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今日も今日とて、隣のコイツが腹を空かせて。皆を困らせています!!   作者: 土竜交趾
過去編 ~素敵な世界に一時の終止符を~
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第百二話 第四の試練 その二

お疲れ様です。


後半部分の投稿になります。長文となっておりますのでお時間のある時にでも御覧下さい。




 数分前まで誰かの呼吸音や話し声が心に渦巻く微かな不安感を和らげてくれていたのだが……。単独行動を強いられるとそれは叶わず、只々静かな環境音が体の周囲に渦巻き負の感情を悪戯に刺激していた。


 何処からともなく聞こえて来る不気味な風の音と、しっとり艶を帯びた空気の質感が肌に張り付くと俺の歩みは漸く歩く事を覚えた赤子も思わず首を傾げる程に遅々足るものへと変化。



「さ、さぁって!! もう直ぐ到着するのかなぁ!!」



 自分自身の負の感情に圧し潰されまいとして無意味に大きな声を出して臆病風に吹かれた心と体にほんの僅かな援護を送ってあげた。


 この姿を相棒やグレイオス隊長達が捉えたら指を差してきっとこう揶揄うだろう。



『無様だな』 と。



 俺はお前さん達みたいに長年武の道に携わって来た訳じゃないし?? 恐怖を克服する訓練を受けて育った訳でもないし??


 ちょっと位怖がるのが普通の人間の心情なのですよ。


 だがそれでも……。相棒の生まれ故郷で出会った人生最大の恐怖とも呼べる五つ首の死闘に比べたらキマイラの一体との戦いはそれの半分以下にも満たないだろう。


 アレに比べたらましだ。この危険な冒険を己が目に納める為に旅立った等々。


 恐怖を克服する為に尤もらしい体の良い言い訳を己の心と体に言い聞かせていると通路の奥に変化が現れた。



「ん?? 何だ……。あの部屋は……」



 漆黒が蔓延る通路を抜け出て俺を迎えてくれたのは一面鏡張りの部屋であった。


 複雑に立てられた鏡が互いを映し出して虚像を生み出し侵入者の歩みを阻む様に作られた部屋は何処か異様に映り、俺の警戒心を瞬き一つの間に最大級にまで引き上げてしまった。



 えっと……。この鏡の迷路を突破すればいいのかしら??


 鏡の迷宮の前で足踏みをしていると今度は頭の中じゃなくて鼓膜に一体のキマイラの声色が直接届いた。



「やったぁ――!! ダンが来てくれた――!!」



 この男性とも女性とも受け取れる中性的な声色は……。



「俺の相手はモルトラーニか」


 近くに居る様で遠くから聞こえる声色に対して返答する。


「その通り!! あはっ!! やっぱり僕達は運命の糸で強く結ばれているんだね!!」


「そりゃどうだろうなぁ。姿形の見えない人……、じゃなくて滅魔か。全くの初見で共に長い人生を歩もうと考えるのには相当な理由が必要だぜ??」


「例えばぁ??」



 例えば、ね……。



「ん――……。すっげぇ好みの顔だったり、初対面にも関わらず心が通じ合った様な錯覚を覚えてしまう衝撃を受けたり。恋に落ちるのには色んな理由があるけどさ、現時点で俺はお前さんに好意を抱いちゃいないよ」



