私の愛が世界を救う?〜勇者のモチベーションを上げるだけのお仕事です〜
読んでいただきありがとうございます。
設定はゆるいので気楽に読んでくださいね。
よろしくお願いいたします。
「リナ・アドラムよ。どうか魔王の脅威からこの世界を救う手助けをしてはくれまいか?」
謁見の間に、朗々たる国王陛下の声が響く。
突然、王城から迎えの馬車がやって来て、あれよあれよという間にここに連れて来られた。
そして、目の前の国王陛下からは、ご乱心としか思えない発言、周りの高貴なオジサマたちからは値踏みするような視線が……。
私は緊張に身体を震わせながら、おそるおそる口を開く。
「あ、あの……私はただの定食屋の娘なのですが?」
正確に言うと、昼間は定食屋で夜は酒場に変わるフクロウ亭の一人娘だ。
もちろん隠れた能力や特別なスキルなんて持たないし、生まれも育ちも外見も全てが平凡である。
「ああ。わかっておる」
「…………」
わかってたんだ。
「でしたら、世界を救うのは私では無理だと思うんですけど……」
定食屋の娘に任せていい案件ではない。
すると、国王陛下は大きな溜息を吐いた。
「リナ・アドラムよ。この国に勇者が現れたという話は聞いておるか?」
「はい。噂で………」
このモーメンス王国を含む人族が暮らす国々は、魔族国と戦争を繰り返してきた歴史がある。
しかし、長引く戦争に両種族が疲弊し、互いに不可侵条約を結ぶことで一応の決着をみせた。
それが三百年前のことである。
そして数ヶ月前、戦争時代の遺物『聖剣エターニル』が一人の騎士を主に選んだという話が国中に広まった。
聖剣エターニルとは魔族を滅する力を授かった剣なのだが、誰にでも扱える代物ではなく、剣自身が選んだ者にしか触れることが許されない。
そんな聖剣に選ばれし者を『勇者』と呼ぶのだ。
ちょうど魔族国との不可侵条約の期限が切れることから、勇者が魔王の討伐に向かうのではないかと巷で話題になっている。
「その勇者が、そなたと一緒でなければ旅に出ないとゴネておるのだ」
「は………?」
まさかの勇者からのご指名……。
やっぱり意味がわからない。
混乱する私を尻目に、陛下が軽く片手を挙げて合図を送る。
すると、謁見の間の扉が開き、騎士服を纏った一人の青年が現れた。
青銀髪の長い髪を一つに結い、アイスブルーの切れ長な瞳と白磁のような肌は、まるで人形のように美しい。
しかし、整い過ぎた顔立ちと表情の乏しさから、やけに冷たい印象を受けた。
「彼が、勇者シリル・オールストン。第三騎士団の団長も務めておる」
(この人が……?)
シリルの名は、噂に疎い私でも耳にしたことがあるくらい有名だった。
その美貌もさることながら、表情を崩すことなく敵を殲滅する圧倒的な戦闘力。
数多の令嬢を虜にするも、誰にも靡くことのないミステリアスな存在感。
それらのことから『氷結の騎士団長』という渾名で呼ばれている。
どうやら、そんな騎士団長様が勇者に選ばれたらしい。
(ひゃー。イケメンで地位も実力もあって、勇者にも選ばれるなんて凄い………ん?)
しかし、私のすぐ側で歩みを止めたシリルに既視感を覚える。
(どこかで見たような……)
じっとシリルを見つめると、彼は私の視線を避けるように俯いた。
その仕草が私の記憶と重なって……。
「ああっ! いつもポテトサラダを頼む人!」
陛下の前だということも忘れ、うっかりシリルを指差して大声を上げてしまう。
すると、彼はビクッと肩を揺らしたあと、両手で自身の顔を覆う。
(あ、あれ?)
見ると、シリルの身体は震えていた。
(もしかして、人違いだった? それとも、こんな場所で言っちゃいけなかったかな?)
