鋼入りの靴<最終話>
『ロ、ロイド卿?・・』
あっ、と言ってエイダは口に手を当てた。ポロリと思わず言ってしまったが特別に深く考えたものでは無かった。しかしロイドが優しく微笑んだので否定する言葉を呑み込んでしまった。そして腰に腕を回され身体を寄せられた。
『と・・・言う訳ですから申し訳ございません。エイダは王子に渡せません』
『賢くない選択ですね。貴方個人の事情で同盟の機会を逃してシーウェル王は納得しますか?』
『この件は私に一任されていますし、陛下なら笑って好きにしろと言われるでしょう』
『・・・・・・・・・』
サリムは返す言葉が見つからなかった。大国の若き王とその片腕が些細なことで揺らがないことを見せ付けられたのだ。自分がその些細な・・・それも私的な事を持ち出していることが恥ずかしくなってしまった。そしてその話はそこまでとなりロイドの見せたいと言った軍事施設を訪れたのだった。
シーウェル王国が誇る軍艦はもちろん、それを生み出し動かす動力の炎石の重大さを改めて実感したサリムだったが、豊かで活気ある街に感銘を受けたようだった。
『陛下はこの戦力をもって大陸の統一と言う野望はございません。ただ民が豊かで住み良い国・・・皆が幸せに暮らせる国であれば言いと申しております。その為にベイリアルに対抗しようとしているだけでございます』
ロイドの言葉に嘘偽りは無かった。以前は大陸の覇権を狙っての建前だったが今は違う。グレンの意向が変わったのだ。守るべき愛しい者を見付けた王が小さな幸せを望む―――ロイドにしては少し物足りない気持ちだったが今ならグレンの想いが身に沁みて分かる。きっと大陸の国がシーウェルと名を変えたと報告を受けるよりもエイダの笑い声の方に価値を感じるだろうからだ。
そしてエイダは通訳する必要が無くなったのに、ずっと同行させられていた。しかも自分の置かれた状況が良く分かっていなかった。
(私・・・何て答えた?王子とあいつとどっちと結婚するかって聞かれたんだよね?確か・・・そんな意味だった?ちょっとまって!それって・・・)
落ち着いてくると段々と意味が分かって来た。しかしその時は既に今日一日の行程が全て終わった後だった。ぼうっとしているといつの間にか見覚えある部屋。そしてロイドの顔が間近で・・・
(えっ!なっ!)
抱き寄せられて唇が重ねられた。
「うぅ・・・・・・っん」
驚いたエイダはロイドを突き飛ばしたかったが痺れるような巧みな口づけに四肢の力が抜けてしまった。そしてそのまま寝台へ、ドサリと倒されてしまった。此処はロイドの部屋―――長い口づけの後、やっと顔を上げたロイドをエイダは只々、呆然と見るだけだ。
「私の可愛いエイダ、愛していますよ」
エイダはようやく我に返った。
「ちょっと待って!あんたどうしたのさ!忙し過ぎて頭が可笑しくなったんだろう?私が可愛いって?それって可笑しいよ!」
「どうして?貴女は可愛いですよ」
「ち、ちょっと!ま、待って!」
ロイドが、スルスルと胸元の紐を解くから服が脱げそうだ。しかしエイダは待てと言っても身体に力が入らずロイドの手の侵入を許してしまっている。スルリとロイドの手がエイダの豊かな胸に滑り込まれるともう本当に混乱してしまった。
「大丈夫。恥ずかしがらなくてもいいですよ。私に任せなさい」
「そ、そんな問題じゃ・・・あっ・・・ん」
何故か特に抵抗も出来ずエイダはロイドと一夜を共にしてしまった―――
そして翌朝―――
エイダは、はっとして目覚めて起き上がった。
「ゆ、夢?ははは・・・そ、そう。夢だったんだ」
と・・・思いたかったエイダだったが自分も裸だし・・・後ろから手が伸びて来て胸を包み込むように絡められると寝台へと引き戻されてしまった。ぎょっとして見ればにこやかに微笑むロイドがいた。しかも彼も裸だ!
