誰の花嫁?
サリム王子と再会したエイダは驚いてしまった。アーマイルの言ったように王子が何も仕掛けて来ず礼儀正しかったのだ。それは良いとしても逆に余所余所しくなった感じだった。
(これはこれで不味くない?)
エイダの作戦としては身体まで投げ出すつもりは無いが、適当に期待を持たせて良い気分にしてやろうと思っていた。男を手玉に取る悪女みたいで嫌だったがロイドを見返してやりたい気持ちが強かった。
『貴女の上司が見えましたよ』
アーマイルの声にエイダは、はっと我に返った。
「サリム王子、ごゆっくり出来ましたでしょうか?」
ロイドは何時もの笑みを浮かべて頭を垂れながら言った。エイダは直ぐに通訳したが胸は早鐘を打ったようになっていた。まるで悪戯を見付けられた子供のような気分だった。ロイドが微笑んでいてもエイダにはそう見えなかったのだ。
(怒っている?なんで?あんたの言う通りにしているじゃない!)
『それなりに』
「午後のお時間宜しければ少しご覧頂きたいものがありましたのでお誘いに参りました」
ロイドの用件をエイダは伝えた。そして話がまとまったのだが・・・
「エイダ、此方に来なさい」
ロイドはそう言ったが此方と言っても王子の横に立っているエイダの直ぐ目の前に彼はいるのだ。此方と言う程の距離でも無かった。だから動かないでいると・・・
「陛下から何を言われたとしても無視しなさい」
「??」
意味が分からず顔をしかめているとロイドがエイダの手を引っ張った。
「な!何するんだ!」
払いのけようとしたエイダだったがロイドの力は強くビクともしなかった。
『その手を離してもらいませんか?彼女は嫌がっている』
アーマイルがエイダの前に出て来た。ロイドを阻止する感じだ。大事な外交と大事なエイダ―――ロイドの選択は?迷う事無くエイダだった。仕事なら幾らでも挽回の方法を見つける自信はあってもエイダは今回を逃したら駄目だと感じた。だから彼女の手を解かず引き寄せた。
「な、何?」
「エイダ、仕事熱心なのは認めましょう。しかしそこまでする必要は全く有りません。陛下が何と言われようと貴女は私の言うことを聞いていれば良いのです」
「だから急に何さ!だいたいさっきから――」
ロイドの横暴さに食ってかかろうとしたエイダは、はっと身構えるとロイドに掴まれた手を軸にして両足は地を蹴り、鋼鉄の靴を履いた鍛え抜かれた足が宙を舞った。そして殺気と共に繰り出された無数の矢をエイダの両足は叩き落とした。それらは明らかにサリム王子を狙っていた。
「エイダ!」
ロイドの今まで聞いた事無いような大きな声にエイダは驚き振り向くと、それこそ彼はまた見たこと無いような取り乱した顔をしていた。
「怪我は?」
「え?私は大丈夫。用心棒が本業なんだからこれくらい・・・え!ちょっ、ちょっと!」
良かったと言ってロイドがエイダを抱き寄せた。
ロイドの意外な行動にたじろいだエイダだったがその抱擁は直ぐに解かれた。そして、あっという間にいつものロイドの顔に戻っていた。それでもこの状況の中では流石に何時もの笑みは浮かべていない。
「申し訳ございません。警護の失態お詫び申し上げます。至急犯人を突き止め捕らえます」
エイダの通訳の後、それに答えたのはアーマイルだった。
『本当に捕らえるつもりですか?彼女を無理矢理連れ去ろうとしたのはこの場にいれば危険だったからでしょう?彼女が此処に居るのは予定外だった。違いますか?・・・サイルドで同盟に難色を示しているのは王子だけ・・・死んで得をするのはそちらでしょう?』
「えっ!!」
エイダは驚いて通訳どころでは無かった。そして更に驚いてしまった。
『もちろん疑われても仕方がないとは思いますが私共ではございません。この同盟を最も邪魔したい国の存在があることはご存じですよね?憶測でこれ以上は申し上げられませんが・・・』
ロイドがサイルド語で答えていた。
「あ、あんた・・・」
「ロイド卿?」
エイダもジュードも驚いて声にならなかった。
『これは驚きました・・・彼女とお供の方の様子を見れば貴方がサイルド語を喋れるとは思って無かったようですね?喋れないと我々を偽って何を画策されていたのでしょうか?外務卿とは名ばかりのシーウェルの軍師殿?』
