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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三部 十四.それぞれの動向
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それぞれの動向ー②:闇の中――恐れを知る家康

暗闇に震える男

 しかし、そう決めたものの、帰路が問題であった。京都を通って帰ることはできぬ。光秀はすでに京都周辺を掌握しておる。出くわせば一巻の終わり。東海道も封鎖、または監視されていると考えた方が良い。信長と同盟を結んでいた家康は、光秀にとって敵以外の何者でもない。


「とにかく、生きて三河へ帰ることが先決!」


その一点においては、もう誰も異を唱えなんだ。だが、そこからが問題であった。


「こうなっては、伊賀の山中を抜けるしかないでしょう」


そう言い出したのは、服部半蔵正成であった。目の奥に宿る光は鋭く、まるで山そのものを見通すようであった。


「簡単に抜けられるような道なのか?」


家康が問う。長年の人質生活で辛抱強さは得たものの、あの男は決して野山を駆けたことなどない。ま、はっきり言って軟弱な男よ。半蔵は静かに首を振った。


「簡単……ではございませぬ。道なき道を行くことになりまする。崖をよじ登り、谷を渡り、獣の通る跡を道とするような……」


家康の顔が曇る。


「そ、そんな……馬は通れるのだろう?それならば……」

「いえ、馬が歩けるような平坦な道ばかりではございませぬ。時には馬を捨てねばなりませぬ」

「馬を……捨てる?」

「まあ、崖をよじ登れる馬でも降りましたら良いのでしょうが」


及び腰になっている家康に半蔵が、皮肉交じりに応える。このようなところが家康の人間らしいところだと、家臣たちもとおの昔に承知しておったが、時にため息をつかずにはおられないことも少なくなかったようだ。


「そんな芸当の出来る馬がおったら、苦労せぬわ!どうせよと言うのだ……」


このときの家康の狼狽、目に浮かぶようじゃ。後に天下を取る男とはいえ、この頃はまだ“弱き者”の影を色濃く宿しておった。


「我々には、立派な足があるではありませんか!」


榊原康政の言葉に、家康は肩を落とした。


「まさか……徒歩で行くと申すのか? 山の中には、獰猛な獣もおるのではないか? 熊とか……」


肩を小さく震わせる家康を見て、半蔵は思わずため息をついた。この時、きっと家臣たちは籠にでも乗って逃げられると思っていたのかと、内心感じていたに違いない。


「だからこそ、追っ手もかかりにくいのです。熊より恐ろしいのは人の執念でございましょうな」


半蔵の言葉に、家康は息を呑み、何とも情けない顔をして頷いた。


「わかった。そちに任せる」


「御意。道案内も護衛も、この服部半蔵が務めまする。伊賀は、我が故郷にございますゆえ」


こうして家康一行は、伊賀の山を越えて浜松を目指す事となり、山霧の中を進み始めた。夜の伊賀は静かでありながら、何かが潜む気配に満ちておった。足音一つが命取りになる。半蔵の忍びたちは、闇に紛れ、家康一行の前後を固めていた。まるで山そのものが彼らを隠しているようであった。梟の声が響けば、忍びのひとりが囁く。


「梟はよい兆し、夜を渡る者の守り神にございます」

「そうか……ならば、ありがたいことだ」


家康は震える声で返したという。しかし、次の瞬間、藪の奥で何かが動いた。


「熊だ!」


家康が叫ぶと、康政が慌ててその口を塞いだ。


「静まられよ!熊ではなく、我らの斥候でございます!」


現れたのは、泥まみれの忍びのひとり。敵兵の探索を終え、戻ってきたところであった。それでも家康の顔は青ざめ、手は震えておった。その道中も、敵が潜んでいるのではと怯え、足音がすれば「追手だ!」と一目散に隠れ、家臣たちを呆れさせた。


 全く……これで天下を取るのか。よく生き残ったものよ、と私は感心するばかりである。だが恐れを知る者こそが、時に運を掴むのだ。

お読みいただきありがとうございます。

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