探し人
シーウェル王国の外交を司る外務卿ロイドは仕事上、自分の屋敷に戻ることは一年の内に何度も無い。一、二ヶ月留守をする時もあれば暫く帰って来ないと思った矢先の三日後に帰るとか決まったものでは無かった。だから突然屋敷に顔を出せば召使い達が慌てふためいている。それは抜き打ち検査のようなものだからだろう。主が留守であろうと無かろうときちんと屋敷を守ってもらわなくてはならないのだ。帰る度に調度品が無くなっていたり柱の金箔が剥がされていたりしたらおちおち留守も出来ない。
ロイドは歩きながら方々に視線を走らせた。
(異常なしのようですね・・・)
数年前までは母親が健在で屋敷の心配などする必要もなかった。女主人が居ると居ないとでは随分違うのだ。世話好きの親族からはそれならと結婚を勧められるがそういう気にはなれなかった。面倒なものに関わりたくないし嫌いなのが本音だ。
(とにかく女性は面倒で疲れるものですからね)
そういうロイドは仕事となれば手抜かりは無い。交渉相手が女性ならもちろん、男ならその妻や娘に至るまで趣味や好みを把握してご機嫌伺いする。その細やかな心配りは面倒な事を嫌う人物がするものでは無い。だが私用となれば別のようだ。
今日は屋敷の検分を兼ねる為、仕事を持ち帰っていた。そこへ外務省の部下達が入れ替わり立ち代わり出入りしていたのだが、その中でも大事な用件を任せていたジュードの報告にロイドは眉を寄せた。
「サルイド語を話せる者が見付からない?交易が無い国とは言っても何代か前の移民はいるでしょう?良く探したのですか?」
「はい、サルイド国からの移民はもちろん居ましたが高齢のせいか使わなくなって久しいせいか不自由な者が多く、その家族は挨拶くらいしか話せません」
ロイドは珍しく考え込むような顔をした。仕事に関して相手が不安がるような態度をすることが無い彼にとって本当に珍しいものであり、それだけ困った状況なのだろうと考えられた。報告をしたジュードもこの件に関しては切れ者のロイドでも打開策を打ち出すのは難しいと案じていた。
サルイド国とは国交が無い。先々王時代に友好関係だったその国を怒らせて断絶してしまったのだ。かと、言って大国シーウェルが他国の一つや二つと国交が無くても動じるものでは無かった。しかし今は状況が一変してしまったのだ。サイルド国には豊富な炎石がある。その石はどんな炎よりも火力が強く色々なものに使用される貴重なものだ。船はもちろんシーウェルの誇る巨大な軍艦を動かすには必要不可欠なものであり鉄器製造も容易に出来る。シーウェルは属国や植民地から十分な量を供給出来ていて国交を断絶している国のものを当てにする必要性は全く無い。しかし敵国ベイリアル帝国がその炎石の利用方法の開発が進んでいるとの情報が入ったのだ。この技法はシーウェルが開発し独占市場だった。それでどれだけの富と力を手に入れたのか計算出来ないくらいのものだ。しかし今はそんな損得では無く帝国がこれを完成させて次に狙うのはその石の供給源だろう。そしてその次は・・・
(軍艦の造船・・・海の支配を狙ってくる)
陸の勇はベイリアルかもしれないが、海はシーウェルの独占上だ。大陸の統一を目指すなら陸海共に制圧しなければ意味が無い。シーウェルは今陸の同盟を固めているがまだ時間は必要だった。ベイリアル包囲網が完成する前に更なる力を与える訳にはならないのだ。その為にもサイルド国の国交回復と同盟協定を結ぶ必要があった。
サイルド国の気質は誇り高く孤高だ。名誉の為に死も厭わない困った頑固者達だ。それに危険を伴う炎石の採掘には熟練の技が必要だった。だから協力して貰わなければどうすることも出来ないのだ。国民性から考えると無理強いしても最後まで抵抗するか潔く死を選ぶだろう。だから慎重に話しを運ばなければならなかった。ベイリアルも当然ここは穏便に取引を持ちかけている筈だ。もちろんシーウェルも黙ってはいないからグレンから任されたロイドが動いているのだ。そして漸くサイルド国からの賓客を自国に迎え入れることに成功したばかりだ。しかも相手が次期国王と噂される王子のシーウェル入りだ。万全の体制で接待と交渉を進めないといけないのだ。ところが・・・
「どう致しましょうか?通訳がいないと何かと支障が出ますでしょう?コール殿にお戻り頂きましょうか?」
