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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
二.輿入れ
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輿入れー③:現れぬ夫──那古野の初夜

信長とは――

周りの者たちも「若殿はどこじゃ?」「早う連れて参れ」と右往左往しておったが、殿が婚礼の儀式に姿を見せることはついぞなく、私はひとり皆の前で晒し者となっていた。


(あんのクソウツケ……!)


などと、顔も知らぬ殿に対し心中で悪態はついておったが、それを表には決して出さず、涼しい顔はしていたが。悔しがるのも腹立たしいというものだ。

 殿の身の周りを取り仕切る平手政秀殿は、冷や汗を流しながら頭を垂れるばかり。見ていて気の毒になるほどであった。もし、殿が現れるまでこの宴席に鎮座させられていたならば、さすがの私も耐えられなかったであろう。


 婚礼の日に夫が姿を見せぬなど、まことに惨めなことよ。


 1度目の夫も、2度目の夫も、私が気に入らぬ嫁であったに違いないが、それでも婚礼をすっぽかすような真似はせなんだ。一応は大名家の婚儀における礼儀というものを弁えていたということであろう。私とて、好んで嫁いで来たわけではない、最低限の礼節は互いに守って然るべし、だ。


 共に来た美濃の従臣たちも、憤懣やるかたないといった様子であった。もっとも、それは私が哀れだというわけではなく、こちらが軽んじられたという屈辱からであろう。それでも、その苦々しい顔つきはなんとも滑稽で、それはそれで面白くて少しニヤつきそうになった。涼しい顔を保つのも骨が折れる。


 城中内外をくまなく探したそうだが、信長の姿はとうとう見つからなかった。だが、このようなことは珍しくもないみたいだ。侍従たちの口からは「またか!」「今度はどこに隠れたのだ」などと、慣れた調子の言葉が飛び交っておった。


 信長は城に留まることほとんどなく、いつも外で若者たちを引き連れ、野山を駆け回っておるという。大事な接見すら放り出し、外で遊び回っていることも少なくないとのこと――なるほど、聞きしに勝るウツケぶりよ、と感心すらしてしまった。


 城下でも呆れられていると聞くが、それにしても、自らの婚儀すらすっぽかすとは……。しかもこの婚儀は、殿の父・織田弾正(おだだんじょうの)忠信秀(じょうのぶひで)より、我が父へ申し入れた婚儀であると言うのに。全く、私の立場というものを少しは考えてみよ、と申したきところだ。その上、口さがない者どもは、殿が私の姿をこっそり見て逃げたのでは、などと囁いている。……さすがに傷つくわ。


 そんな事を思っていたら、ふと先ほど会った市姫の顔が脳裏をよぎった。あの姫君は、わずか三つとは思えぬほど、誠に美しかった。まるで大人の女もかすむほどの美貌。あのような姫児が妹におられれば、私など霞んでしまうのは道理ではある……。

 

 世の男たちは、往々にして美しい女が好きなのである。自分の女房が醜女(しこめ)であれば、がっかりするのも無理はない。もしこの世の女が顔だけで婚儀が決まる時代であったならば、私など100%売れ残っていたに違いない、と本気で思っている。


 寝所へと案内され、私は婚礼衣装から寝間着へと着替えさせられ、殿が来られるのを、ただひたすらに待つ。しかし夜が白々と明け、小窓から陽が差し込む刻限になっても、殿はとうとう姿を現されなかった……やはり親に押し付けられた女など、嫁に迎えたくはなかったということか。


 ただその事に私は落胆の念と同時に、奇妙な安堵も胸に生まれたのは我ながら複雑である。実のところ私はこれまでに2度夫を持ちながら、いまだ1度も(しとね)を共にしたことがないのだ。1度目の婚儀は9歳、2度目は11歳。まだ幼かったゆえというのもあろうが、婚姻生活もいずれも1年にも満たず、寝所を共にしたと言っても、それはただ同じ部屋で寝ていたと言うだけのことだ。枕を共にした事はない。


 ゆえに、今回の夫――3度目ではあるが、心のどこかで初めて“男”を知ることになるのかと、覚悟しておった。十五にもなったのだから、夫と(ねや)を共にするという意味くらいさすがに理解しておる。だが……正直に言えば、それがひどく嫌だった。昔から、血縁でない男に触れられると、鳥肌が立つほど気持ち悪い。だから安堵したのだ。けれど――それとは別に、腹立たしさも湧いてきた。


 初夜を放り出すなど、いかにも礼を欠いた振る舞いではないか。一国の嫡男たる者が、することか。矛盾しているとは思いながらも、同じ寝所にいるくらいの思いやりがあっても良いではないか、と思わずにいられなかった。


 その後、三日三晩が経とうとも、殿が寝所に現れることはなく、さすがに私は、このまま夫の顔も知らぬまま、この那古野城で朽ち果ててゆくのでは――などと、そんな不安すら覚えた。


 そして四日目の朝のことである。誰かが私の顔を覗く気配を感じて目を覚ました。鼻先にある男の顔に思わず飛び起き、私は生まれて初めて畳に尻を着けたままものすごい勢いで後ずさりをした。


 改めて見直しても、そこにおるのは、どう見ても侍には見えぬ。先日見た百姓の倅と同じ、野良着のような出で立ち――いったい、どこから忍び入ったのか。さっきは近すぎて驚いて跳ね起きたゆえ、顔ははっきり見ていない。改めて見ようにも、今度は逆光で、輪郭しか見えぬ。


「誰じゃ?!」


私の問いかけに、男は軽々とした身のこなしで飛び退き、仁王立ちして名乗りを上げた。


「わしは織田上総(おだかずさの)介信長(すけのぶなが)じゃ!」


(……はあ!?)


お読みいただきありがとうございます。

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