第百二十七話 死闘の予感 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
柔らかい橙の明かりが俺達を包み込もうとする闇を打ち払い心に安寧をもたらそうとして懸命に光り輝いてくれる。
人の本質は闇を恐れる様に作られているのか、その光を捉えると心なしかホッとした感情が湧きそうになるのだが……。
隊の最後方から鳴り響く戦闘音がその感情を胸に抱くのは時期尚早であると声高らかに宣言していた。
「ふぅんっ!!」
グルーガーさんの曲刀が快刀乱麻の勢いで闇を断てば。
「ギィッ!?」
蟻擬きの頭部が木端微塵に砕け散り。リモンさんの筋骨隆々の御体を求めて飛び掛かって来た命知らずのカミキリムシ擬きは。
「うぅぅんぬぅ!!!!」
「ギシィィッ!!!!」
刹那に彼の体を大顎で食むものの、鍛え抜かれた戦士の体を穿つ事は叶わず。逆に曲刀によって体を両断されてしまい地面の上で粘度の高い黄緑色の体液を噴出しながら絶命に至った。
彼等が隊の殿を務めてからかなりの時間が経過したが……。
体力に陰りが見え始める処か、虫の大群の死体が詰み上がる毎に二人の気力が漲り体力という概念を打ち払ってしまう。
死屍累々の中で光り輝くミツアナグマの体力、膂力、気力は正に圧巻の一言に尽きるが。その中でも特筆すべき能力に目を奪われてしまっていた。
「ね、ねぇ。シテナ。さっきからグルーガーさん達は何度も虫達の攻撃を食らっているけど……。何で皮膚が傷付かないのかな??」
山で暮らす木こりさんの御口から感嘆の吐息を勝ち取ってしまう腕の筋力を隠している長袖は所々破れ、そこから覗く浅黒い肌にはどういう訳か出血の跡は確認出来ない。
時折、彼等の隙を穿って顔面にも虫達の鋭い顎や体表面に生える棘が掠るのですが……。
腕や肩口等と同じく出血せず、何事も無かったかの様に反撃に転じていた。
「ミツアナグマの皮膚はちょっと特殊でね?? 物理攻撃を吸収し易くなっているんだ!! 周囲に異常無――しっ!!」
隊の先頭を歩くシテナが周囲の様子を窺いつつ軽やかに話す。
「特殊?? どんな風になっているんだい??」
「ほら、力を籠めて引っ張ればこぉぉおおんなに伸びるんだ!!」
うっわ、すっげぇ伸びるじゃん……。
シテナが左手に持つ剣を一旦腰に収めて己の頬を摘まんで横に引っ張ると、顔面の皮膚が耳たぶにくっ付いてしまう程の距離まで伸びてしまう。
物は試し。
そう考えて彼女の右頬を摘まんで伸ばしてみると。
「へぇ、伸縮性の肌が物理攻撃を吸収しているんだな」
此方側の皮膚も左側と同じ位置まで引っ張る事が出来た。
肌そのものは柔らかいんだけどちょっと強く摘まむと肌が凝縮されて硬くなる不思議な感覚だな。
それにモチモチスベスベしてて触り心地は大変宜しい。
「ふぉういう事。攻撃ふぁ加われふぁ、ふぁだがギュっと縮んれ攻撃ふぉふぁねかえし。打撃が加われふぁ、ふぁだが波打っふぇ吸収するんふぁ」
あ、ごめん。摘まんだままでしたね。
「刺突、打撃、殴打。凡そ想像し得る物理攻撃に滅法強いからあぁしてワンパク出来るんだね」
隊の後方で己の武を何の遠慮も無しに発揮し続けている両名の雄臭い背中へと視線を送った。
虫達も可哀想に……。
何度も攻撃を加えてもその肌すら傷付ける事が叶わないのだから。
「そういう事。私達のこの体の特徴を生かしてさ、大陸北側から侵攻して来たシェリダンって人が率いる大群を退けたんだぞ!!」
シテナがえっへんといった感じで胸を張る。
「シェリダンって奴がどういう野郎か知らねぇけど、お前さんが撃退した訳じゃねぇだろ」
その姿を見かねたフウタが大きな溜息を吐く。
「そりゃそうだよ。だって戦いがあったのは遥か昔の話だし」
「某はその話に興味を持った。可能であれば話す事が出来るか??」
シュレンが殿を務める二人の背中、及び今も後方からうじゃうじゃと押し寄せて来る虫の群れに視線を送りつつ問うた。
あの二人、大丈夫かな……。そろそろ俺とハンナに交代した方が良いと思うんだけど……。