「ロ、ロイド卿!」
「アシュリー。私の名前はアシュリー。さあそう呼んで」
「アシュリー?そ、そんなこと言っている場合じゃない!」
「さてと・・・結婚式はいつにしましょうか?弟君を引き取るのは良いとしてもアリスとは一緒に住みたくは無いし・・・サリム王子にサイルドへ連れて行ってもらいましょうか?彼女なら大喜びでしょうしね」
ロイドが楽しそうにエイダをぴったりと抱き寄せて言った。
「ち、ちょっと!誰が結婚するって言ったの!」
「誰がって?私と王子どちらとするかと聞いたら私と答えたのはエイダでしょう?」
「そ、そんな!あ、あれはゴチャゴチャ言って急かすから・・・何が何だか分からずに言ったんだ!」
それはもちろんロイドは分かっていた。エイダは急かされると冷静さを欠くようだったからそれを計算した上のことだ。
「それでも昨晩は抵抗しませんでしたでしょう?私は無理矢理貴女を犯した訳でも無いと思いますが?違いますか?」
エイダは顔を真っ赤にした。それこそ初めての行為で何が何だか分からなく流されてしまった感じだ。もちろんそれもロイドの計算だ。言葉でロイドに勝てるものでは無い。ロイドの一気に押し切る作戦は成功したようだった―――
その後、潔くエイダを諦めたサリムは改めてシーウェルを見聞しグレンの理想に感銘を受けて同盟の意思を固めたようだった。そして帰郷の際はアーマイルと雰囲気が良くなったアリスを連れてサイルドへと帰って行った。
その船を見送った後、ロイドはグレンに頭を下げた。
「流石陛下、上手く王子を誑し込みましたね」
「人聞きの悪い事を言うな!お前にだけは言われたく無い!しかもエイダに代わる土産まで付けて・・・本当にお前は恐ろしい」
「それこそ人聞きの悪い。私がまるで悪人のようではありませんか?エイダが聞いたら怒りますでしょう?」
「私は怒らないよ。アリスは喜んでいたし。一生懸命サイルド語を覚えようとしていた。あんなに真剣なアリスを見たのは初めてだったから」
性格的に合わなくても姉妹だから離れ離れになるのは少し寂しかった。
「また会えますよ。新婚旅行はサイルドも入れましょうか?」
新婚旅行と聞いたグレンが驚いて聞き返した。
「今、新婚旅行と言ったのか?お前、いつの間に結婚を決めた?」
「申し上げておりませんでしたか?」
「聞いてない」
「そうでしたか。私はエイダと結婚します」
「私は承知して無いよ!」
エイダは直ぐにそういったがロイドもグレンも聞いていない。
「さてと・・・忙しくなります。少し此処に長く居ましたからね」
「え?何処かに行くのか?」
ロイドの予期しなかった言葉にエイダは不安になって聞いた。
「私は殆ど外国周りですからね。きっと珍しいものばかりで貴女も退屈しませんよ」
ロイドはもちろん彼女も連れて行くつもりのようだった。
「・・・私は行かない」
「結婚しないと言いたいのでしょう?それは聞けません」
「今までは仕事だったから国を出ていたんだ。そんな暮らしはうんざりさ!まとまった金を貰ったから暫くコリーとゆっくり此処で暮らす。だからあんたに付いていかない!」
「振られたなロイド」
揶揄するグレンをロイドが睨んだ。
「陛下、今日限りで外務卿を辞めさせて頂きます」
「なっ!何、言ってんだ!」
驚いたのはグレンよりもエイダだった。
「別に驚くことでもないでしょう?私は貴女のことが大切ですからね。貴女が外国に行くのが嫌なら私も行かないだけです」
「ば、馬鹿!そんなこと出来る訳無いだろう!王様も止めて!」
「あはははっ、まあ好きにしたら良い」
「そ、そんな!王様!」
エイダは笑いながら去って行くグレンの背中へ叫んだが無駄だった。そして残ったのは微笑み浮かべるロイドだけだ。
「さあ、エイダ・・・今後の話をしましょう」
「わ、私は、は、話なんか無いよ」
エイダは首を振りながら後ろに退いてもロイドがあっという間にその距離を縮めるから無駄だった。
「こ、これ以上近寄ったら蹴るよ!」
「どうぞ、構いませんよ」
「構わないって・・・ちょ、ちょっと・・・駄目」
エイダは足を振り上げたが避けようともしないロイドを蹴り上げられなかった。
「おや?蹴らないのですか?」
「くっ・・・」
「エイダ、私のことが好きなんでしょう?」
「ち、違う!絶対に違う!」
「違いませんよ」
「ちょっと・・・」
抵抗空しくエイダはロイドに絡め取られ口づけされた。そうなればロイドに逆らう気力は失せてしまう。それからエイダは嫌だ!嫌だ!と口では言ってもロイドと結婚してしまった。彼女から好きだとは言われないが〝嫌だ、嫌い〟と言うのが愛情表現だと信じているロイドだった。
「一度くらい言って貰いたいのですがね・・・」
仕事も無く優雅に過ごす昼下がり―――エイダに膝枕をして貰っていたロイドが、ぼそりと呟いた。
