輿入れー④:成敗寸前――盗人と思いきやまさかの…
ウツケと槍
「ふざけたことをぬかすな!」
いくらウツケとはいえ、こんな小童が殿であるはずがない。どうせ盗みに入った小悪党か何かであろう。よりにもよって殿の名を騙るとは、不届き千万。私はそこにあった長槍を手に取り、すぐさま男の喉元へと斬りかかった。
男は軽々と私の槍をかわす。想像よりはるかに身が軽い。この身のこなし、百姓などではあるまい。もしや忍びの者か。
「面白れぇ!」
男の声に、聞き覚えがあった。こちらへ来る道中で出会った、あの若い百姓——ただの百姓ではなかったのか、賊か。今風に言えば怪盗、というやつか。私はそのまま一太刀、二太刀と斬りかかるが、掠りもしない。なんという素早い動き。この私の太刀をこれほどにかわすとは。
「おのれ……!」
男は、自らの持つ四尺はあろうかという長太刀を振りかざす。だが、私は槍でそれをはねのけた。このような無頼漢にやられるほど、私は柔な乙女ではない。今までどれほどに剣の腕を磨いてきたことか。槍も刀も、男に勝るとも劣らぬと自負しておる。
「この盗人め、成敗してくれよう!私の寝所に入ったのが運の尽き、覚悟せよ!」
そう叫び、私はさらに男へと迫った。数分……いや、もっと長い時間だったかもしれぬ。男は巧みに私の槍をかわし続けるが、負ける気など毛頭ない。そう思った、その瞬間——男の太刀が私の喉元へ、私の槍が男の頭上へと振り上げられた。あと一寸、というところで、勢いよく部屋の襖が開いた。
「何事でござりますか!」
飛び込んできたのは、平手政秀。後ろには、青い顔をした女中や家来たちが、物々しい様子で続いておる。どうやら物音に気づいて駆けつけたようだ。
「曲者じゃ!」
と、私は咄嗟に叫び、そのまま槍に力を込めた。盗人など、この場で首をはねても構わぬだろう。しかし、その時——
「若様!」
と、叫ぶ政秀の声が耳に飛び込んできて、私は手を止めた。私の槍は男の額から一分と離れぬところに。男の長太刀は、私の喉元に今にも触れんばかりにあった。襖を開けてそに立ち尽くしている政秀は、私達を見てブルブルと震えている。
「こ、これは……いかがな有様で……」
(えっ……今、若様って言った……?)
「おう、じぃ!今、帰ったぞ!」
男は目をひん剥いている政秀に向かって、にこやかにそう言った。ということは……この男が本当に、殿?つまり、尾張のウツケ、織田信長なのか?
「“今、帰った”じゃありませぬ!一体どこで何をされていたのですか!何日も城をあけられて、しかもこれは……何をしておられるのですか!」
「この者に、武芸の手ほどきをしてやっておった」
「はあ……?」
「“この者”とは、何を仰せですか! お方様ですぞ!」
「なかなかに豪傑、いや、傑作な女子じゃ。全く美しくはないが、気に入った!」
(この男……!)
男——いや、信長。いやいや、殿か。にしてもなんだその言い草は。武芸の手ほどきをしてやった? それはこっちのセリフじゃ。何が“美しくはないが気に入った”だと。……ん? 美しくはない……うん、まあ、それはその通りだから仕方あるまい。そこは十分自覚しておるし、悲しいかな、言われ慣れてもおる。家臣に陰で笑われるのは面白くないが、別に卑下もしておらぬ。でも、気に入った……? 気に入ったのか。そうか、それなら——まあ、暴言は許してやらんでもない。それにこのウツケ、想像以上に面白い男かもしれぬ。私もまあまあ、気に入らぬこともない。
「またしても、そのような成りで……ご自分の立場を何と心得ておられるのですか!」
「いつも言っておるだろ? これが一番動きやすい。着る物など、ただの上辺だ。それで人の中身が分かるわけでもあるまい。というより、そんな見かけに左右される輩が、この世には多すぎる」
なるほど、道理だ。この男——信長という男、やはりただのウツケではない。
「だからそなたも、見た目は麗しくなくとも、わしは全く気にしない。案ずるな!」
(ほう、それはそれは……)
って、私が喜ぶとでも思っているのか。前言撤回。この信長、やっぱりウツケだわ。言葉の意味を分かっておるのか。私は主の嫁にあるぞ、少しは配慮せんか。
(いや、待てよ……)
さっき私の喉を本気で搔っ切る気ではなかったか?こやつは私を妻だと知っていたはず…いや、違う。この男から殺気は感じなかなんだ。ということは私は手加減された?それはそれで、さらに腹立たしいわ。
「それはお優しいお言葉、いたみ入ります。殿もまた、見た目通りのお人柄のようで……そのお着物が大層お似合いでございますこと」
と、にこやかに笑って答えはしたものの——きっと、私の眉間には青筋が立っていたであろう。頬がヒクヒクしている気がする。私の言葉に、信長はニヤッと笑う。
「ほう、そうか、似合っておるか!ではそなたにも進物してやろう。今日はこれを着て、わしと外に出るぞ!」
「え?」
いやいや、まさか私に、あの半裸のような着物を着ろと申すか? そのまま信長を凝視していると、
「案ずるな。女子の着物は、一応、胸は隠れる」
と、信長は実に嬉しそうに言った。
(おーなるほど!)
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