慌ててフォローの言葉を探すも、それより先にシリルの口が開く。
「僕、リナちゃんに認知されてるぅぅぅぅ!!」
その大声に驚き、今度は私の身体がビクッと揺れた。
対するシリルはそのまま膝から崩れ落ちる。
「ハァ……尊い……ハァハァ……しんどい」
そして、胸を押さえながら息も絶え絶えに何事かをぶつぶつと呟き続けるシリル。
突然の奇行に私は唖然としてしまうが、周りは動揺するどころか慣れた様子でシリルを放置している。
カオス極まる空気の中、陛下が再び口を開いた。
「シリルと面識はあったようだな」
「ええ、まあ……常連のお客様ですね」
フクロウ亭は王都の中でも平民が暮らす南地区に店を構えているため、客のほとんどが平民であった。
そこへ、少し前から、黒のフードマントを被った怪しい男が来店するようになったのだ。
注文するのは決まってポテトサラダのみ。
ポテトサラダを食べ終えると、またポテトサラダを注文するという変わり者。
だが、その美貌と高貴な振る舞いは隠しきれておらず、貴族がお忍びで来ているのだろうと、余計な詮索はせずに放っておいた。
それが、目の前で奇行を繰り返しているシリルだったのだ。
「それでも、客と従業員としての関わりしかありませんが……」
店を切り盛りする両親を手伝うために、私もフクロウ亭のホールスタッフとして働いている。
注文を取ったり料理を運んだりと、その程度の関わりならばあることはあるのだが……。
「あ、あの……!」
そこへ、膝から崩れ落ちていたシリルが顔を上げる。
「リナちゃんは僕の恩人なんだ!」
「え?」
思わずシリルに視線を向けると、再び顔を両手で覆ってしまった。
「リナちゃんが僕を見てるっ……ハァハァ……生きててよかっ……ハァ」
「…………」
どうしたものかと陛下に視線を戻す。
「何やらそなたに助けてもらったとシリルから聞いておるのだが……」
「はあ………」
私が勇者シリルを助けた?
全く心当たりのない話に、気の抜けた返事をしてしまう。
「ほ、ほら! お店の裏口で酔いつぶれてた時に声をかけてくれて、僕は気持ち悪くなっちゃって……!」
「んん?」
慌てて説明をするシリルだったが、早口過ぎて言葉の意味を理解するのに時間を要した。
(店の裏口……酔いつぶれ……気持ち悪く……)
拾えた単語を自分の記憶と照らし合わせる。
「あ! あの時の!」
たしか二ヶ月くらい前、ゴミを出しに店の裏口から外へ出ると、酔いつぶれた男が壁に寄りかかって座っていたことを思い出す。
泣きながら喚いていたのを適当に宥め、気持ちが悪いと言い出したので介助をしたのだ。
辺りが暗かったので、それがシリルだったことには気が付かなかった。
「あの時、僕が吐き出した弱音をリナちゃんが受け止めてくれたから……」
そう言って、うっとりとした表情になるシリル。
しかし、私が彼の口の中に指を突っ込み吐き出させたものは嘔吐物で、受け止めたのはゴミ袋である。
「おかげで、勇者としてのプレッシャーに押し潰されそうだった苦しみから解放されたんだ」
「…………」
そう言って、恍惚の笑みを浮かべるシリル。
悪酔いの苦しみから解放されたの間違いだろう。
どうやら、彼と私の間にはずいぶんと認識の齟齬があるらしいことは理解した。
「それで、どうして私が魔王討伐の旅に同行する話になるんです?」
「ハァ……ハァ……また目が合った……ハァ……」
「それはもういいんで説明をしてください」
「ハァ……だって……ハァハァ……リナちゃんが……ハァ」
「ちょっ、うるさ……。あの、ハァハァやめてもらえます?」
「ハァ……あ、ごめんなさい」
息が荒すぎて聞き取れない。
素直に謝罪したシリルは、深く深呼吸をしてから口を開いた。
「だって、リナちゃんが側で応援してくれたら頑張れるかなって」
そう言って、シリルは照れ笑いを浮かべる。
なんだその理由……。
そこへ国王陛下が言葉を付け足す。
「そなたは戦闘に参加せず、勇者シリルに声援を送るだけでよいのだ。そして、シリルのモチベーションを上げてやってほしい」
陛下のお言葉に、シリルはぶんぶんと首を縦に振っている。
なんだその役割……。
思わず遠い目になってしまう。
「何度も説得を試みたんだが、頑として譲らなくてな……。シリルを説得するより、そなたを説得したほうが話は早いという結論に至った。勇者であるシリルの代わりはおらん。理不尽な頼みだとはわかっているが、どうか承諾してほしい」
「えー………」
酔っ払いを介抱しただけなのに……。
不満げな声を上げる私からそっと目を逸らした陛下は、場を仕切り直すように軽く咳払いをする。
「それでは、心強い旅の仲間たちを紹介しよう」
よくこのまま進行できるな……。
陛下のハートの強さに痺れていると、続いて三人の男女が謁見の間に現れる。
短く刈り上げた赤髪に筋骨隆々な体格の青年が、戦士ブレンダン。
黒のローブを纏った緑髪の優男が、魔法使いエイルマー。
そして、長い黒髪に法衣を纏った清楚な美女が、僧侶メロディ。
三人の紹介を終えた陛下は両手を広げ、堂々たる態度で声を張り上げた。
「彼らとともに魔族国へ向かってほしい!」
まさかの少数精鋭。
てっきり、一個師団くらいで討伐に向かうと思っていたのに。
しかし、ここまでくると、いよいよ観念するしかないことぐらいは私にもわかっている。
