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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十三.本能寺の変
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本能寺の変ー⑨:果てるなら共に――命を燃やす夜

信長の望みー涙と共に

「このわしの首を、光秀ごときにくれてやるものか!」


信長は吐き捨てるように言い放った。火の手が迫る中、奥の間に転がり込み、蘭丸たちが入口を守る。炎が四方から吹き込み、火の粉が舞い上がり、熱気が肌を刺す。


「人間五十年……まさしく、じゃな」


血に濡れた唇から、低くその言葉がこぼれた。そして信長は、あの「敦盛」の舞を始めた。炎を背に、ゆるやかに舞う姿は、まるで天へ昇る魂のようだった。ああ、ようやく解き放たれたのだ。戦に生きたこの人は、死をも恐れぬ舞をもって己を締めくくるのだ。


「胡蝶……そちが嫁いできてくれたおかげで、面白き人生であったぞ」

「殿……それは、私も同じでございます」

「よう今まで、連れ添うてくれた。だがな胡蝶、次に生まれ変わるときは、わしの妻にはなるな」

「な……何を……」


不意に、涙が込み上げた。


「こんな退屈しない人生、他にはありませぬ」

「最後までお前は面白き女子よ。なれば次は田を耕し、静かに生きてみるのも良いかの。子でもなして……どうじゃ」


今まで見た一番穏やか信長の顔が私を見下ろした。


「……それは、ようございます」


この顔をもっと見たい。この優しい微笑みを焼きつけたい。なのに涙が溢れ出てはっきりと見えない。この瞬間、やっと本当に夫婦になれたような気がした。信長と共に、稲穂の波の中で子を育て、飯を頬張る姿が脳裏に浮かぶ。なんと遅き幸福よ。


 信長の手が、私の頬を撫でる。この続きを、あの世でとは……。その瞬間、腰の懐から、ひと振りの小刀の感触を確かめた。それは、かつて父・斎藤道三から授けられたもの。尾張のウツケに嫁ぐ私に手渡したあの小刀。いついかなる時も肌身離さず持ち続けた。これで我が喉を突けば――。


 父の厳しい横顔。「己の誇りだけは斬り捨てるな」と言った。この小刀は、あの日の教えの証。守るための刃ではなく、己を貫くための刃。私は炎に照らされた刀身を見つめた。光の反射が、まるで父の眼光のように鋭く燃えていた。


(父上、私は今、恥じぬ生を歩めておりますか……)


涙の中、信長が微笑む。


「胡蝶、一つだけ言っておこう。わしはそなたを醜女(しこめ)と思うたことは、ただの一度もないぞ」

「……殿……こんな時に何を……」


炎の赤が信長の頬を染め、その笑みがやけに優しく見えた。このお人は、最後まで私を笑わせようとしておられるのか。これが今生の別れか。そう思うと、嗚咽がこみ上げた。


「このまま果てるは、口惜しゅうございます!」


その時、蘭丸が駆け込む。


「お館様!」


衣は血にまみれ、肩は深く裂けている。


「蘭丸! わしの首を落とせ!」

「お館様、な、何を……!」

「胡蝶、そなたは逃げよ!」

「嫌でございます! 共に果てさせてください!」

「ならん! これは命令じゃ!」

「聞けませぬ! 逃げるも果てるも共に!」


信長は、微かに息を吐いた。


「わしはもう進めぬ……すでに、切り刻まれておる。そちはまだ浅傷(あさで)じゃ。命を落とすには及ばん」

「あなた様に嫁いだ時より、天命を共にすることを誓っております!」

「それは……許さぬ」


信長の声が震えた。


「お前には、まだ頼みたいことがある」

「頼み……?」


信長は固唾をのむように傍で見ている蘭丸に目をやる。


「蘭丸、この首を斬り落としたら、胡蝶と共に逃げ落ちよ!」

「何を仰せに……!」

「早うせい!」


燃えさかる炎が天井を焦がす。その紅蓮の光の中で、信長は自らの腹に刀を突き立てた。血が噴き、畳を濡らし、焦げた匂いが立ちこめる


「光秀の手には、落ちてやらぬ……ぐっ、ぐう……っ!」


その声音に、震えるほどの覚悟が宿っていた。私の胸が張り裂ける。信長の命が尽きていく、私の目の前で。


「胡蝶……わしの、この首を持って、逃げよ……誰にも……渡すで、ないぞ……!」

「殿……!」

「蘭丸……お前は、胡蝶と……この、わしの首を……何としても守り……!」


声が掠れ、息が苦し気に喘いでるのが分かる。蘭丸は唇を噛み、刀を握り直した。


「お館様……ご免!」


鋭い一閃――その刃が信長の首を断ち、血しぶきをあげて。私の腕の中に落ちてきた首は、まだ温かかった。これは、悪夢か……?(うつつ)か……?もはや区別もつかぬ。

お読みいただきありがとうございます。

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