恋の病
『王子の無礼で嘆かれているのなら私から謝ります。あの後王子をお諌めしたのですがが・・・美しい女性を見ると口説くのが礼儀だと思っているもので本当に申し訳ございませんでした』
エイダは彼がまさか謝ってくるとは思わず驚いてしまった。しかも美人を口説くのが礼儀とか言われると何だか怒れなかった。
『えっと・・・私は泣いていませんから。目に・・・目に塵が入っただけですし・・・』
『ありがとうございます。貴女はお優しい。それはそうと・・・ロイド卿は貴女の恋人ですか?』
突拍子もない質問にエイダは驚いて目を丸くしてしまった。
『ど、どうしたらそんな話になるのですか?』
『違うのですか?王子が貴女に構う度に凄い目で王子を睨んでいましたからてっきりそうだと・・・自分の恋人が他の男に言い寄られるなんて良い気持しませんからね』
『ち、違います!私が恋人なんて、あ、ありえません!わ、私が失敗しないか、み、見ていただけだと思います!』
エイダは尚更驚いて言葉に詰まってしまった。
『恋人ではない?そうですか・・・でもロイド卿は貴女が好きなのでしょうね。それもかなり・・・そうでないと大事な賓客を敵視するなんて考えられませんからね。お若いからでしょうが少し軽率でしたね』
エイダは驚くと言うよりも心臓が止まるかと思った。ロイドが自分を好きなんてそれこそ天地がひっくり返ったとしても絶対に有り得ないことだ。それにロイドがまるで無能のような言い方に何だか腹が立ってきた。
『ち、違います!ロイド卿の好みは私と正反対だから絶対に違います!王子を敵視したのではなくて私がきちんと出来ないから私を睨んでいただけです!あの人はトゲトゲのゲジゲジの意地悪虫ですけど仕事は出来て王様やみんなからも頼りにされています!』
エイダは一気にまくし立てるように言った。エイダはロイドが遅くまで仕事をしているのを知っている。変な嗜好があっても何よりも仕事を優先しているとジュードも言っていた。意地悪でもニコニコ仮面でも誰もがロイドを信頼しているのもエイダは分かっていた。だから・・・だから・・・
『―――あの若さで重臣なのですからそれなりに力があるのでしょうね。大変失礼な事を申し上げました』
アーマイルから謝られたエイダは居心地悪くなった。思わずロイドの弁護をしたことも自分で驚いていた。そのアーマイルがまた、じっとエイダを見ていた。
『何故、私をそんなに見るのですか?何か?』
『―――貴女のおばあ様がサイルド人だったとおっしゃっていましたよね?』
『はい、それが何か?』
『お名前は?』
『祖母の名前はカーラです』
『カーラ!ああ、やはり!貴女はおばあ様に似ていると言われていませんでしたか?』
アーマイルは興奮したようにエイダの両腕を掴んで揺さぶった。
『え?ええ、そうですけれど?』
『やっぱり!何と言う幸運!貴女のサイルド語を聞き、もしかしたらと思っていましたが・・・ああ、本当に面影がある・・・』
『もしかして・・・祖母をご存知なのですか?』
エイダは驚きながら聞いた。
『ええ、そうです。でも話せば長くなりますからまたゆっくりお話しましょう。その時、全てお話します。貴女の起源とも言うべきお話をね。では可愛い人、また後で―――』
アーマイルは嬉しそうな笑みを浮かべてエイダの手の甲に口づけをした。驚いたエイダは慌てて手を引っ込めようとしたがその手は強引に掴まれたままだ。
『放して下さい!』
『道に迷われているのでしょう?一緒に参りましょう』
『・・・・・・・・・』
アーマイルと一緒と言うとサリム王子に会うかもしれない。それは嫌だった。
『大丈夫、王子には何もさせません。お約束します』
エイダはサリム王子と一緒に居るところを見たロイドが満足そうな顔をするのを見たく無かった。ふと、ロイドと王の会話が蘇って来た。
〝エイダに特別手当をやるからサリム王子に身体まで与えろと言えば良いのですね?〟
(・・・最初、断ってくれた時は見直したのに・・・結局あいつは王様には逆らえないんだ!)