そもそも、平民の私が、最高権力者からの頼みを断るなんて不可能であることも……。
「はぁ………」
私は諦めの溜息を吐く。
仕方がない。せめて勇者パーティに同行する見返り……そう、報酬を得ることで溜飲を下げるべく、陛下との交渉を始めよう。
こうして、魔王討伐に向かう勇者パーティに、勇者のモチベーションを上げる係として定食屋の娘が加わることになってしまったのだった。
◇◇◇◇◇◇
王城に召されてから十日後、いよいよ魔王討伐の旅が始まってしまった。
最初は少人数で魔王に挑むことに不安を覚えたが、旅のパーティが少数精鋭なのには理由があるのだと聞かされる。
魔族国との不可侵条約の有効期限が切れることに、民衆は言い知れぬ不安を抱いている。そのタイミングで勇者が現れてしまった。
すると、今度はその不安を打ち消すために、民衆は期待を寄せるようになる。
勇者が魔王を討伐してくれるのだと……。
そんな状況下で王家が「何もしない」という選択肢を取れば、王家に対する求心力を低下させてしまうかもしれない。
しかし、いきなり一個師団を魔族国へ送り込むような真似をすれば、それはもう宣戦布告になってしまう。
つまり、表向きは魔王の討伐だが、実際は人族を代表する使者。そして三百年もの間、全く国交のなかった魔族国の情勢を探る偵察。
この二つの役割を担っているということだった。
(てっきり、魔王を討伐する気満々なんだと思ってたなぁ。世界を救ってくれとか言ってたし……)
市井の反応や、陛下の口振りからそういうものなんだと思ってしまっていた。
まあ、再び戦争が始まってしまえば、それこそ世界の危機と呼べるような事態になるのかもしれない。
魔王の首を取って帰らなければならないと思っていた私は、その話を聞いてホッと胸を撫でおろす。
そして、現在は馬車に乗って魔族国との国境に向かっているのだが……。
「ハァハァ……ハァハァハァハァ………」
馬車の中に響き渡るのは勇者の荒い息遣い。
いざ旅が始まるとシリルの挙動不審に磨きがかかり、私と目が合うだけで胸を押さえて息が荒くなってしまうのだ。
他のパーティメンバーも何とも言えない表情になり、馬車内の空気は最悪である。
(これ、どうすんの……?)
この状態でずっと旅を続けるのはなかなか辛いものがある。
せめて普通に会話ができるようになってほしいと願いを込めて、私から歩み寄りを試みることにした。
「えっと、シリル様の腰にあるのが聖剣ですか?」
向かいに座るシリルの腰ベルトには、鞘に収まった剣がぶら下がっている。
それを指差し、当たり障りのない話題を振る。
「リナちゃんが僕の名前を……!?」
しかし、シリルは違うところに食い付いてしまう。
「あ、オールストン伯爵子息様って呼ばないとダメなんでしたっけ?」
「え……! いや、名前で呼んでくれて構わない。むしろ名前で呼んでほしいし、名前で呼んでくれないなら家名を捨てようと思う」
「家名を捨てるのはちょっと……」
なかなか過激で極端な人だ。
「聖剣って思ったより可愛らしい色をしてるのねぇ」
すると、私の隣に座る僧侶メロディが話に乗ってくれた。
たしかに、鞘に収まった剣身は見えないが、腰ベルトから覗く柄部分は淡いピンク色に翠の装飾。
可愛らしいというメロディの言葉も頷ける。
「俺も気になってたんだが……前に聖剣を見た時はそんな色じゃなかったぞ?」
そこに、戦士ブレンダンが口を挟む。
魔法使いエイルマーは無言のままだが、その視線は興味深そうにシリルの聖剣へ向けられている。
すると、シリルは腰ベルトから聖剣を外すと、得意気な表情で掲げてみせた。
「実はこれ、僕が塗装したものなんだ」
「塗装?」
「ほら! このピンクはリナちゃんの髪色とお揃いで、装飾部分はリナちゃんの瞳の色と一緒!」
たしかに、私は淡いピンク色の髪に、翠の瞳を持っている。
まさかの、聖剣が私色に染め上げられていた……。
「みんなに気づいてもらえて嬉しいなぁ! きっと聖剣も喜んでいるはずだよ」
「…………」
たぶん、こんなはずじゃなかったと聖剣は思ってる気がする。
そもそも聖剣を勝手に塗装して大丈夫なのかと尋ねると、「僕しか触れないから」と返されてしまった。
勇者の特権が遺憾無く発揮されている。
「ねぇ、どうしてそこまでこの子に執ちゃ……えっと、こだわるの? 恩人だって言ってたけど、飲み過ぎた時に介抱してもらっただけなんでしょ?」
ついにメロディが本題に切り込んだ。
そこは私も気になっていた部分なので、じっとシリルの答えを待つ。
「あー……それは……」
話せば長くなるとシリルは前置きしてから語り始める。
「すごく情けない話なんだけど、僕はあまり騎士に向いていない性格でね。負けたらどうしよう、怪我をしたらどうしようって、そんなことばかり考えてしまうんだ」
シリルは幼い頃から内気で引っ込み思案な性格だった。
しかし、オールストン伯爵家は優秀な騎士を輩出する武を重んじる家門。
そんな家の次男として生まれたシリルは、当たり前のように騎士となるべく育てられたそうだ。
そしてシリルは内気な性格はそのままに、騎士としての才能を見事に開花させてしまう……。
「父からは、僕の気弱な性格が周りにバレないように振る舞えと言われて、なるべく感情を表に出さないようにしていたんだけど、気づいたら騎士団長に任命されちゃってて……」
(ああ、だからか……!)