ジュードが思案するロイドに恐る恐る提言した。通訳がいなければ支障が出るどころでは無い。何不自由無い快適で心地よい持て成しはロイドの流儀だった。それにより相手の満足感をくすぐりその間に主導権を握り優位に話しを進める事が出来るのだ。言葉が通じなければ・・・もしくはたどたどしいものになれば効果が半減するどころか返って苛立ちを濃くしてしまうかもしれないのだ。言葉は外交にとって命と言っても過言では無い。
ロイド自身かなり外国語を堪能に話すが流石に国交が無くなって久しい国の言葉まで覚えてはいない。それは皆、同じだった。奇跡的にも部下で唯一喋れたのがコールだった。サイルド国出身の祖母を持ち本人は幼い頃興味半分で覚えていたのが役に立ったものだ。それでも本格的に使いこなすにはかなり苦労したようだった。
「コールは駄目です。彼の努力でサイルド国王に気に入られているのに迂闊に呼び戻しては支障が出ます。コールは動かさずサイルドで交渉を続けて貰います。こちらはこちらで対応しましょう」
コールの外交はロイドの指示で半分は成功している。国王はシーウェルとの同盟に乗り気になっている。しかし王子が反対しているのだ。その王子を交渉の席に呼んだと言うよりも乗り込んで来たと言った方が正しいだろう。見た事も無い国と交渉など出来ないとの意見だった。
「ご主人様、お茶をお持ち致しました。如何致しましょうか?」
二人が無言で考えている所に召使いの声が扉の外から聞こえて来た。
「アリス?お入いりなさい。一服したいと思っていました」
ロイドの顔が一瞬緩んだ。上司の趣味は身をもって知っていたジュードはロイドのその顔を見て、あっと思った。そして入って来た召使いを見ればやっぱりと思った。
「ジュード・・・今、あっと思って、やっぱりとか思ったでしょう?」
「い、いえ、そのような・・・」
目を伏せるように見せかけて、ちらっと突き刺すような視線を流して来た上司にジュードは冷や汗が出て来た。
(や、やっぱりロイド卿は心が読めるのか?)
「ジュード。今、私が人の心を読めるのではないか?とか・・・思ったでしょう?」
「ほほ、ほ、本当に読めるのですか!」
「読める訳ないでしょう。読めるならもっと仕事も楽に出来ている筈です」
ジュードは、ほっとして目の前に出されたお茶を上司より先に断りも無く、がぶ飲みをした。
「あつっ!」
「慌てて飲むからですよ。焼けどした舌を舐めてあげましょうか?」
「け、けけ結構です!私はもうこんなに大きいのですよ!は、範疇外でしょう!」
「もちろんそうです。つい癖でね。ふふふっ」
ジュードは、ぞっとしてしまった。外務省に入った時、自分でも嫌なくらい背が低く童顔だった。彼を知らない人物が見れば子供としか思わなかっただろう。しかしそれでロイドの目に留まってしまった・・・小さなものや可愛らしいものを好むロイドの愛情表現は屈折している。可愛がりながら苛めるのだ。ジュードは急に成長したからその期間は短かったもののそれまでこの標的となってしまった。それでもこのロイドに付いて来たのはその性癖を除けば上司として十分尊敬に値したからだろう。
(それにしてもロイド卿が滅茶苦茶好みそうな女の子だな・・・可哀想に・・・)
アリスと呼ばれた幼な顔の召使いをジュードは気の毒そうに見た。小柄でまだ童女のような初々しい香りを放つ少女は本当に可愛らしかった。
「ジュード、アリスが可愛いからと言って不躾に見ないで欲しいですね。減ります―――それよりもこうなったら移民の年寄りを掻き集めて覚えている言葉を誰かに習わせましょう。それらを組み合わせて形になることを祈るしかないでしょうね」
「あの・・・もしかしてサイルド語を話せる人を探しているのですか?」
いきなり話しに割り込んで来たアリスを彼らはピタリと話しを止めて見た。
「あっ、申し訳ございません。お仕事のお話に口を挟んで・・・」
「アリス、誰かに心当たりがあるのですか?」
「え、ええ」
「サイルド語も公用語もどちらも話せないといけないのですよ」
「はい。どちらも話せます」
ロイドとジュードは顔を見合わせた。彼らが国中探しても見付からなかったのに彼女はその人物を知っていると言うのだ。