でも、あの気合の乗り具合はまだまだ続きそうだし何より二人の大きな背中がこう語っている。
『俺達の戦いの邪魔をするな!!』 と。
彼等の逆鱗に触れぬ為にも今は大人しく静聴の姿勢を貫きましょうかね。
「いいよ――。詳しい年数は分からないんだけどさ、本当に遥か昔。この大陸を一手に纏めようとしていた大蜥蜴のシェリダンって人が居たの。その人は争いが絶えない大陸に平和をもたらせとうとして躍起になっていた。ある日、私達の里に大軍勢を従えてやって来てこう言った。 世に平和を齎す為に我等と共に歩もうでは無いか、と。 ミツアナグマ達は誰と争う事も無く、平穏に暮らしていたのにいきなりやって来て軍門に下れと言われてもはいそうですかと大人しく従うのはちょっと違うよね??」
シテナがそう話すと彼女よりも少し先で歩いているフウタの背に視線を送る。
「俺様もその意見には同感だぜ。こっちはこっちで静かに暮らしていたのに急に足を突っ込んで来るんじゃねぇ!! って叫んで横っ面を叩いてやるのが正しい対処方法だなっ」
いやいや、何を言っているのかね君は。
「そんな事してみろよ。英雄王シェリダンに手を上げたとして不必要な戦いが勃発してしまうだろうが」
そうこの一点に尽きるな。
彼はこの大陸に平和をもたらそうとして躍起になっていたが、大陸を無理矢理一つに纏めようとしたその弊害に気付かなかったのだろうか??
制圧した地域には不必要な干渉を避け、その地に根付く慣習を大切にする賢い者がそんな間違いを犯す訳がないのに。
「でも、ダンが言った通りの事件が起きちゃったんだ。交渉に訪れたシェリダン達と当時の長が軽い喧嘩を始めちゃって……。大蜥蜴側の武将がそれにプチっと切れちゃって大蜥蜴とミツアナグマで戦いが勃発した。向こうは約一万を超える軍勢で、此方の軍勢は僅か五百。圧倒的戦力差で始まった戦いは早期に決着すると思われたんだけどぉ」
成程、シェリダン本人ではなく彼に付き従う者が戦闘を望んだのね。
「意外や意外。ミツアナグマさん達は一対二十の絶望的彼我兵力差を覆して勝利したって訳か」
試しに頭の中で一対二十の絶望的な姿を思い浮かべてみる。
真正面から武骨な剣を掲げて襲い掛かって来た大蜥蜴ちゃんの腹をぶっ飛ばしてぇ、それから全方位から急襲して来る大蜥蜴ちゃんの対処だろ??
きっとそれに対処しきれず、揉みくちゃにされて気が付けば俺の首は胴体と永遠の別れを告げている事だろうよ。
「その通りっ!! 私達は物理攻撃には滅法強いからね!! 物理主体のシェリダンの軍勢とは相性が良かったお陰で辛くも勝利を収めた。そしてシェリダンは二度とこの地に足を踏み入れぬと約束して北へ帰って行った。これが私達の里に伝わる 『心血の戦い』 の大まかな流れだよ!!」
彼等の物理攻撃に強い能力が無ければ恐らく圧倒的戦力によって蹂躙され、ミツアナグマの里は併合されていた事だろう。
今は亡き先代達の心血を注いだ戦いが現代の彼等の礎を築き、そしてその確執は今も治癒される事無く両者の間に深い溝を形成する事になったのか。
これでまた一つこの大陸の歴史に詳しくなりましたよ――っと。
「有難うね、話してくれて」
シテナの頭の上にポンっと手を乗せてやる。
「どういたしまして!! そろそろお父さん達と代わって来たら??」
「俺もそうしたんだけど……。ほら」
「ふぅぅんぬぅぅうう!!」
「せぁぁああっ!!!!」
あのゴッリゴリに鍛えられた背中を見て御覧なさい?? そんな意味を含めて隊の後方へと指を差してやる。
「あぁ――……。邪魔するなって感じだね」
「そういう事。俺達はこのまま山をぐるぅっと囲んで下って行く通路に従って進んで行けばいいのさ。そうだろ??」
相変わらず相棒の右肩から離れようとしない青き小鳥の横顔にそう問うと。
「その通りよ!! 彼女の魔力の反応が随分近くなって来たから気合を入れなさい!!!!」
彼女は隊の最後方で虫の大群と対峙している二人の戦士へ向かって檄を飛ばした。