シリルの話を聞いてようやく合点がいく。
実際のシリルはこんな感じなのに、世間の噂では『氷結の騎士団長』なんて呼ばれていることに違和感があったのだ。
(たしかに黙ってたらクールに見えるもんね)
まあ、実際はアレなのだが……。
「騎士団長ってだけでも僕には荷が重いのに、勇者になんてものに選ばれて……。あの時、僕は限界だったんだと思う」
「それでお酒に走ったの?」
「うん。それくらいしか思いつかなくてね」
知り合いに見られたくないからと、わざわざ平民だらけの南地区で酒を飲み、べろべろになってフクロウ亭の裏口に座り込んでしまったそうだ。
「そうしたらリナちゃんが声をかけてくれて、もう嫌だしんどいって泣き喚いてる僕に『あなたは頑張ってて偉いですね』って言いながら頭を撫でてくれたんだ。そんなふうに言われたのは初めてで嬉しくって……」
そこで思わず私も口を挟む。
「いや、私もアレがシリル様だってわかっていたら、もう少しマシな対応をしていましたよ?」
酔っ払いの対応なんて日常茶飯事だが、さすがに貴族が相手ならば口の中に指を突っ込んだり、頭を撫でたりすることはなかったはずだ……たぶん。
すると、シリルはパチパチと驚いたように瞬きをしたあと、再び表情を緩める。
「ううん。相手が僕だってわかっていたとしても、リナちゃんなら雑に慰めてくれたはずだよ」
「雑………」
「まあ、あの雑なところがいいんだけどね」
どうやら、心の籠もらない慰めであることはバレていたらしい。
「それからはフクロウ亭にも通うようになって、リナちゃんの姿を見るだけで元気が貰えて……。あ、もちろん、フクロウ亭の料理も好きだよ! リナちゃんが作ってるポテトサラダが一番好き!」
「え? どうして私がポテトサラダを作ってるって……」
「他のお客さんとリナちゃんの会話が聞こえてきたんだ。『味がわかる男! これは私が作ったやつです!』って、リナちゃんが言ってたから」
「だからいつもポテトサラダを注文してくださってたんですね」
私はなんとなく気恥ずかしくなり俯いてしまう。
ポテトサラダを私が作ったなんて豪語していたが、本当はジャガイモを潰す手伝いをしているだけだなんて……言えない。
「それで魔族国まで同行を願ったの……?」
「えへへ……。陛下に泣いて頼んだんだ」
驚愕するメロディに、へにゃりとした笑顔を向けるシリル。
どうやら陛下たちはそこで素のシリルを知ってしまい、頭を抱えたのだという。
(それで私が巻き込まれたのかぁ……)
ようやくシリルの性質の一端を掴んだ気がした。
彼の性格は生まれつき気弱なのかもしれない。
だが、それとは別に、どれだけ周りを振り回しても自身の意思を貫く厄介さをシリルは持っている。
(こういうタイプって本人に悪意がないからこそ厄介なのよね……)
しかし、それに気づいたところで今さら引き返せないのが現実。
報酬も前払いで受け取ってしまったのだからと、私は腹を括るしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
王都を出発してから馬車で十日。
ついに、モーメンス王国と魔族国との国境にある大森林地帯に到着する。
ここからは魔物だらけの未開の森を徒歩で進んでいくことになる。
「おい、トレントだ!」
ブレンダンが声を張り上げ、それを合図に全員が戦闘態勢に入った。
トレントとは木に擬態した魔物の名称だ。
私たちに気づかれたことを悟ったのだろうか……周りの木々がざわざわと音を立てたかと思うと、一斉に土から根っこ部分が飛び出し、地面の上を滑るように動き出す。
「うおぉぉぉっ!」
雄叫びを上げながら、ブレンダンがトレントの群れに突っ込んでいく。
「炎の矢!!」
すかさずエイルマーが攻撃魔法を放つ。
「守護の光よ!」
そんな二人をメロディが援護している。
しかし、シリルだけは私の側から離れようとせず、何かを催促するような視線を向けてくる。
その意味を察した私は、溜息を吐きたい気持ちをグッと堪えて笑顔を作った。
「シリル様。頑張って魔物を倒してくださいね」
「はい! 殺ってきます!」
途端に、瞳を輝かせたシリルが聖剣を構えて魔物の群れに突っ込んでいく。
「シリル様、その調子でーす!」
「剣さばきが素敵ですよー!」
