輿入れー⑥:城の外――自由な殿と無礼な若者
無礼者達の嘲笑
塀の外の信長にも庭番の声は聞こえておろうに、助けに来る気配もない。このままここで見つかるは、非常にマズいのではないか? こんな姫など、どこにもおらぬだろう。それとも尾張では、これが普通なのか。
信長を見ると、ただ「早く降りろ」といった仕草をしてこちらを見ておるだけ。……そう急かされても、と心で呟きつつ、木から塀までの幅を目で測った。塀までの距離は、およそ三尺ほど。飛び移れぬほどの幅ではない。だが、もし失敗して下に落ちたら、庭番に捕まってしまう。嫁入り早々、そのような醜態を晒すのは、あまりにも恥ずかしい。美濃から来た姫が邪々馬などと謗られでもしたら、父様の面目も潰れるやもしれぬ。否、あの父様なら笑い飛ばして終わりかもしれぬが、母様はさぞ嘆かれるであろう。などと、色々な思いが頭を駆け巡っているうちに、庭番はジリジリとこちらへ近寄ってきた。
(どうする?飛び移るか? それとも……下に降りるか――)
思案の末、私はそろそろと下へ降りた。無論、飛び移ったほうがはるかに面白かったであろう。しかし、その後のことを考えた。もし失敗して落ちでもしたら、目も当てられぬ姿となろう。恥さらしも甚だしい。
また無事に外に飛び移ったとしても、ここで見とがめられてしもうたからには、大騒ぎになること間違いなし。城内の庭から飛び出した曲者を探すため、城の者どもが右往左往するであろう。そればかりか、この庭番も「曲者を取り逃がした」とあらぬ科を掛けられかねぬ。しかも逃げたのが私だと知れたなら、尚の事、責めを受けよう。――そうなれば、私の心が痛む。そんなことを考えていたところ、庭番が私を一瞥し、
「なんだ、まだ子供じゃないか。ここで何をしておった?」
と言った。
(子供……?)
当時14歳だった私。今でいえば中学2年生。確かに大人とは言えぬかもしれぬ。されどこの時代においては、決して子供ではない。しかも、すでに夫を持つ身である。当然、当時の私も、自らを子供だなどとは微塵も思っておらなんだ。
「城に興味があるのかもしれんが、ここはお前のような百姓のガキが入る場所ではない。他の者に見つからぬうちに、とっとと出て行け」
「え?」
(もしや、私と気づいておらぬのか?)
確かにこの出で立ちでは、若殿の奥方とは思わぬであろう。さて、どうするべきか――名乗るか、とぼけるか――などと逡巡していると、庭番は周囲を見回し、裏門へと向かった。
「いいか、今日のことは誰にも申すな。それがお前のためだ。城中に忍び入ったなどと知れたら、お前だけでなく、お前の親兄弟にまで累が及ぶぞ」
と、庭番は囁くように言った。
「それに、わしも叱責を受ける。お前のようなガキのせいで、そんな目に遭うのはご免被る」
などとぶつぶつ言いながら、庭番は私を城外へとつまみ出した。まるでゴミを投げ捨てるかのごとく、ポイッ、である。
(ん? んんん?)
これは――えっと、要するに外に出られた、ということか? 否、よいのか?それにしても、私はまるっきり百姓の小娘に見えたということか。……まあ、確かに美人とは言い難いし、こんな格好をすれば尚更に姫には見えぬであろう。とはいえ、何とも釈然とせぬ。なぜ気づかぬ?無論、尾張に来てまだ三日しか経っておらぬ。私の顔など、婚礼の宴に出た者でなければ分かるまい。いや、出席していた者でも覚えておるかどうか怪しいものだ。などと思っていたところ、目の前に信長が現れた。
「お前、なんでこっちに飛び降りなかった?できたろう?」
「それは……」
「臆したか」
「造作もないことよ。ただ、逃げれば騒ぎになるであろうに」
「ふーん。まあいい。ついて参れ!」
そう言うと、信長はまた、さっさと進み出した。歩いておるのか走っておるのか分からぬような速さだ。私は完全に小走りで追いかける羽目となった。歩幅というものを考えよ。女子が後ろにいるという事実を、もう少し念頭に置いてもよかろうに。――とはいえ、あまりに女扱いされればされたで、それはそれで腹立たしい。我ながら厄介なものよと思う。
しばらく行くと、川原に出た。そこには信長と似たような身なりの若者たちが集まっていた。先日、行列の前に出た者たちか。どう見ても百姓の子倅にしか見えぬが、もしかすると、この者たちも武家の者なのだろうか。
「大将、なんだ、その女? どこで拾ったんだ?」
「見慣れねえ顔だな。どこの百姓娘だ?」
「そんな醜女、この界隈にいたか? 物乞いか?」
などと、好き勝手に口々に言いやがる。すると信長は、またあの不敵な笑み――というより、面白がっているとしか思えぬ顔をして、胸を張り、
「こいつは俺の嫁だ!」
と、声高らかに言い放った。
その言葉に、そこにいた者たちは一瞬ポカンとした顔をしたが、次の瞬間、全員一斉に噴き出した。
「ブハッ!」
「アーハッハッハッ!」
「大将、ふざけちゃいけねえや!」
と、腹を抱えて笑い転げる。一体全体、何がそんなにおかしいのか、さっぱり分からぬ。
「大将の嫁って、美濃から来た姫様だろ?」
「そりゃあもう、大層美しい姫だって噂だ。だが、その女子は……」
と言って、またも笑い転げる。――なんたる屈辱。
信長は私を笑い者にするため、わざわざここへ連れ出したのか。そう思うと、今朝、切り捨ててしまわなかったことが悔やまれてならぬ。父様から預かったあの小刀で、喉元を掻っ切ってやればよかった、と改めて思った。私は大きく息を吸い、口を開いた。
「だまりや!妾は、そなたらに笑われる謂はない!人の容姿を見て嗤うとは、笑止千万!首を切り落としてくれるわ、そこに直れ!」
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