エイダはもうこんな仕事は投げ出して帰りたかった。しかし今まで引き受けた仕事を途中で放り出したことは無い。それにお金は絶対にいるのだ。王宮の仕事から逃げたとなれば信用は無くなり次の仕事さえ見付からないかもしれない・・・
(コリー・・・)
エイダは可哀想な弟のことを思うとこの場から逃げ出せなかった。
(じゃあ、あいつの言う通りに?)
それも嫌だった。〝鋼の舞踏〟と異名を持つ彼女の〝鋼〟は使う武器に例える他に男に媚らない堅い女と言う意味合いもある。女として魅力的でも彼女を知る男達は皆が皆エイダを女として扱わない。誰にもなびかないばかりか、ちょっかいを出せば痛い目にあうと分かっているからだ。だからもちろん王命だろうと嫌なものは嫌だ。でもそれをロイドから説得されるのはもっと嫌だと思った。―――何故だか分からないが嫌なのだ。それならいっそ自分から進んでやる方が良いとさえ思う・・・ほとんど自棄だ。
『お約束して頂けるのならご一緒させて下さい・・・』
アーマイルの約束がどこまで効力があるのか分からないが少しぐらい盾になってくれるかもしれないとエイダは思った。後は自分で何とか上手く王子から逃げようと決意した。
(こうなったらそうするしか無いじゃない?)
ロイドから追加料金で身を売るように言われるくらいなら自分で何とかしよう。そう決意したエイダはアーマイルと歩きだしたのだった。
「ジュード、エイダは何処です?」
「えっと・・・顔を洗いに行っています」
「顔?何故?」
ロイドは何故か心が落ち着かなかった。グレンが言った言葉が何度も浮ぶのだ。
〝聞かれたな〟
聞かれた?
〝エイダに特別手当をやるからサリム王子に身体まで与えろと言えば良いのですね?〟
グレンを困らせようとした言葉―――エイダは聞いて無いと思うが気になって仕方が無かった。
(聞いていたのなら悪態をついて怒り狂うだろうから違うだろう・・・)
エイダが可愛らしい声で囀るように怒る姿を想像したロイドは思わず微笑んでしまった。驚いたことにそれが可愛らしいとさえ思ってしまう。
(可愛い?はは・・・馬鹿な・・・)
「・・・・・・・・」
ジュードはエイダが泣いていたと伝えるべきか否か迷ったが彼女の為、嘘をつくことにした。エイダも自分で泣いてないと言ったぐらいだ。
「えっと・・・化粧直しです。でも・・・遅いのでどうしたのかと思っていたところです」
「化粧?慣れないことをするからでしょう。用があると言うのに全く―――彼女は着飾る必要は無いのに・・・」
「そうですよね?エイダさんはあそのままでも十分、綺麗ですから。でもやっぱり女の子だなと思いませんでしたか?着るものと化粧ひとつであんなに変わるのですからね」
ロイドはジュードを、じろりと睨んだ。そんな事を言いたかった訳ではなかった。それに彼女を綺麗だと言うジュードに腹が立って来た。
「彼女は私の好みではありません」
「もちろんそうでしょうけれど一般的には十分魅力的ですよ」
「ジュード!貴方と女性の好みを語り合う暇はありません。さっさとエイダを見つけて連れて来なさい!」
「あ、は、はい!直ちに!」
慌てて去って行くジュードの後ろ姿を腹立たしく見送ったロイドだったが苛立ちは増すばかりだ。
「だいたい陛下が悪い!エイダの服装に注文を付けるから!あんな・・・」
ロイドは続きの言葉が出なかった。酷評したいのに言葉が見つからないのだ。
「いずれにしても服装は改めてあの色狂い王子に予防線を張らないといけませんね。全く困ったものです」
ロイドは困ったと言いながら無意識に口元は微笑んでいた。エイダが自分への腹いせに着ていた老婆のような格好をしたらどうだろうか?と想像してしまったのだ。