シーウェルの軍師―――確かにそう噂されていた。勇敢で屈強な海の兵士を動かす提督達がいてもその彼らを動かしているのはもちろん国王グレンだがその片腕がロイドだった。グレンの意向を確実に遂行する為に彼は策を講じて来た。
エイダは、はっと我に返った。驚いている場合では無いのだ。
『アーマイルさん!ロイド卿は意地悪だけど卑怯なことはしません!王子をお迎えするのに此処までするの?と思うくらい細やかに寝る間を惜しんで手配して段取りを整えていました。それも交渉をより良く運ぶ為で・・・さっさと殺すつもりならそこまでしないと思います!』
「エイダ・・・」
まさか彼女から庇って貰えるとは夢にも思わなかったロイドが一番驚いたかもしれない。そして〝さっさと殺すつもりならそこまでしない〟という最も単純な理由を皆がすんなりと受け入れたようだった。心配りされたもてなしは半日しか経っていなくてもそれを感じられたからだ。
『・・・確かに・・・少し冷静さを欠いたことを申しました。暗殺しようと思えばこちらの誇る守護魔神が到着前に我々を海の藻屑にするなど容易いでしょうし・・・』
それは誰が考えてもそう思うだろう。まさかその魔神が恐ろしく気まぐれで思うように動いてくれないとは余人は知らない。サリム王子達の船が魔神の結界に入ったら知らせて欲しいと頼むだけでも一苦労だったのだ。興味があれば頼まなくても首を突っ込んでくるが今回はそれが全く無いらしい。
『そう言って頂けると助かります。もしも私共がそう考えたのなら此方に責任が及ばない危険な海で命を落として頂く方が遥かに良いのですから・・・それに少し誤解を解かせて頂けると私はサイルド語を本当に喋れませんでした。単語や文章は見て覚えて形は分かってもその意味と聞いた事が無い言語の音読は流石に無理です。エイダと皆様の会話を聞き朧気に習得したぐらいで・・・言語を浅く広く習得するのは得意なのです』
たった半日交わした会話で覚えられるものではないが言語の天才らしいロイドはそれをやってのけたのだ。言語の天才と言う顔を知る者は殆どいない。今までもそれを隠していたのはもちろん交渉を優位に進めたいからだった。それはどの国でも有効に使われた。今回もエイダしか言葉が分からないとなれば相手は油断する。それを狙ったのは確かで本音を言えば今此処で明かすつもりは無かった。予期していた仮説の中では最悪の状況に通訳を通しての話では納まらないと判断した結果だ。
『信じられないことだが・・・貴方の言うことは正しい。確かに貴方は二人の発音で喋っています』
『・・・ところでサリム王子、其方こそ身代わりの理由をお聞きしたいのですが?』
ロイドが微笑を浮かべてアーマイルに向って言った。
『・・・何の事でしょう』
『アーマイル殿。いいえ、サリム王子。貴方が本当の王子―――そうでございましょう?』
「えっええぇ―――」
「エイダさん、何をロイド卿は話されているのですか?」
驚くエイダにジュードが訊ねた。ずっとサイルド語で話されて意味が分からないのだ。
「ア、アーマイルさんが・・・本当のサリム王子か?って言っている」
「えっ!ま、まさか・・・」
アーマイルとロイドが無言で立ったままだ。
『―――どこで分かりましたか?』
『お付の方々もですが・・・サリム王子目掛けて矢が飛んで来たのに肝心の殿下は貴方を見ました。自分よりも貴方が心配だったのでしょう』
アーマイルと名乗っていたサリム王子は小さく笑い出した。
『くくっ・・・あの一瞬でそれを見極めましたか?貴方は本当に恐ろしい人ですね』
『いいえ、それ程でもございません。たまたま目に入っただけです』
『そうです。確かに私がサリム。そしてサリムを名乗っていたものは私の従弟のアーマイルです。どうしてこうしたのかと言う質問ならもう答えは貴方なら分かっているでしょう』
注目を受けない立場でシーウェルを良く観察する為だろうと考えられるだろう。分かったと言うようにロイドが頭を下げた。
唖然としていたエイダに本当のサリム王子が微笑んだ。
