体裁ではなく、一人の母としての切実さがにじんでいる。
「さて……」
私はゆるやかに視線を巡らせた。
「ここにおる皆、同じことを考えておろう。この先、誰が世を担うのか、じゃ」
玄以が静かに頷く。
「羽柴殿……それは、もはや疑いようもございますまい」
蘭丸が、その言葉を受けるように続ける。
「あの中国大返し、清須での立ち回り、諸将への根回し、そして三法師様を立てた判断……いずれも見事にございます。されど、あれは決して成り行きではございませぬ。周到に整えられたものでございましょう」
美弥は、言葉を選ぶように口を開く。
「私も……そう思います。羽柴殿は、信長様の“後”を継ぐおつもりなのでしょう。それが良いか否かは、別として……」
「……いずれ担う者となる、か」
私はその言葉を噛みしめる。
「だが、問題はそこではない。誰が、その者の側に立つか……それこそが肝要じゃ」
玄以の表情が、わずかに引き締まる。
「前田利家殿、丹羽長秀殿……表向きは、いまだ柴田勝家殿を立てておられますが、潮の向きを見極めておるのは確かにございます」
「利家は情の男じゃ。されど、その情ゆえにこそ、家を守る道を選ぶ」
かつて信長のもとで槍を振るい続けた男も、今は一国一城を預かる身。その決断は、もはや一人の武勇ではなく、多くの命を背負うものとなっておる。私はしばし思案する。勝家、長秀、利家。いずれも織田を支えた柱である。その柱が、いずれどちらへ傾くか。それにより、世の形は定まる。
「秀吉に早くから与する者。逆に距離を置く者……その差を見れば、誰が、何をどこまで知っておったか、浮かび上がるやもしれぬ」
本能寺の変は、ただ一夜の謀反にて終わるものではない。その前後に、誰が動き、誰が静観し、誰が機を掴んだか。そこにこそ、真の流れが潜んでおる。蘭丸が、はっとしたように私を見た。
「……本能寺の、真相でございますか」
「そうじゃ」
私は静かに頷く。
「信長の死を、ただの謀反として片づけるには……あまりに“都合よく動いた者”が多すぎる。あの中国からの引き返しの速さ、諸将の動きの噛み合い。いずれも、偶然と呼ぶには出来すぎておる」
玄以は、深く息を吐いた。
「濃姫様のお考え……恐ろしゅうございますが、道理でございます」
美弥は、ぎゅっと袖を握りしめた。
「だからこそ……私は表に出るつもりはございません。子らを守るためにも」
「それでよい」
私は、きっぱりと言った。
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