復讐
亮の無断外泊は初めてのことだった。
その前兆は確かにあった。
それは最近、頻繁に帰りが遅くなること。
たまに香水の匂いがすることもあった。
それなのに、真子は言えなかった。
最後まで三ツ屋を信じたい一心で。
けど、それがもろくも崩れ去ってしまった。
亮は不倫をしている。
相手は、間違いなく鈴木有紗だ。
一目見たときから、嫌な予感はしていた。
あのルックスとスタイル、まるで男を誘っているような雰囲気。
あの女が亮を惑わせたんだ。
怒りの矛先は、三ツ屋ではなく有紗に向いていた。
絶対にあの女だけは許さない!
拳を握りしめていたら、インターホンが鳴った。
「亮?」
思わず名前を口にしたが、インターホンを鳴らすはずがない。
モニターを見ると、そこには信じられない人物が立っていた。
あの女、何をしに来たの?
真子は警戒しながらドアを開ける。
「奥さま、おはようございます」
以前と同じようにニコニコしている有紗。
でも間違いなく、その笑顔の裏はどす黒い悪魔のような顔をしているはず。
そして、谷間が見えていて、ミニスカート。
この女がこうやって亮をたぶらかしたんだ。
抑えられないほどの怒りがこみ上げてくる。
「亮は…亮はどこにいるの!」
「会社で仕事してますよ。少しいいですか?」
そういって、有紗は勝手に部屋に入った。
「なんで勝手に入ってるの!」
「奥さまにお話があるので、玄関で話すのもなんでしょう。大事な話ですし」
やっぱり亮は、この女と寝たんだ。
ううん、それだけじゃない。
きっと亮を奪おうとしているんだ。
それを確信しながらリビングへ行く。
「へー、亮はこんな部屋に住んでるんだ」
わざとだ。
わざと「亮」と言ってやった。
真子を怒らせるために。
「なんで亮って呼ぶの!アンタはただの秘書でしょ」
ほら、予想通り怒った。
「奥さまは本当にただの秘書だと思ってるの?思ってないよね」
真子が震えながら拳を握っている。
そうよ、あのときのわたしも同じように怒ったの。
震えながら拳を握ってね。
「アンタが亮を誘惑したんでしょ!そういう格好で見せつけたりして。じゃなきゃ亮がアンタみたいな女に引っ掛かるはずがない!」
「誘惑したのは間違ってないかな。でも、それに引っ掛かったのはあなたの旦那さん。そして、わたしを愛したのもあなたの旦那さん」
「亮がアンタなんかを愛するはずないでしょ!この淫乱女」
淫乱女…元夫に向かってずいぶんな言い方するじゃない。
けどそんな言葉気にしない。
もっと怒らせて悔しがらせて、絶望の淵に突き落としてやる。
有紗はバッグからボイスレコーダーを取り出した。
「これ聞いても、そういうこと言える?」
再生ボタンを押すと、亮の音声が流れたきた。
「有紗、愛してる」
その言葉を聞いて、真子が放心状態になった。
「う…そ…」
「嘘じゃないのはわかってるでしょ。この声、亮の声だよね。それにほら」
次に出てきた音声それは。
「妻とは離婚するよ」
その瞬間、真子が膝から崩れ落ちた。
「そんなはず…そんなはずない…」
そう、その顔が見たかったの。
有紗は勝ち誇った表情をしていた。
「離婚だなんて…妊娠だってしてるのに」
真子は涙をボロボロ流していた。
「そういうことなの、奥さん。いえ、元奥さんかな」
「なんで…なんの権利があって人の家庭を、幸せをぶち壊すの…」
この言葉を聞いて、カチンときた。
そして有紗は真顔になった。
「全部アンタのせいに決まってるじゃない」
「わたしのせい?わたしが何をしたの!アンタのことなんて知らないし」
「真子は本当にわたしが誰かわからないの?」
知らない…こんな女知らない…
そう思いながらも、以前気のせいだと思った人物が頭に蘇ってきた。
今、この女はわたしのことを「真子」と呼んだ。
鈴木という姓でそう呼ぶのは1人しか思い浮かばない。
真子の中で、鈴木有紗という女の正体がやっと誰なのか理解した。
「啓介…」
「やっと気づいたんだ。そう、わたしは真子の元夫、啓介」
ここにいる啓介は、真子が知っている啓介とはかけ離れていた。
もう面影も何も残っていない、真子から三ツ屋を奪った女だ。
「わたしが啓介ってわかっても、自分は悪くないって言える?言えないよね」
確かにわたしは啓介を捨てた。
女になってしまった啓介を愛することができなかったから。
ひどいこともしたと思う。
女になって戸惑っている啓介を横目に、わたしは別の男性を探していた。
そして亮に出会い、啓介と一方的に別れた。
でもそれがお互いのため、そう言い聞かせて自分が幸せになることを選び、
啓介のことを忘れることにした。
「あのとき、わたしがどんな気持ちだったかわかる?啓介は啓介だよって言ってくれて、真子のことを信じていたのに、知らないところで男を作っていてゴミのように捨てられた気持ちが。そのときわたしは誓ったの、同じ気持ちを真子に味あわせてやるって。そのために戸籍を女に変えた。名前も有紗に変えた。女を磨くためにいろんなことをした」
やめて…もう聞きたくない…
真子は耳を塞いだが、有紗はやめなかった。
もう復讐は完結した。
あとは全てを真子に話すだけ。
「女を磨くって大変なんだね。メイクやファッションだけじゃなく、スタイルもよくするためにホットヨガなんかもやったよ。あ、そういえば男の人を手玉に取る練習のためにキャバクラでも働いたっけ。それだけじゃない、男を喜ばせるためにセックスもした」
そういいながら、本当に愛した人が頭に浮かんでくる。
違う…本当はそんな理由でセックスをしてない…
わたしは今でも…
しかし、これだけは話すわけにはいかないので、先へ進む。
「そしてチャンスを待った。亮に接近するチャンスを。そしたら、亮の会社が秘書の求人を出していたのを見つけて、やっとそのチャンスがきたの。わたしは見事受かって、今まで磨いた女のスキルを使って亮を誘惑した。そして亮は誘惑に負け、わたしを愛した。ということ。今のわたしを作ったのは真子なんだよ。真子の幸せをぶち壊すためだけに…」
本当にそうなの…?
それだけのためにこうなったの…?
本当は違うことに、有紗は気づいている。
ずっと気づいているのに、それを無理やり押し込めてきた。
目の前で真子は「もうやめて」と言いながら泣き崩れている。
待ち望んだ光景。
これを見るために、ここまでやってきたのに…達成感も満足感もなかった。
むしろ、虚しさと罪悪感が有紗の胸に押し寄せてくる。
わたしは何のためにこんなことを…
そこで、突然真子が唸りだした。
「うっうぅ…」
お腹を押さえながら苦しんでいる。
「真子…?」
「お、お腹が…お腹が痛いの…」
「真子…真子!しっかりして!!」
あれ程までに憎んでいたはずなのに、有紗は真子の異変に泣きながらうろたえていた。