「それは何処の誰です?この近くに居るのですか?それが本当なら会わせて貰いたい」
「私の一つ下の妹です。私達の亡くなった祖母はサイルドの移民でして私は全然覚えませんでしたが、妹は喋れます。たぶん今日の昼過ぎに戻って来ると連絡がありましたから此処まで連れて来られると思います」
「君の妹さん?ロイド卿、意外な所に救世主がいましたね?」
ジュードが、ほっとしてロイドを見ると嫌な予感がした。
「そうですね。お話してみないと何処まで通用するか分かりませんが・・・楽しみです」
(しまった!あんなに可愛い子の妹ならもっと・・・ロイド卿の悪い癖が出なければいいけど・・・)
ロイドの楽しみとはもちろんジュードが懸念した通りのことだった。屋敷に最近入って来たアリスは好みでお気に入りになりつつあった。まだ観察中という段階だが手を出すのはそう遠くない。そのアリスの妹となれば期待十分だった。不道徳に姉妹で囲っても良いがどちらかを選別しても良い感じだ。そういう想像を巡らせている間に彼女達が到着したようだ。
「アリス、ご苦労だったね。ところで妹さんは?」
小さな子供に話しかけるように身を少し屈めてロイドは聞いた。訊ねられたアリスは少し驚いて隣に居た人物を見上げた。彼女のその視線を追ってロイドはその人物を見た。アリスが入室して来た時からロイドの目には入っていたが、拒否するしか無い形は益にならなければ無視する。それは何時ものことだった。
「あの・・・この子が妹のエイダですけど・・・」
一瞬、ロイドは息を呑んだ。可愛らしいアリスの妹は彼女よりもっと可憐で愛らしいと勝手に想像していたのだ。
それがおずおずと紹介するアリスより遥かに背が高く・・・長身のロイドの目線ぐらいは十分あった。褐色の肌はもっと日焼けしシーウェル人独特の金の髪では無く真っ直ぐな漆黒の髪はサイルド人の血が出ている証拠だろう。それを短く肩で切り揃えていて・・・それよりもロイドが視線を留めなかった理由として肉感的な曲線を描いた身体・・・最も嫌悪するものだ。
「ロイド卿、ロイド卿」
ジュードに呼ばれてロイドは、はっと我に返った。
「・・・これは失礼致しました。アリスと雰囲気が違ったもので・・・」
「似ていませんでしょう?何時も言われます」
アリスが鈴を鳴らすように可愛らしく笑った。ほっとする光景だが・・・横を見れば悪夢のような物体が・・・それにしても着ているものに唖然としてしまう。たぶん出っ張り過ぎている胸は下着など付けていないだろう。皮で出来た袖無しの丈の短いシャツで窮屈そうに収めているだけでかえって大きさを強調している感じだ。
そして平らで鍛えた腹は丸出しで、へそのずっと下からぴったりとした皮の短いスカートを着用していた。だからと言って女を強調しているように見えないのは露出した、しなやかで強靭そうな四肢が女性独特の色香や甘さを完全に抑えているせいだろう。彼女はロイドの好みから程遠いものだった。それでも仕事となれば関係無い。
「頼もしそうな妹さんだね。どんな仕事をしているのか聞いても良いかな?」
「・・・・・・・・・」
「も、申し訳ございません。妹は無口なもので。商船の用心棒のようなものをしております」
「女性の身で?それは大変でしょう。でも素晴らしいことですね」
ロイドの心にもない世辞に、そっぽを向いていたようなエイダが彼を見て少し驚いたような顔をした。見た事も無いような上品な男に褒められる経験など無い。仕事仲間はがさつだし商売人達は金を数えるのが趣味の弱虫ばかりだった。アリスから急に引っ張られて来て何が何だか分からないが金儲けが出来るのなら文句は無かった。
「しかし・・・無口なのにこの仕事は大丈夫でしょうか?聞いていますよね?サイルド語の通訳の件。大事なお客様の滞在中の通訳はもちろん、会合では政治的にも重要な話しも盛り込まれますから日常会話以上のものが出来ないといけませんし・・・如何でしょうか?」
駄目なら駄目で、さっさと目の前から消えて欲しいとロイドは思っていた。それこそそんな苛立ちを顔に出さず微笑んでいる。
「ご主人様、エイダが無口なのは、ですね――」
アリスがロイドを見上げて言いかかったが、無口な妹が首を振った。
「姉さん、いい。自分で話す」
その声を聞いたロイドは彼女がアリスの妹だと知った時以上に驚いたのだった。