『エイダ、騙して申し訳ありませんでした。アーマイルを護って下さってありがとうございます。本当に貴女は話に聞いた私の憧れたカーラ姫に良く似ている』
『カーラ姫?』
カーラとは祖母の名でも姫?その疑問は驚く内容で解き明かされた。サリムの祖母の姉がカーラだったと言うことだった。王族の姫カーラはその当時のサイルド国王の許婚だったらしい。しかし自由奔放で男勝りのカーラは窮屈な世界を飛び出したそうだ。しかもその原因がシーウェルから来た船乗りとの駆け落ちだった。醜聞を恐れた王家は何も無かったかのように事態を収拾し急遽カーラの妹と国王が婚礼を挙げたとのことだった。カーラの事は禁句とされ誰も語る者はいなかったが唯一妹だけが彼女を懐かしんでいた。自分と全く違う性格の姉に憧れていたのだ。そのカーラの話をサリムは良く聞かされていた。海の国へ一人で旅立った勇敢な姫の話はとても印象深く憧れさえ感じていたのだ。
『もちろん此処まで来たのだからカーラ姫の消息を調べたいと思っていました。そして貴女に出会った・・・私は耳を疑いました。貴女のサイルド語の発音は独特でそれは王族しか使わない言い回しなのです』
階級によってそういうものがある国があるがサイルドがそうだったようだ。だからロイドの今覚えたばかりと言う信じられない言葉もすんなりと受け入れられたのだろう。ロイドの発音はその王族独特のものだったからだ。
『そんな・・・おばあさんがお姫様だったなんて・・・』
姉のアリスが聞けば飛び上がって喜びそうな話だ。しかしエイダは驚き過ぎて思考回路が止まってしまった。
『エイダ、一緒にサイルドへ帰りましょう。貴女は王族の一員なのですからこの国で危険な仕事をして苦労する必要はありません』
『お待ち下さい』
放心状態のエイダを背中に庇いながらロイドが前に出て来た。
『概ねの経緯は分かりましたが出奔した姫君の血筋がお国に戻っても彼女の居所は無いでしょう』
『もちろんそれは十分承知しています。しかし貴方に関係無いことです。これは私と彼女との話―――それにエイダ、私は貴女に求婚します。私と結婚して下さい。カーラ姫が辿るはずだった道が再びその孫である貴女へと繋がった・・・素晴らしい運命に感謝します』
エイダはロイドの背中で息を呑んだ。
(何で?そんな話?私は・・・)
王子の求婚に流石のロイドも一瞬言葉を無くしてしまった。しかし、
『それはお断り致します』
ロイドの言葉にエイダは驚いた。そしていつの間にか彼の背中の服を掴んでいる手に気がついて、ぱっと離した。まるでロイドを頼っているみたいで恥ずかしくなってしまった。しかもロイドが少し振り向いて微笑んだから尚更、カッと血が顔に上って来た。サリムから求婚されているのにそれどころでは無くなってしまった。
『何故?関係の無い貴方が言う権利は無いでしょう。そう言いたいのは分かりますが・・・彼女を連れ帰ることが出来るならば私も同盟に賛成しましょう。花嫁の第二の母国とは友好に付き合いたいからですね』
さっきから本人の意思を無視して結婚とか馬鹿げた話が飛び出していたがこれは最悪だ。まさしく王子にエイダを与えろと言った言葉通りの展開―――何故かロイドは反対してくれていたがこの条件ならまた意見を翻すだろうとエイダは思った。サイルドとの同盟の大切さをエイダも何と無く分かっていた。
『お断り致します。彼女は渡せません』
『まるで彼女が自分のものみたいな言い方ですね?』
『ええ、私の花嫁になるものです。渡せる訳無いでしょう』
「ええぇ―――!!」
エイダは驚いてロイドの背中から飛び出し彼を見上げた。
『本人が驚いているようですが?』
『そうですか?恥ずかしがっているだけです』
そんな事は無いとエイダはブンブンと首を振った。その彼女の両肩を掴んだロイドが微笑みながらゆっくりと言った。
『エイダ、私と結婚して此処に残るかサリム王子と結婚してサイルドへ行くのか・・・貴女はどちらにしますか?』
『なっ!そ、そんなこと急に言っても!』
『決めなさい。私かサリム王子か。どちらですか?』
どちらかと急かされてエイダはどちらも選ばないと言う選択があるのにすっかり抜けていた。サリムかロイドかと言われれば・・・