輿入れー②:無礼な童――まだ見ぬウツケ殿
現れぬ殿――
尾張に入った途端、まるで寸劇のような展開に遭うとは。ここでの暮らしは、なかなか面白くなりそうじゃ――と、私はワクワクせずにはおられなんだ。
されど、そう浮かれてばかりもいられぬ。こんなところで百姓の子倅と血生臭いことになったら、寝覚めが悪い。何と言っても、私はこれから婚礼を挙げる身。こんな日に血を見るなど、好まぬし、検が悪いというものだ。
それに、戦でもないのに無闇に人を斬るなど、侍の本分にもとる。侍が刀を振るうは戦場においてこそ。それ以外では、ただの人殺しにすぎぬ。それは、決してあってはならぬことである。ましてや、侍が百姓を「無礼打ち」と称して命を奪うなど、弱き者への虐げに他ならぬ。逆らえぬ者を痛めつけて何が面白いのやら。それがどれほど武士の格を貶める行いか、もっと心得るべきだと私は思っている。
「待ちや!」
駕籠の中より声をかけると、今にも切りかからんとする勢いであった男の動きが、ピタリと止まった。
「今日は妾の輿入れの日ぞ。無用な血を流すでない」
「ははっ!」
重臣たちはその場にかしづき、やがて立ち上がると、行列は何事もなかったかのように再び動き出した。
さきほどの童は、不敵な笑みを浮かべたまま、通り過ぎる私の駕籠をじっと見つめておった。頭も下げぬとは、なかなかいい度胸をしておる。浅黒く日に焼けた細面の、どこか繊細な顔立ち。あまり百姓らしからぬ面じゃ。とはいえ、なんという怖いもの知らずの童やら。尾張というところは、巷では無礼講が常なのか――私はそれまで、侍の行列の前に立ち塞がる百姓など見たことがなかった、などと考えながら、3度目の夫が待つ那古野城へと辿り着いた。
天文18年2月24日(1549年3月23日)、3度目の婚礼の日。恭しく私を迎え入れた重臣たち――その誰もが、私の顔を見て一瞬「え?」という表情を見せおった。
どうやら美濃より来る斎藤の姫は、たいそう見目麗しいという噂が流れていたらしい。皆の頭に浮かんでいるであろうことは、容易に想像がつく。噂と実際はかくも違うものか、と何人もが俯きながらがら忍び笑いを浮かべておる。……勝手な噂に困惑しておるのはこちらの方だと言うのに。まったくもって、迷惑この上なし。私は内心、肩を震わせながら笑いを堪える侍従たちを張り倒してやりたい気持ちであったが、それを顔には出さずしずしずとその前を歩いた。
(クッソ無礼な輩たちじゃ!)
などと心の内で悪態はついていたが。
その後、似合いもしない婚礼衣装に着替え、重臣たちが並ぶ座敷に案内され、用意された壇上へと座す。そこへ重臣たちが次々と顔を見せ、挨拶を述べてゆく。そして、殿の妹だという幼き姫もやって来た。
「市にごじゃりまする。姉上様には、遠路はるばる、ようこそおいで下しゃいました」
やや舌足らずながらも、そう言って頭を上げた妹児の顔を見た瞬間――
(うわっ!)
思わず声が出そうになった。なんと麗しい姫御前であろうか。いや、そう呼ぶには、まだまだ幼き姫児である。信長より13も歳の離れたこの姫は、御年わずか3歳。それでも、すでにその美しさは群を抜いておった。
私はこれほど美しい女児を生まれてこのかた見たことがない。女である私でさえ、思わず見とれてしまうほど。まるでこの世のものとは思われぬ、人形のような美しさに思わず息を呑んだ。このまま大人になったら、いかほどの美姫となるやら想像するに難くない。私の母、小見の方も兄の母である深芳野様も、確かにお美しき方々であった。されど、この姫の美しさはその比ではない。
こんな美しき妹御のいる殿のもとへ嫁いだのかと思うと、我が身がみるみる縮こまる思いがした。これでは城中の者たちが私を見て内心笑うのも、無理からぬことであろう。
今さらながら、私はなぜもう少し美しく生まれてこなかったのかと、少しばかり悲しくなった。殿は私を見て、なんと言うであろう。そう思うと、ため息しか出てこぬ。
それでも、私は殿のおいでを今か今かと待っていた。されど、朝まで続いたという宴の席にも、殿はとうとう姿を現さなかったようだ。「ようだ」と申すのは、私がその宴に朝まで同席していたわけではないからである。今で言えば“新婚初夜”。主役たる新郎新婦は、宴の中ほどで寝所に赴くのが常である。ゆえに私も途中で中座し、寝所へと案内された。
婚礼の席にてどのような男か、せめて一目顔を拝みたかった。それが叶わぬとは……。私は噂に聞く“ウツケ”の面を、一刻も早くこの目で確かめたかったのである。
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