あの人達に態々檄を飛ばさなくても大丈夫でしょう。ほら、今も御自慢の筋力を駆使してぇ……。
「はぁ……。はぁっ……」
「くっ。流石にこの数は……!!」
あ、あらあら?? 流石に旗色が悪くなって来たかしら。
一体、数十体程度の相手ならものともしないのだがその数が数千を越えるのなら話はまるで違う。
彼等の体には体力という概念が肩身を狭くして一応存在しておりこの世の理が通用する一方で、ほぼ無尽蔵に湧き続ける虫共にはそれが通用しないのだから。
「相棒、そろそろ交代しに行こうか」
グルーガーさん達を信用していない訳では無いが、あそこを突破されたら隊があっと言う間に危機に陥ってしまいますのでね。
「了解した」
「よっしゃ!! グルーガーさ――ん!! そろそろ交代しませんか――!!」
「結構!! このまま最後まで我々が此処をせき止めてみせる!!」
いやいや、責任感が強いのは結構な事ですけども。そこを突破されたら本末転倒ですぞ??
「しかし長、自分達の体力もそろそろ……」
「ちぃっ!! ええい!! これを使用せず己の力のみで撃退したかったが止むを得まい!!」
グルーガーさんが曲刀を仕舞い、背嚢の中から素早く大きな横笛と思しき楽器を取り出すと迫り来る虫達の前で演奏を開始してしまった。
何だ?? あの笛は……。
随分と昔に制作されたのか鉄とも銅とも見える硬化質な物質の表面は経年劣化によりくすんだ灰色に変色しており、その大きさは凡そ三十センチ程度といった所か。
「ちょ!! 急に何をするんですかぁ!?」
こんな時、呑気に楽しい演奏会を開始するなんてちょっとヤバイんじゃないの!?
腰の短剣を引き抜き最後方へ突撃しようとしたのだが、シテナが待ったの声を掛けた。
「ダン、大丈夫だよ。あれは虫払の魔笛だから」
「は?? 虫払の魔笛?? 何だよ、それ」
「私達の里に代々伝わる魔呪具って呼ばれる代物でね?? その効果は砂虫やあぁいった大きな虫の類の生物を寄せ付けない効果や行動を止める効果が認められるんだ」
魔呪具って確かルクトが教えてくれた奴だよな。
「それって……。確か奏者の魔力と体力を消費させて効果を発動させる道具だよな??」
「良く知っているね!! 正にその通りだよ。今の所有者はお父さんだけど、いつか私もあの笛を吹ける様に頑張らないといけないんだ」
「よぉ!! その魔呪具って何だよ!!」
先行するフウタが此方に向かって叫ぶ。
「太古の時代から現代に伝わる不思議な力が宿る道具さ。所有者以外は使用出来ない代わりにそれ相応の力を発揮してくれる優れ物……、に見えるんだけど。これがかなり厄介な代物なんだ。あの虫払の魔笛はお父さんの魔力と体力を食らう代わりに周囲の虫達を寄せ付けないでいる。効果は見ての通り抜群でしょ??」
シテナが話す通り、魔笛の効果は俺達の奮戦が霞む程の威力を発揮している。
「「「……ッ」」」
グルーガーさんが後退りしながら笛を吹き続けており、その音を捉えた虫達は彼に近付こうにも見えない壁に阻まれているかの様に一定の距離から近付けないでいた。
その音色は失恋した女性が夕暮れ時の砂浜で一人寂しく佇みながら口ずさむ悲しい歌声の様に、澄んだ音色なのだが何処かもの悲しさが漂う。
「大量の魔力と体力を消耗する代わりに抜群の効果を得る。正に諸刃の剣だな」
ハンナが徐々に青ざめて行くグルーガーさんの青い顔色を捉えつつ口を開く。
「だがいつまでも効果が持続する訳では無い。某が殿へと……。むっ!?」
シュレンが腰の小太刀を抜き、虫の群れへと向かって歩み出そうとした刹那。
「「「ッ!!!!」」」
俺達の肉を執拗に追い求めて来た虫の大群が一斉に踵を返して逃げ帰ってしまった。
「はっは――!! どうだ!? 俺様の力に恐れをなしたのか!?」
腰に手を当ててふんぞり返っているフウタには悪いけど……。
「いや、今の逃げ方はちょっと違うぞ」
俺達の奮闘、虫払の魔笛の妨害を受けても尚襲い来たアイツ等が突然引き返した理由は一体何だ??
