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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十三.本能寺の変
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本能寺の変ー⑥:嵐の前の静けさ――天下を掴む手の孤独

孤高の炎ー静かなる前夜

 その夜、支度を整える私のもとへ、蘭丸が顔を見せた。


「お方様、明朝のお出かけに、殿はご機嫌麗しゅうございますか」

「大丈夫であろう……」


蘭丸はいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていたが、目の奥には何か張りつめたものがあった。


「殿は、どこまでもお一人でございますな」


ぽつりと呟くその声に、私は息を呑んだ。


「そなたも、殿の孤独を感じておるのか」

「ええ……あのお方は、誰よりも強く、そして誰よりも寂しい方です」

「高みを目指すということはそういうことかもしれぬな。蘭丸、そなたは殿の味方でいて下され」


私の言葉に蘭丸は静かに頭を下げた。その若き忠義の背を見送りながら、私はなぜか胸騒ぎを覚えた。今思えば、あの夜の京の空気は、確かに何かがざわめいていたのだ。蘭丸もそれを感じ取っていたのかも知れぬ。


 信長は、光秀が備中高松に着く頃合いを見計らい、その動向を見てから自ら出陣しようとしていた。光秀の援軍、そして信長の出陣。敵は恐れ、屈服する。そう確信していたのだろう。


 家康は安土に参上した褒美として、信長の計らいにより堺の町を見物していた。片や戦場、片や物見遊山、まあ家臣と同盟者では扱いが違うのも当然ではある。天下泰平も目前と思い緩みもあった。だが、平穏の影こそが最も深い闇を孕むもの。私はその均衡の脆さを肌で感じていた。


 北国では柴田勝家が上杉景勝と対峙し、前田利家もその麾下にあった。一方、都では信長の嫡男・信忠が妙覚寺に宿し、京都奉行・村井貞勝と共に信長の動静を案じていた。6月1日、信忠は信長のもとを訪れ、慎重に言葉を選びながら進言した。


「父上、さすがに護衛が少のうございませぬか?これでは、もしもの時に……」


言いかけたところで、信長は手を振って笑った。


「馬鹿を申すな。何が起こるというのじゃ。安土は元より、もはやこの京にも、我が敵などおらぬわ」

「それは……仰る通りですが……」


信忠の眉はわずかに寄っていた。彼は信長に似ていた。大胆で、人を惹きつける気迫を持つ。だが、信長よりは繊細で、生真面目でもあった。


 父の影を越えられぬことを、誰よりも知っていて、誰よりも父・信長を愛していた。なれど同時に、その背を恐れてもいた。信長を前にすれば、誰もが沈黙する。信忠もまた、内心の不安を口に出すことはできなかった。結局それ以上は物言わず、信忠は妙覚寺へと戻って行った。


「何やら疲れたのう。わしらも休むとしよう」

「さようですね……」

「どうかしたか?」

「やけに静かな夜だと思いまして。虫の音すら聞こえませぬ」

「そういう夜もあるさ。華やかな都とて、すべてが寝静まる夜もある」

「……こんな夜は、物の怪でも出そうですわ」

「そちにしては珍しいことを申すな。物の怪が怖いのか?」

「まさか。怖いのは、いつの世も“人の心”でございます」

「ふっ。そうよな……」

「あなた様も、お気をつけあそばして。人心というものは、たやすく裏返りますゆえ」

「よう分かっておる。もう寝るぞ。そちも早う休め」

「はい」


信長は床に入り、すぐに寝息を立てた。珍しいことだった。近頃ではなかなか寝付けぬようで、夜中に1人ぼんやりしていることも少なくなかったくらいであるから。私は逆に眠れず、夜半を過ぎても目が冴えていた。虫も鳴かぬ夜ほど、不吉なものはない。そのとき、襖が静かに開いた。


「お方様、まだお休みでございませぬか」


蘭丸が灯を手に、そっと入ってきた。その顔には緊張が浮かびながらも、どこか優しさがあった。


「これを……」

お読みいただきありがとうございます。

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