「囲まれないように気をつけてー!」
その後も私は茂みに隠れ、後方からシリルに声援を送り続ける。
(………何だこれ)
ダメだ。我に返ってしまうと、自分は何をやっているのだろうという虚無感に襲われる。
しかし、そんな私の想いとは裏腹に、声援を受けたシリルの攻撃はますます激しさを増していく。
(………いや、ほんとに何だこれ)
普段の穏やかな雰囲気は鳴りを潜め、無表情のままシリルはひたすら剣を振るう。
冷えた視線を向けられた魔物は、一振りごとに断末魔の叫びを上げ崩れ落ちていった。
そんな彼の姿は、圧倒的強者であることを知らしめている。
だからこそ、他者をこれほどまでに惹きつけるのだろう。
それと同時に、これが気弱な本来の姿を隠したものだとすれば、かなりのストレスを抱え込んでいたことにも納得ができた。
私の雑な慰めが深く刺さってしまうくらいに……。
しばらくするとトレントたちは動かなくなり、魔物を殲滅したという合図が上がった。
「皆さん、お怪我はありませんか?」
四人に駆け寄ると、ブレンダンが手を挙げて応える。
「おう! お嬢ちゃんは大丈夫だったか?」
「ええ。おかげさまで」
ブレンダンは私のことをお嬢ちゃんと呼ぶ。
最初、リナと呼び捨てにしていたのだが、どこぞの勇者が呪詛を吐き出したので、ブレンダンは呼び名を変えざるを得なかったのだ。
「僕も……ハァ……リナちゃんの声援の……ハァハァ……おかげで……」
「また、ハァハァが出てますよ」
「ハァ……あ、ごめんなさい。僕もリナちゃんの声援のおかげで思いっきり戦うことができたよ」
そう言って、シリルはへにゃりと笑う。
「ほんと、声援を受けると攻撃力が上がるんだから、意味がわかんねぇよな」
ブレンダンが口を挟むと、今度は得意気な顔になったシリルが口を開いた。
「だってリナちゃんにカッコ悪いところは見せられないからね!」
そんな彼の姿を見て、初等学園の頃、参観日にやたら張り切っていた隣の席の男子を思い出す。
(まあ、役に立っているのなら良かった)
シリル以外の三人も私のことを邪険に扱うことなく、今のところ旅は順調に進んでいる。
ただ、森に入ってすでに七日が経ち、そろそろ皆に疲れが見え始めてきたのも確かだった。
「はぁ……。いつ帰れるのかしら」
再び歩き始めると、私の隣を歩くメロディが思わずといった様子で本音を零す。
それは、私も常々思っていたことで……。
ただし、メロディと違って実際に魔物と戦っていない私が、帰りたいだなんて軽々しく口にすることは憚られた。
だけど、この時はメロディの言葉に触発される形で、私も本音を口にしてしまい……。
「もう、平和とかどうでもいいから、さっさとこの旅を終わらせて家に帰りたいですよね!」
「本当にねぇ……」
そんな私たちの会話にシリルは無言で耳を傾けていたのだった。
◇◇◇◇◇◇
「リナちゃん。起きて」
「ふぇ?」
それは森に入って十日目の夜。
森の中の移動は基本的に日が暮れるまでで、夜は結界石を使用した魔物避けの簡易結界を張り、その中で休息を取っている。
毛布に包まり眠っていた私は、耳元で囁かれるシリルの声で目を覚ました。
辺りはまだ薄暗く、夜明けまであと少しといったところだろうか……。
「シリル様……どうしました?」
寝ぼけた頭のまま、それでも小声でシリルに言葉を返す。
「リナちゃんの寝顔可愛いね」
「ん?」
「あ、間違えた。リナちゃんに見せたいものがあるんだ」
聞き捨てならないセリフがあったような気もするが、それを指摘するより先に、やや強引にシリルに連れ出されてしまう。
「あの、結界の外に出ちゃうんじゃ……?」
「すぐそこだから」
その言葉通り、結界を出てすぐの所でシリルは足を止める。
そんな彼の足元には、何やら蠢く影が……。
「え……子供!?」
歳の頃は十歳くらいだろうか。
黒髪に金の瞳を持つ子供が、地面に横たわっている。
しかも、その肌は褐色で耳の先が少し尖っており、頭には髪色と同じ黒の角が二本生えていて……。
「この子は……?」
「魔王の息子だよ」
「は?」
意味がわからず数秒フリーズしてしまう。
「ええっと……魔王の息子さんがどうしてここに?」
「ちょっと偵察に出たらこの魔族と遭遇してね。聞けば魔王の息子だと名乗るから、捕縛して連れて来ちゃった」
(捕縛……?)
