輿入れー⑤:興味津々――尾張での幕開け
初めての脱出
――では、ない。全く想像がつかぬ。一体どんな格好になるというのだ。……とは思うたが、信長のように従臣も連れず、自由に外を歩けるのかと思えば、「尾張とは、なんと自由なところよ」と、驚きと共に心が少し躍った。けれど、信長のその言葉に驚いたのは、私だけではなかった。
「若殿、何を仰せですか! お方様を連れ出すなど、もっての外!」
と、政秀が眉を吊り上げて信長の前に進み出た。
「駄目なのか?」
「良いわけがござりませぬ。もう少し分別をお持ちくだされませぬと……」
政秀は眉をひそめたまま、深い溜息を吐く。
「じいは、何かとうるさいのう」
信長はしらけたような顔をして、私を置いてそのまま部屋を出て行ってしまった。
(なんだ、外出は無しか……)
と、私が意気消沈したことは、言うまでもなかろう。
「お方様、大変申し訳ありませぬ。若殿には、私めが……」
政秀は床に頭をつけて、深々と平伏した。どうやら殿の様子に私が驚いて、婿殿のウツケぶりに落胆しておるとでも思っているようだ。まさか私が信長と一緒に外に出たいと思うていたとは、まるで考えておらぬのだな。
「殿は、きっと何かお考えがあるのであろう。お気にされますな。あのままで良いと、私は思いますよ」
と私が答えると、政秀は返って驚いたようで、ぽかんとした顔をしたが、すぐに気を取り直し、頭を下げながら退いた。
平手政秀は、殿の守役である。律儀で忠誠心が厚く、無骨ではあるが正直者。裏表がない人物のようだ。ただ、その真っ直ぐすぎる気性ゆえ、表に見える様がすべて、と捉えてしまう節があり、信長のことを案じながらも、持て余しておるようにも見える。きっと、妻を娶れば、信長も少しは落ち着くであろうと思っていたのだろう。さて、私がその願い通りの妻であるかどうかはいかがなものであるか、とは思うが。
当の私は、一瞬でも外を駆け回れるかと思うた期待が破れて、思いのほか落胆しておったのだから……。
「おい……」
皆が座を外して暫くすると、部屋の外から声がする。振り向けば、そっと襖が開き小汚い布切れが投げ込まれた。何事かと思い、それを拾い上げながら開いた襖の方を見ると、信長が顔を覗かせる。
「それに着替えて、ついて来い」
と、信長は笑った。私はその布切れを広げる。着たことはないが、どうやら百姓女の着物のように見える。かなり古びてはいるが……。
「これを、私が着るのでございますか?」
「嫌か?」
「そうではありませぬが……」
帯がない。布切れを巻いてあった、紐のようなものがあるが、これを帯の代わりにせよということか。どうにも着方がわからぬ。
「ちょっと待っていて下され」
私は襖を閉めて、今着ている着物を脱ぎ捨て、それを身に着けてみた。……が、なんだか胸がはだける。これは少々恥ずかしい。どうしたものかと脱ぎ捨てた着物を見る。そうだ、今まで着ていた物の下布を肌着代わりに巻けば、うまくいくのでは? と思うたら、これが予想以上にうまくいった。
「こんな感じで、いかがでしょう?」
「ほう」
信長は、着替えた私の姿を少し驚いたような顔で見たが、ニヤッと笑って見下ろした。
「何か、おかしゅうございますか?」
「いや、上々!」
そう言って、信長は今度は愉快そうに頷いた。
「して、これからどうなさるのです?」
「城の外へ出るぞ!」
「よろしいのですか?」
「良い良い。とは言っても、政秀に知られたらまた大目玉じゃ。だから、こっそり抜け出す。どうだ?」
そう言われた瞬間、私の目が輝いたことは、言うまでもないだろう。お城を抜け出して外に出られるなんて、もう胸が躍る。
(私……もしかして、すごく楽しいところに嫁いできたのでは?)
なんて、思ってしまった。
「バレませぬか?」
「その格好では、誰も姫だとは思うまい」
そんなにうまくいくものか……とは思うたが、信長はそのまま、どんどん先を行ってしまう。遅れてはならじとついて行けば、城の塀をひょいとよじ登って、さっさと外に出てしまった。
(え~~~!?)
まさか、私にもこの塀を越えろと言うのか?ちょっとは手を貸そうとかいう気持ちはないのか。でも、待てよ。確かに、いつもの重い着物を着ていては難しいが、この身軽な装いなら、あるいは……。そう思い、周囲を見回すと、ちょうど手頃な木があった。木登りなら得意だ。私はその木を掴んで登り始める。もう少しで塀の上に飛び移れる、というところまで来た、そのとき――
「おい、そこの女! そこで何をしておる?」
庭番に声を掛けられてしまった。塀の外では、信長がこちらを見てニヤニヤしておる。一体、どうすればよいのだ……。
「さては、城に忍び込んだ間者か?」
と、庭番は私を威嚇しながら刀に手を掛けた――万事休す!
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