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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十三.本能寺の変
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本能寺の変ー⑤:光秀の所在――不吉な兆し

秀吉からの援軍妖精

軽口を交わしながらも、どこか胸の奥が冷えた。母となる自分の姿など、一度たりとも思い描けなかった。跡目を巡って争う母らの姿を見て、むしろ嫌悪したほどだ。母性などという温もりは、何故か私の内には宿らなんだ。信長との白き契りは、私にとってむしろ救いであったのかもしれぬ。


「殿は、目標を遂げられた後、いかがなさるおつもりですか?」

「どういう意味だ?」

「天下統一は目前にございましょう?天下人となられた後、次は何をお求めに?」

「そうさのう……海の向こうにでも渡るか」


意外な言葉だった。異国――その響きには、戦に染まったこの地とは違う風の匂いがあった。


「あら、それは面白うございますね。是非、私めもお連れくださいませ」

「一緒に来ると申すか?異国の地など、何が起こるか分からぬぞ。恐ろしい魔物の類がいるやもしれぬ」

「どこなりとも、お供いたしまする。第一、殿以上の魔物など、どこにもおりませぬ」


私がそう申すと、信長は久方ぶりに穏やかな表情を浮かべた。その笑みは、戦場を統べた覇王のそれではなく、若き吉法師に戻ったかのように、どこか寂しげで、人の匂いがした。


「そちはほんに変わらぬのう……」


私を見て信長がしみじみ先と同じ言葉を呟く。その声音には、哀しみが混じっていた。変わっていく、己と変わらぬ私を重ね合わせ、寂しく思うたのであろうか。私とて、何も変わってないわけではないと思うが。時の流れというものは良くも悪くも、人を変えるものであるから。


 でもこの人は、どこまでも孤独なのだと私は思った。高みへ登るほど、誰も信じられぬ。力で従わせ、恐れで縛るしか術がない。確かに“恐れ”は人の心を抑え込むが、“恨み”をも育てる。それを積み重ねれば、いつか弱き者でさえ牙を剥く。


 知っていても止められぬ。彼もまた恐れていたのだ。四六時中命を狙われ、家臣の誰に裏切られるやも知れぬ状況に、身を置き続けることの恐怖。その恐怖を悟られまいという思いが、信長の根底にはあるのかも知れぬ。


*  *  *


 天正10年(1582年)5月29日。信長はわずかな侍従と小姓を連れ、私と共に入京した。今宵から本能寺に逗留し、数日後には秀吉の待つ中国へ向かう手筈である。


 秀吉は備中高松城にて、なお毛利と対峙していた。光秀はその援軍として山陽道を進んでいるはず……そう、誰もがそう思っていた。本来なら光秀に任せておけばよい戦であった。だが、秀吉が「上様が来られねば高松城は落ちませぬ」と何度も文を寄越したため、信長は自ら出陣を決めた。


「まったく、いつまで手こずっておるのじゃ」と、信長は憤慨していたが、どこか楽しげでもあった。頼られることが、満更でもない様子だった。


 光秀のように律儀で理屈を重んじ何でも自分で解決しようとする男より、秀吉のようにここぞと言うところで、頼ってくるところを可愛げがあると見ていたようだ。秀吉は「弱きを装って人を懐に入れる」術を心得ておる。信長にとって、それが心地よかったのかもしれぬ。


「そういえば、光秀からの文が、ここしばらく届いておらぬのう」


ふと信長がそう呟いた。中国へ向かってから便りが来ていない、今まで光秀は、どこかに発った折には、道中の様子を逐一、知らせてきていたのだ。


「道中が険しゅうございますゆえ、遅れているのかもしれませぬ」


私が答えると、信長は「ふむ」とだけ言い、火鉢の灰をつついた。その灰がふわりと舞い、まるで不吉な影のように空に漂った。

お読みいただきありがとうございます。

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