魔王の息子だという魔族の子供に再び視線を向けると、手首と足首、そして口元に青白い魔力の光が浮かんだ。
どうやら、シリルの魔法によって身体の自由が奪われているらしい。
「どうしてこんなことを!?」
そうシリルを問い詰めながらも、私は体中に嫌な汗をかく。
私たちに課せられたのは人族を代表する使者としての役割で、そのために少人数のパーティでここまでやって来たのだ。
それなのに魔王の息子を攫うだなんて、それこそ宣戦布告で戦争待ったなしになるんじゃ……。
「だって、リナちゃんを早く家に帰してあげたくって」
「はあ?」
「『もう平和とかどうでもいいから家に帰りたい』って言ってたよね? だったら、この子供を人質にして魔王に会うのが手っ取り早いかなって。それで、魔王の首を撥ねてしまえばすぐにでも帰れるよ」
「えー……っと?」
なぜ、私のちょっとした愚痴をそのように解釈してしまうのだろう。
「リナちゃんの願い事は僕が叶えてあげたいから」
シリルに悪びれた様子はなく、むしろ私に褒めてもらえることを期待したかのような表情。
(あー……なるほど? そういう思考回路になるわけね……)
シリルにとって、国から与えられた使命よりも、私のほうが優先順位が高い。
ただ、それだけのことなのだ。
そして、それを実行したことによって、この魔王の息子が巻き込まれてしまったと……。
「はぁぁぁぁぁ……」
私はこれみよがしに思いっきり大きな溜息を吐く。
「リナちゃん?」
きょとんとしたシリルの顔をまっすぐに見つめた。
「私のためだったら何をしても構わないなんて、思い上がらないでもらえます?」
「え?」
「そもそも、私から頼みましたか? 頼んでないですよね? それなのに勝手にこんなことをして……それで褒めてもらおうだなんてよく思えましたね」
淡々と告げる私に、シリルの表情がどんどん青褪めていく。
「もしかして、リナちゃん……怒ってる?」
私はそんなシリルを一瞥する。
「小さな子供まで巻き込むなんて……ガッカリです」
「でも、魔族は見た目と年齢が違っ……」
「言い訳しない!」
「ひゃい!」
だいたいのことは仕方がないと流せていた私も、魔族とはいえ関係のない子供を巻き込んだこと、同じ使命を負った仲間の努力を台無しにしたことが許せなかった。
何より、それが『私のため』だというのが気に食わない。
それから懇々とガチの説教を食らわせると、ついにシリルはグズグズと泣き出してしまう。
「リナちゃ……ぐすっ……ごめなさっ……ううっ捨てないで……」
そもそも拾ったつもりもないのだけれど……。
その頃には夜が明け始め、私とシリルの不在に気づいたブレンダンたちが探しに来てくれた。
「なあ、これってどういう状況だ?」
腕を組み仁王立ちする私に、正座をしながら泣いて許しを乞う勇者。そのすぐ側には、捕縛されたままの魔王の息子が転がされている。
あまりにカオスな状況に、ブレンダンたちも戸惑いを隠せていない。
(あ………!)
