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蝶の舞 ー濃姫ー  作者: 麗 未生(うるう みお)
十二.武田家の滅亡
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武田家の滅亡ー⑥:裏切りの連鎖――勝頼最最後の夜

辿り着いた最期の場所ー天目山

 小山田信茂は武田信玄の従弟にして、甲斐国衆の名門である。代々は郡内地方を治め、山間の要害を固める重鎮であった。勝頼にとっては最後の頼みの綱ともいうべき存在だったが、その信茂こそが武田家の棺に最後の釘を打ち込んだ男となったのだ。


 勝頼は敗走ののち、天目山へ落ち延びる途中で信茂を頼った。長年の縁を信じ、「せめて一夜でも匿ってほしい」との思いがあったであろう。ところが、門前に立った勝頼を迎えたのは冷酷な使者であった。


「恐れながら……殿にはお目通り叶いませぬ」


無情な言葉が返された時、勝頼はさぞ愕然としたに違いない。信玄の代より家中を支えた従弟にまで見放されたのだ。これではもはや、どこへ行こうとも寄る辺はない。


(裏切りというものは、連鎖するのだな……)


勝頼がそう痛感したであろうことは、私にもよく分かる。義昌が信長に通じ、小山田までも背を向けた。武田という巨樹は、根を喰われ、幹を裂かれ、ついに立つこともできなくなったのだ。


 天目山の麓に追い詰められた勝頼は、その夜、わずかに残った家臣と家族と共に囲炉裏の火を囲んでおった。外では春まだ浅き風が冷たく、すでに桜がほころぶ京の景色とはあまりに遠い。甲斐の山奥に響くは、敗残の兵が漏らす呻き声ばかり。


 勝頼の傍らには、正室の北条夫人、そしてまだ若き嫡子・信勝が寄り添っていた。北条夫人は元々は信玄の側室であった女性である。勝頼はしばし黙し、それからゆるりと首を振った。


「もはやこれまでだ。父・信玄公の代に集めし万の旗も、今やこの四十騎にすぎぬ。逃げ延びる道もなければ、援ける者もない」


その声には不思議と澄んだ響きがあったという。だが、心中はさぞ無念であったろう。信玄という巨星の子として生まれ、常に「父に及ばぬ」と囁かれ続け、家臣の心をひとつに束ねることもできなかった。いや、束ねる前に裏切りの刃が背を穿ったのだ。


 小山田信茂、木曾義昌、穴山梅雪……いずれも信玄公ゆかりの者どもが次々と離反した。勝頼はその名をひとつひとつ口にし、しばし天井を見つめて黙したという。裏切り者を恨むよりも、自らの力及ばずを悔いたのであろう。


 勝頼の最期の夜、その名を世に残す武人の一族であるのに、その姿は、まことに凄絶であった。その場に私はおらぬ。されど後に伝え聞いた話を、今も鮮やかに思い描くことができる。


篝火のもと、勝頼は囲炉裏の火を見つめ、深い吐息をついた。


「……皆、ここまで苦労をかけたな」


古くからの家臣・小宮山内膳が声を震わせたことであろう。


「御屋形様、武田は四百年の家。ここで絶やすなど……!」


信玄公に憧れ、また畏怖を捥いていた勝頼の心中も想像に難くない。


「父ならばどうしたか……それを思わぬ日はなかった。されど私は父にはなれなんだ。今宵、ここで果てることもまた、天命よ」


信勝は唇を噛み、声を荒げる。


「ならば我ら親子で討ち死にすればよろしい! 逃げることこそ恥――武田の子として戦い抜いて果てようましょうぞ!」


その気迫に、場はしばし沈黙した。やがて勝頼は、わずかに笑みを浮かべる。信勝はこの時まだ十三歳、今ならまだまだ子供だ。されど武家の嫡子として生まれ育った男子は今世よりはるかに大人であった。信勝の姿に勝頼も己のその頃の姿と重ねたに違いないであろう。


「さすがは我が子よ。だが、討ち死にする兵すら残ってはおらぬ。ならば潔く腹を切り、武田の名を汚さぬことこそ、最後の武士の道ぞ」


武士にとって、逃げ延びることは生き恥であった。命あっての物種、などという概念は、戦国の世には存在せなんだのである。

お読みいただきありがとうございます。

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