(ブカブカの鼠色の服を着たエイダを見た王子の顔が見ものですね。あの姿に邪な気持ちも消えうせるでしょう)
自然と笑いが込み上げて来た段階でロイドは我に返った。
「笑っている?私が?」
自分の笑みさえも計算するロイドが無意識に笑むことは殆ど無いに等しい。しかしエイダと関わってからそういうことが多かった―――冷静に頭の中を整理し始めたロイドは恐ろしい事に気が付いた。それはあらゆる角度から検証しなおしても答えは同じだった。
「まさか・・・そんな馬鹿な・・・」
否定しつつもこの答えには絶対の自信があった。ロイドは誰よりも優れた洞察力を持っている。間違える事はもちろん読み違える事も無い。それは自分自身が一番良く分かっていた。
そのロイドが辿り着いた答えとは―――
「私は・・・エイダを欲している?それは・・・好き?らしい」
ロイドは自分の気持ちに驚いた。今までこんな感情を抱くことが無かったから尚更だ。冷静に自分を分析すればする程、ロイドの顔は険しくなってしまった。
(好みなのは声くらいだ。容姿ははっきり言って全く好みでは無い・・・荒っぽい性格も、従順さの一欠けらもない頑固さも範疇外・・・)
しかし気が強そうに見えても脆さも背中合わせのようだった。それが表に出た時の危うさは何とも言えない魅力に溢れていた。普通ならそれをもっと煽って楽しみたいところだが・・・エイダには優しく手を差し伸べて抱きしめ慰めたいと思う衝動を感じたことがあった。只の好みならそこまで思わないだろう・・・それ以上の感情だからこそそう思うのだとロイドは結論を出した。
「・・・これがあの陛下がかかった病ですね・・・確かに治療は困難で回復の見込みは無いに等しい・・・まさかこの私がかかるとは・・・この私が・・・くくっ・・・これは大変だ。私を毛虫か蛾のように嫌っている相手を手に入れようとするとはね・・・」
ロイドは愉快そうに笑った後、その場にいないエイダに向かって言った。
「エイダ、私は今まで交渉相手に否を言わせたことは無いのですよ。覚悟してくださいね」
この言葉をもしエイダが聞いていたらきっと最初の一人になってやると啖呵を切るかもしれない。それがまた手強く楽しいだろうとロイドは思った。
「さあ、エイダ早く私の所へ来なさい・・・」
ロイドは心騒ぎながらエイダを待ったのだが・・・手ぶらで戻って来たジュードから彼女の居場所を告げられた。
「サリム王子と一緒にいる?」
「は、はい。エイダさんは今、王子とご一緒にいる様子です」
偶然だろうかとロイドは思ったが偶然にしては王子の客間とエイダの居た場所は遠過ぎる。わざわざ行かない限り会える確率は低いだろう。
(まさか・・・自分から?嫌っていた様子の彼女がそうすることも無いだろう・・・となれば・・・陛下が?)
ロイドはグレンを疑った。自分と別れた後、エイダをつかまえて言い包めたかもしれないと思った。サイルドとの同盟は重要でありそれくらいしても不思議ではないのだ。自分ならそうするとロイドは思った。特にグレンは本気なのか冗談なのかロイドでも真意を読み取るのは難しいのだ。唯一、首を縦に振らせる事の出来ない人物だ。
ロイドは顔を険しくするとスタスタと歩き出した。
「ロイド卿、どちらへ?」
「もちろん、サリム王子の所です。彼女がそこに居るのなら丁度良い。私は王子に用があったのですからね」
ジュードは〝用がある〟と言った時のロイドが恐ろしく冷やかで内心その場から逃げ出したい気持ちになった。
(うう・・・めちゃめちゃ怒っている。何で?)
ロイドの不可解な怒りにビクつくジュードは何故なのか考えた。しかし思いつく答えは絶対に有り得ないものだった。
(まさか・・・エイダさんが好き?ははっ・・・絶対に無いよな)
その絶対に無いことが今、起きようとしていたのだった。