そこでようやく魔王の息子の存在を思い出し、シリルに捕縛魔法を解除させた。
「放ったままにしてごめんね。怪我はない?」
今さらだと思いながらも、なるべく優しい口調を意識して声をかける。
「…………」
しかし、その場に座り込み、無言のまま金の瞳がひたりと私を見据えた。
「あなたに怪我をさせるつもりはなくって……」
すると、私から視線を外さないまま、魔王の息子が口を開く。
「名前を教えろ」
「え?……私の名前?」
「そうだ」
「リナ・アドラムだけど……」
教えてから、もしやブラックリスト的なものに名前が載ってしまうかもと内心ドキリとしてしまう。
しかし、魔王の息子は小さく私の名前を口ずさむと、ニンマリと笑う。
「俺の名前はアドラ! リナは強いな。だから特別に名前で呼ぶことを許してやる」
「はあ……それはどうもありがとうございます」
生意気な口調だが、よく考えるとアドラは魔族国では王子という立場になるので、態度を改めるのは私のほうだったと思い直す。
しかし、私の名前をアドラが呼んだ瞬間、シリルがギリィと歯を食いしばりアドラを睨みつけた。
どうやら反省が足りていないようなので、すぐ近くに生えていた木に向かってシリルを正座させて放置する。
「それで、リナは父上に会いたいのか?」
「はい。実は………」
シリルと私の会話を聞いていたアドラは、私たちが魔王に会いに来たということをすでに把握していた。
そんなアドラに、改めて魔族国へ向かう理由を説明する。
シリルのせいで私への心象も最悪のはずなのに、アドラは意外にも冷静に私の話を聞いてくれた。
「ふぅん……。どちらにしても一度父上と顔を合わせたほうが話は早いだろう」
「えっと、よろしいのですか?」
「遠路はるばる我が国に来た客人を追い返すような真似はしない」
「…………っ!」
あんな目に遭っていながら、なんて心の広い子なんだと感激してしまう。
そして、呆然とした様子でこちらを見つめるブレンダンたちにも事情を説明する。
「と、いうわけで……今から魔王に会えます!」
「…………」
しかし、なぜかブレンダンたちは互いに目配せをするばかりでテンションが低いままだ。
「あの………?」
「いや、あまりにも急な展開に驚いちまっただけだ」
「ああ、そういうことですか。こういう時は経過よりも結果だけを受け取ればいいんですよ」
「うん。お嬢ちゃんはやっぱり肝が据わってんな」
「え? そうですか?」
ブレンダン曰く、謁見の間で国王陛下に報酬の交渉をし始めた時から、私のことをそんなふうに思っていたらしい。
それって初対面の時からじゃ……。
それに、魔族を目の前にしても普段と変わらない態度を指摘されてしまった。
(そんなこと言われてもなぁ……)
人族よりちょっと肌の色が違って、耳が少し尖っていて、角が生えているくらいである。
見た目だけでいえば、魔物のほうがよっぽど恐ろしいと思うのだが……。
その時、空から甲高い鳴き声が聞こえ、強い風とともに私の髪が舞う。
「なっ………!?」
それと同時に、ブレンダンたちが一斉に戦闘態勢に入った。
空を見上げると、赤い羽毛に尾の部分だけが黄色の巨大な鳥たちが旋回している。
「案ずるな。こいつらは俺の従魔だ」
「従魔?」
「ああ。こいつらに乗って父上のもとへ向かうぞ」
「え? 乗る?」
アドラの言葉を聞いて、もう一度空を見上げる。
こうして、私たちはアドラの従魔である巨大鳥に乗り、魔王の住まう城へ向かうことになった。
◇
アドラのおかげで無事に魔王との対面を果たす。
玉座に座るのは、長い黒髪に金の瞳を持ち、褐色の肌に尖った耳と立派な二本の角を生やした美丈夫。
まさにアドラを大人にしたような姿なのだが、身に付けている衣服が……その、何というか、ずいぶんと布の面積が少なく、まるで踊り子のようだった。
しかし、踊り子のように豊かな胸や細い腰ではなく、圧倒的な筋肉がこれでもかと強調されている。
(目のやり場に困るな……)
そう思いながら、唯一の同性であるメロディに視線を向けると、彼女は目を見開いたまま魔王をガン見していた。
いや、正確には魔王の肉体美をガン見している。
どうやらお気に召したらしい。
すると、魔王は穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
語られたのは、現在の魔族国の情勢。
三百年前からすでに二度、魔王は代替わりをしており、その間にずいぶんと魔族国にも変化があったという。
そもそも、魔族は強大な魔力を有し、寿命も人族よりはるかに長い。
だが、繁殖力が低く、その数は人族に比べると圧倒的に少なかった。
この三百年の間に、魔族はさらに数を減らしたらしい。
