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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十三.本能寺の変
109/118

本能寺の変ー④:信長の試し――若き忠義の者

嫁いだ果てー30年という年月

「お館様!ご乱心召されますな!」

「乱心だと?こやつが手にしている小刀が見えぬか?わしに刀を向けおったのだぞ!」

「お方様を、お館様自らの手で斬って捨てたなどと周りに知れたら、面目が立ちませぬ!」

「そのようなこと、どうでもよいわ!」

「……分かり申した。それでは、私が代わりにお方様の首を撥ねてみせましょう」

「何?」

「お館様の手を、お方様の血で汚すわけには参りませぬ」


蘭丸の声は、若さの中に不思議な静けさがあった。この状況下で、こんなことを言い出せるのは蘭丸の他にはおるまい。されど、私も信長がどれほど怒り狂おうとも、私を本気で斬るとは思うておらなんだ。そこまで凶刃に成り下がってはおらぬと。


 しかしながら、もし本当に刀を振り下ろしてきたら、相打ちにするくらいの覚悟は持っておったがな。だいたい信長も、あれほどの大声を出したのは、ここに蘭丸が飛び込んでくることくらい、承知の上であろう。襖1枚隔てただけの場所に控えておるのであるから。


 もう五十歳手前だというのに、大人げないところは、嫁いだ頃のままである。そう思えば、まだ十七歳の蘭丸の方が、ずっと落ち着いて見える。どういえば、信長が引くかよう心得ておる。


 そのとき、彼はそっと懐から小さな護符を取り出し、私の前に落とすように差し出した。掌に収まるほどの布包み。信長の目を盗むようにして渡されたそれには、焼け焦げた香の匂いがかすかに残っていた。


「……お怪我なきように」


声にならぬほどの小さな囁き。忠義とは、時に命よりもまっすぐなものだ。この子の純粋さは、まるで春先の白梅のようだ。そのあと、信長はしばし沈黙し、そしてふっと息を吐いた。どうやら蘭丸の一言で、熱が少し冷めたようである。


「もうよいわ……お前のせいで気がそがれた」


そう言って、信長は刀を鞘に納めた。


「蘭丸、世話をかけましたね。もう下がってよい」


私が言うと、蘭丸はちらりと信長の顔を見た。


「大丈夫、殿の首を突いたりせぬゆえ」


と私が笑みを浮かべて言葉を重ねると、彼は小さく頷いて部屋を下がった。


「ちっ!相変わらず口の減らぬ女子よな」


信長がどかりと座り直して言い放つ。私はため息をつきながら、護符を袖にしまった。


(――試しておるのだろう。いつものことじゃ)


信長は時折、こうして周囲の者を追い詰め、どこまで耐えるかを見ていた。それは狂気の一端でもあり、また、彼の人を見る“試し”でもあった。家臣も、妻も、皆その眼に測られていたのだ。


 だが、私はもう、試されることに慣れてしまっておった。あの人が何を見ようとしているのか、本心など、とっくに分からぬ。それでも、あの炎のような眼を、私はまだ嫌いにはなれぬのだ。


「昔もこんなことがありましたね。あの時は政秀殿が血相変えて飛び込んでまいりましたが」

「ああ……そうじゃったな。あれから、もう何年になる」

「三十年ほど、経ちましたでしょうか」

「もうそんなに経ったか。ついこの間のことのように思えるのにな」

「ほんに……」


信長は火鉢の灰を弄びながら、遠い昔を見るように目を細めた。灰が静かに崩れ落ちる音が、時の流れの儚さを告げるようであった。


「そちは今も剣の腕は立つようじゃな」

「あなたのような男を夫に持ちますれば、いつ命を狙われるか分かりませぬゆえ」

「わしの寝首を狙うておるのは、そちではないのか?」

「私が子でもなしておりましたら、それもあったでしょうね。我が子に跡目を継がせたくて」

「ふっ、それはそれで想像がつかぬわ」

「まあ、私もですわ。意見が合いますことで」

お読みいただきありがとうございます。

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