「何かを察知して逃げ帰ったようにも見えたな」
「あぁ、俺もそう思ったよ」
ハンナの考えに同意して微かに頷く。
「その何かって何だよ」
「さぁ?? まぁ多分、いいや。十中八九これ以上進むととんでもねぇ目に遭うと感じたから退却したのだろうさ」
唇をムっと尖らせているフウタに俺なりの考えを言ってやった。
文化というぬるま湯の中に浸かっている俺達とは違い、常に死と隣り合わせで生きている野生の生物達は敏感でいなければならない。
それを怠れば直ぐに死が襲い掛かり生命体の本懐でもある後世に己の命を紡ぐという使命を果たせずこの世を去る事となる。
俺達の戦力を前にしても決して動じなかった奴等に対し、即刻で退却を決心させた危険度を持つ生命体がこの先に居る……。
俺と同じ考えに至ったのか。
「「「……」」」
隊全体に重苦しい空気が漂い始め、各々がこれまで以上の緊張感を持って通路の先の闇へ視線を送り続けていた。
「長、このまま進んでも宜しいのでしょうか??」
戦闘態勢を解除して隊の先頭へ出たリモンさんが肩を並べて進んでいるグルーガーさんに問う。
「要救助者であるティスロは目と鼻の先に居るのであろう?? それなら歩みを止める理由にはならん」
「ですが……」
「死に敏感な野生が慄く危険度。ふっ、恐れを知らぬ我々に誂えた様な戦場ではないか。お前達!! ここで臆病風に吹かれるのなら即刻立ち去れ!! 我々の歩みは何があっても決して止められはせん!!!!」
隊の士気を上げようとしてグルーガーさんが腹の奥にズンっと重く響く声量で叫ぶ。
「下を向くな前を向け!! 剣を手に取り敵を屠れ!! さすれば我が道は勝利へと続く栄光に変わろうぞ!!!! さぁ行くぞ恐れを知らぬ戦士達よ!! 敵を討ち滅ぼし、共に勝利の美酒を味わう為に!!!!」
「「「おおう!!!!」」」
彼の覇気に呼応するかの如く俺達の口から気合の籠った返事が飛び出した。
前へ進む事を躊躇っていた体が彼の檄を受け取ると不思議な事に普段通りの歩みを見せてくれる。
強張っていた双肩の力も適度に抜けて万全までとはいかないがいつも通りに戦える精神状態まで回復に至った。
はは、さっすが里を一手に纏める長だぜ。気合の籠った言葉を放つだけで隊の士気が回復して心に闘志が灯るのだから。
グルーガーさんの大変立派で大きな背に誘導される様に俺達は彼の後に続いて暗き闇が蔓延る通路を進み続けていたが……。
この終わりの見えない通路に終止符を打つかの如く、通路の先に眩い光が灯った。
「おぉ!! 光だぞ!!」
フウタが分かり易い高揚が含まれた声を上げる。
「はぁ――。やっと終わりかな?? チュル、あの先にティスロって人が居るのかな??」
「もう目と鼻の先よ!! こうしちゃ居られない!! 私は先行するわ!!」
シテナの言葉を程々に受け取ると口喧しい小鳥が通路の先に見える光の中へと向かって羽ばたいて行ってしまった。
「ふぅ――……。全く、漸く退いてくれたか」
「はは、そう言うなって」
己の右肩を左手の甲でサっと払うハンナの背を軽くポンっと叩いてやる。
「魔力を感じるって事は生きているんだろうけどよ。一体どんな奴なんだろうなぁ」
「さぁね。もう直ぐ確認出来るし、このまま進んで行こうや」
古代遺跡に足を踏み入れてから初めて訪れた光の祝福を受ける為に俺達は死と危険が漂う暗き通路を抜けてとても広大な場所へと出た。
お疲れ様でした。
これから熱々のうどんを食した後に、後半部分の編集作業に取り掛かりますので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。