「我が国は、人族と争うつもりはない」
やけにあっさりと魔王は告げる。
その理由は明確で、戦争をするメリットが何もないから。
魔族国の領土は資源豊かで、新たな土地は必要もなく、戦争による人的被害を出してまで求めるものは何もないそうだ。
では、なぜ三百年前まで戦争が続いていたかというと、当時の魔王が戦闘狂であったのが一番の原因らしい……。
(つまり、この魔王様は穏健派か……)
見た目と違って何よりである。
こちらも、戦争が目的ではなく、期限が切れた不可侵条約について今後どうするのかを話し合いたい旨を伝え、国王陛下から預かっていた書簡を魔王に渡す。
ようやく、私たちの役目を果たすことができたのだ。
「気になっておったのだが、そこの青年は……?」
「ああ。彼は反省中なので、そのままで大丈夫です」
「そう……なのか?」
この魔王城の謁見の間でも、シリルは泣きながら柱に向かって正座中である。
ちなみに、魔王城に向かう前にアドラに対して謝罪をさせているが、それはそれとして反省は必要だ。
こうして、勇者パーティと定食屋の娘による長い旅は終わりを告げたのだった。
◇◇◇◇◇◇
あの旅を終えてから二ヶ月が経ち、私はすっかり元の生活に戻って……はいなかった。
今度は魔族国からの返信を国王陛下に届けたことで、我が国は魔族国との国交を結ぶべく動き始める。
そして、勇者パーティではなく、今度こそ使者を送ることになったのだが、なんと魔族国から私が指名されてしまったのだ。
………意味がわからない。
フクロウ亭の仕事が忙しいという理由で断ろうとしたが、あいにくフクロウ亭は改装工事のため休業中である。
そう、私が貰った報酬を使って改装工事中……。
そのため引き受けざるを得ず、再び魔族国へ向かうことになってしまった。
といっても、知識も経験も何もない定食屋の娘一人に使者が務まるはずもなく、実際には使節団のオマケとして馬車で国境へと向かっている。
そして、二ヶ月振りに大森林地帯の入口へ到着した。
前回は魔物だらけの森の中を徒歩で移動したが、今回は魔族国側から迎えを寄越すという話だった。
馬車を降りると、すでに巨大な鳥型の魔物たちが整列している。
しかも、その魔物たちには鞍のようなものが装着されており、どうやら前回と同じく魔王城まで魔物に運んでもらうことになりそうだ。
そんな魔物たちを見た使節団の皆がドン引きしている。
「おーい! リナ!」
そこへ、私の名前を呼ぶ快活な声が聞こえてきた。
「んん?」
近づいて来たのは、黒髪に金の瞳を持つ、褐色肌の魔族の青年だった。
「えっと、どちら様でしょう?」
「なんだ、もう俺のことを忘れたのか? アドラだよ」
そう言って、目の前の青年はニカッと笑う。
「アドラ……?」
私の知っているアドラは、十歳前後の少年だったはずだ。
そう伝えると、魔族と人族とでは成長速度が異なっているのだとアドラが説明をしてくれた。
「魔族は伴侶にするべき相手を見つけると、一気に身体が成長するんだ」
「へぇ……そうなんですね」
人族とは全く違った身体の構造に驚いてしまう。
「だから……」
アドラの金の瞳が柔らかく細められ、その手が私に向かって伸びてくる。
と、その瞬間、私を背に庇うようにシリルが前へ躍り出て、ガキンッと金属がぶつかり合うような音が聞こえた。
見ると、アドラの爪が伸びて鉤爪のようになり、シリルの聖剣を受け止めている。
「お前、リナちゃんに触ろうとしたな?」
「はあ? どうしてリナに触れるのを咎めるのだ?」
「当たり前だろう! リナちゃんだぞ?」
ちょっとよくわからない理由でシリルがキレている。
実は、旅が終わってからもシリルは変わらず私の側をウロチョロしていた。
そして、私が使節団に参加することを知ると、自ら護衛役を買って出て、ここまで付いてきてしまったのだ。
「やはりお前がこの国にリナちゃんを呼び付けたんだな?」
「はっ! だからどうだというのだ? リナに怒られて泣いていたくせに!」
「お前こそ、僕に負けた分際でしゃしゃり出てくるな!」
「幼き身だった俺に勝ったくらいでいい気になるな!」
何やら喧嘩が始まりそうだったので、仕方なく私は仲裁に入る。
「はいはい。迷惑なのでこんなところで喧嘩はやめてくださいね。シリル様は聖剣をしまってください。アドラ様も爪が伸び過ぎて危ないですよ」
すると、二人は渋々といった様子だったが剣と爪を収めてくれた。
まあ、まだ睨み合ったままだが、ひとまず危険は去っただろう。
しかし、そんな私のことを、使節団の皆が異様なものを見るような目で見てくる。
(え? 仲裁してあげたのに……)
解せない気持ちになりながらも、早くフクロウ亭の改修工事が終わらないかなぁ……なんてことを考えていた。