それそれの動向ー⑩:血に濡れた理──明智の娘、幽閉の夜
築山殿の悲劇
その声は、まるで己の弟子に向けるもののようであった。藤孝もまた、信長の死に際して心を揺らしていたのだ。そして老臣としての義理を貫き、剃髪し「幽斎」と名を改める。その潔さに、私は少しばかり感嘆する。そう、あの男は、己の立場を守ることにかけては抜け目がなかった。
忠興は、妻のもとに行った。
「玉」
その声を聞いた瞬間、玉の肩がわずかに震えた。
「父君が何をなしたか……お前も、分かっておるな」
玉は静かに頷く。
「……お前を、このまま屋敷に置くことはできぬ」
その言葉は、妻を想うものではなく、武士としての決断であった。だが、忠興の声は微かに震えていた。怒りか、悲しみか。おそらく、そのどちらでもあったのだろう。
玉は身の置き所のなさを痛感した。父が心に何を思って行動に出たのかは分からぬ。だが、それなりの理由があったのだろう。さりとて、それを肯定することもできぬ。というところであろう。どう考えても、夫が父・光秀に与するとは思えなかった。そして、玉自身もそれを望んではおらなんだ。玉は顔を上げた。
「承知しております」
「そなたに罪はない。だが世は血筋で人を裁く。……光秀殿にどれほどの人がつくか。多分、長くは持つまい」
「私もそのように思います」
「例え信長公が亡くなったとしても、謀反人である父君につく者は多くはない。信長公は冷徹で非道であったが、それでも天下を導いた男。謀反では、理は通らぬ。わが細川家も舅殿につくことはできぬ」
「はい……」
玉は膝の上で手を重ね、視線を落とした。
「お前を幽閉する。誰にも会わせぬ。……それが、そなたを守る唯一の道だ」
そう言われた玉は、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「あなた様は……お優しいのですね」
その微笑は、泣くよりも痛かったに違いない。忠興は、ただ静かに部屋を出ていった。謀反人の味方ではないと、妻の首を差し出すこともあってしかるべきなのを、幽閉に留めたのが忠興にできる最大限のことであったであろう。
その背を見送りながら、玉は灯の消えかけた蝋燭に目を落とした。父の理想が消え、夫の義が残る。そんな夜であった。
……後に玉は、戦乱の果てにキリシタンの洗礼を受け、「ガラシャ」と名を改める。その名の意味を知ったとき、私は胸の奥でひとつ、風のような笑いをこぼした。やはり、あの父の血は、易々と滅びはせぬのだと。
そしてもし信長が生きておったなら、光秀一族すべての首を差し出させたであろう。あの男に情などない。裏切りの咎を赦すはずもない。この時私はふと、別の女性の最期を思い出した。徳川家康の正室・瀬名姫、すなわち築山殿のことだ。
彼女が本当に武田に通じていたのか、今となっては誰にも分からぬ。ただ、信長に「家康、妻子を誅せよ」と命じられたとき、家康がどんな顔をしてそれを受けたのか、想像に難くない。築山殿と嫡男・信康が殺されたとき、世は「家康が忠を尽くすために妻を討った」と騒いだが、そんな単純なものではあるまい。
築山殿には何度か会うた。あの方は、涼やかな目をしておった。男を立てつつも、決して心を許さぬ女。家康のような優柔不断な男には、それが堪らなかったのかもしれぬ。されど、家康もまた、彼女の聡明さを心のどこかで誇りに思っていた。そういう夫婦だった。互いを愛しながら、信長という化け物の影に押し潰されたのだ。
もしかしたら妻子が生き延びる術を画策していたのかも知れぬが、叶わなんだ。思えば、信長の命令に逆らえる者など、当時ひとりとしておらなんだ。家康とて例外ではない。信長に刃を向けることなど考えるだけでも、恐怖に近い思いが立ったのやもしれぬ。そして結局は己の立場を守るため、妻と子を手にかけるに至った。男の理とやらは、かくも残酷なものか。
もしあの時、築山殿が武田に通じておらなんだとしても、信長の猜疑の目が向いた以上、逃れようなどなかったろう。そういう時代だった。いや、今の世もさほど変わらぬ気がする。疑われた者が悪い、そうやって人は生き延びるのだから。
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