「何?」
「貴女に一度くらい私が好きと言って貰いたいと思っただけですよ」
「ば、馬鹿!あんたは嫌いだって言っているだろう」
答えはいつも同じ・・・ロイドが残念そうに溜息をつくのも同じだ。居心地の良いエイダの膝から起き上がった。
「何処に行くんだ?」
「何処にも行きませんよ」
振り向くとエイダが珍しくとても不安そうな顔をしていた。エイダは不安だった。一気に押し切られて瞬く間に結婚したがロイドは宣言通りに仕事をしなくなったのだ。毎日毎日だらだらとエイダと過ごすだけ・・・あれだけ仕事熱心だった男が急に生活を変えられる筈も無い。今に退屈して・・・エイダにも飽きてしまうかも・・・と言う不安が心の中で渦巻いていた。しかも意地悪虫のロイドは顔を出さずエイダを甘やかし放題だった。ジュードの話ではお気に入りを苛めるのが好きだと聞いていたのに?不気味な感じだ。
「・・・退屈だろう?」
「いいえ、貴女と居たら退屈なんかしませんよ。私の可愛いエイダとのんびり過ごすなんて至福ですしね」
「そんなことばかり言っていると本当に仕事が無くなるよ!」
「一応、働かなくても財産はたっぷり有りますから心配しなくて良いですよ」
「そうじゃなくて・・・」
「そうじゃなくて?」
エイダはベタベタと触って来る鬱陶しいロイドを睨んだ。
「私の言いたいこと分かっているんだろう!アシュリー、あんたなんか嫌いだよ!でも時々は・・・す、好き」
ロイドはまさか?と思って動きを止めた。
「今・・・何て?」
聞き返すロイドが満面の笑みを浮かべている。落ち着かなくなったのはエイダだった。勢いでとうとう言ってしまった。そうじゃないとロイドが何処かに行ってしまいそうな焦燥感に駆られたのだ。
「エイダ?」
いつもの作った笑みじゃないがこの顔が憎らしい・・・でも好きになってしまったのは本当だ。つくづく趣味が悪いと思う今日この頃なのだが・・・
「嫌いだけど好きだって言ったんだよ!と、時々!わ、悪い?」
「エイダ!」
しまったと思ったエイダだったがもう手遅れだった。大喜びのロイドから逃れる術は見付からなかったようだ。
―――王宮―――
「ロイド卿を最近お見かけしませんがまた外交でお出かけですか?」
シーウェル王最愛の妻ニーナがふと口にした。国内に居る時は日参とまでは言わないが良く顔を出していたからだ。
「ロイドが来ないと寂しいのか?」
グレンは少し不機嫌に聞き返した。未だにニーナが他の男の話題を持ち出すだけで気分を害してしまう。そんな自分に嫌気がさすがこればかりはどうしようもない感じだ。でもニーナは微笑んだ。以前ならグレンのそんな態度に、ビクビクとしていたが今は微笑むことが出来る。夫の嫉妬が愛情の裏返しだと良く分かっているからだ。
グレンは微笑んで答えないニーナを抱き寄せた。
「ロイドは今、病気療養中だ」
「ご病気だったのですか?」
「ああ、恋の病だ」
ニーナは一瞬、びっくりした顔をして笑った。
「驚いただろう?だから少しゆっくりさせている。復帰後はもっと働いて貰うつもりだからな」
そのグレンの言葉通りにロイドは再び国政へ携わる事となったのだった。復帰を考えていなかったロイドだったがエイダが余計な心配をするので嫌々ながら承知したらしい。ロイドを動かせるのは自分では無くエイダのようだとグレンが笑った。
「陛下もそうでございましょう?貴方様を真に動かせるのはニーナ様のみではございませんか。陛下はまだ良いです。私は鋼の蹴りが飛んで来ますからね」
「蹴り?はっはははっ、それは怖いな。しかしそれでもそれを注文したんだろう?」
ロイドは微笑んだ。手元にあるのはエイダの為に特注した靴だ。貴婦人が履くような贅沢な品だがそれにはもちろん鋼入りだった。華奢で可愛らしい贅沢な靴に武器を仕込んだ靴。もう用心棒家業をしている訳では無く必要が無いのに?と思うのだが・・・
「言い寄る男がいたらいけませんからね。私のエイダは可愛いから」
本気で言うロイドにグレンは呆れた。大の男でも倒してしまうと言う彼女を可愛いと言うのはロイドぐらいだろう。男に負けまいと肩を張って生きていたエイダが力を抜く事が出来たのはそんなロイドだったからかもしれないとグレンは思った。
「分かった、分かった。では、今夜ある夜会に同伴しろ」
「お断り致します」
「そうか?その靴を履いて貰える理由が出来ると思うが?お前の趣味を彼女が好むと思えないし」
「・・・・・・・・・」
可愛いエイダを他の男に見せたく無いが・・・趣味を凝らした靴は履いて貰いたい。
「陛下は本当に人の弱みを突くのがお上手ですね」
「お前に言われたくないな」
二人はお互い笑い合った。
そしてその後も彼女の靴はいつも特注で頼まれる事となった。もちろん鋼入りで―――