 巷でよく聞く話の中で、目と目が合った瞬間に恋に落ちて結婚したという与太話がある。


 これは目に見えぬ感覚が互いを引き寄せた最たる例なのだが……、生憎俺にはまだその感覚は訪れていない。


 いつかその感覚を覚えたらこの旅は終わりを告げるのでしょうが、恋人と現在の状況を天秤に掛けるとどうしても後者に傾きますのでね。


 この広い世界の何処かに居る俺の将来のお嫁さんよ。そこに行くまでもう少しお時間がかかりますのでどうかそれまでお待ち下さいませ。



「うわぁ、酷いなぁ。僕はダンに好意を抱いているのにさ」


「大体僕って……。俺は男色に興味は無いんだけど??」


「女性でもそういう一人称を使う人がいるでしょ?? それと一緒さ。それじゃあ!! 僕の姿を初公開しちゃおうかなぁ――!!」



 徐々に近付いて来ている声がより鮮明になると鏡だらけの部屋にモルトラーニの姿が映し出された。



「どぉ?? これが僕の姿だよ――」



 薄く焼けた健康的な肌に活発な笑みが良く似合っている。明るい焦げ茶色の髪は綺麗に纏められており、その長さは肩に少し当たる程度だ。


 中性的な声色を象徴する様に彼の体躯は女性の十四、五歳程度の背丈であり。華奢な体躯に誂えた様な肩幅がより女性っぽさを際立たせていた。


 パッと見はほぼ美少女の姿なのですが……。可愛げのある顔からツツ――っと視線を下げて行くとほぼ直角の胸元が奴を男性であると確定付けた。



「あ、もう。あんまりじっと見ちゃ駄目だよ??」


 頬を赤らめ胸元を隠す仕草はど――見ても女の子に相応しいのだが。


「あのよぉ。男がそういう仕草を取るなって」


 それは男性が取るべき姿では無いと主張してあげた。


「僕は男の子かも知れないし女の子かも知れないのにそうやってダンの主観で決めつけるのは良くないよ??」


「あっそう。じゃあ性別を確定付ける為にもっ!! 男の象徴足る大変御立派な御柱を見せてみろよ!!」



 ふふ、初対面の男。更に敵対する者に自分の弱点を曝け出すのは不可能であろうさ。



「え――。下は恥ずかしいからぁ、上ならどうかな……」


 体を背けていたモルトラーニが再び体の正面を此方に向けると、黒のシャツをゆぅぅっくりとした所作で捲し上げて行く。


「……っ」



 己の羞恥によって赤く染まった頬と若干涙ぐんだ黒き瞳を捉えると何故だが猛烈に俺が悪い事をしている様な錯覚に陥ってしまう。



 お、落ち着け。アイツは男なんだぞ?? これまで俺は何度も男の胸板を捉えて来たんだ。


 俺は何も悪く無い、変質者では無い、これは必要な行為だと言い聞かせていたのだが。



「わ、分かった!! そこまで!! それ以上捲らなくてもいいよ……」


 後少しで肌理の細かい上半身の全体像が映りそうな所で降参の声を上げてしまった。


「あはっ、良かった。胸は自信無いからがっかりさせちゃいそうだったし」


「あのねぇ。大人を揶揄っちゃ駄目って習わなかったのかい??」


 ヤレヤレと双肩を落としてそう言ってやる。


「僕はダンよりも数万倍も長生きしているからぁ、子供はそっちになるねっ」


「揚げ足を取らない!!」


「あはは!! ごめんごめん!! ふぅ――、良く笑ったなぁ」



 ケラケラと笑い転げて目に浮かぶ涙を細い指で拭う。



「それで?? 俺とお前さんはこれから一戦交える訳なんだけど。具体的にどうすればいいんだい??」


「見て分かる通り、この凄く広い部屋は鏡で作られている迷路なんだ!! 僕とダンは迷路の中で……。クスッ、どちらかが息絶えるまで戦うんだよ」



 モルトラーニが冷酷な笑みを浮かべると背に隠し持っていた切れ味鋭い短剣を右手に取る。



「ダンが他の誰かに殺される前に僕が殺して……。ふふ、バラバラに引き裂いて食べてあげるね」


 お、おいおい。本気マジかよ、コイツ。


「えっとね?? 人間のお肉を食べるとお腹を壊すんだよ??」


 世の道理を弁えていない愚か者にそう説いてやるが所詮は馬耳東風。


「僕のお腹の中でグチャグチャに溶かして……。あぁ、嬉しいなぁ。やっとダンと一つになれる時が来たんだ」



 あの野郎はもう既に俺の肉体を只の餌としてしか見ていない様だ。


 漆黒の瞳が赤く染まると小さな口の端から厭らしい唾液を垂らし、それを手の甲でクイっと拭った。


 食われて堪るものか!! と叫んで逃げ出しても構わないが……。


 俺が臆病風に吹かれてこの部屋から逃げ出すとアイツが他の部屋へ向かい、仲間がヤられてしまう可能性がある。



「お生憎様。俺は美女と添い遂げるって決めているんだよ。それまで死ぬ訳にはいかねぇのさ」


 ぽっかりと開いている入り口に向かって踵を返したい気持ちの尻を思いきり蹴飛ばし、心の闘志に火を灯して正面の獣を睨みつけてやった。


「その張りぼての闘志が何処まで続くのか見物だね。それじゃあ……。僕は中で待っているよ」



 モルトラーニがそう話すと鏡の中に映っていた奴の姿が消失。


 何処かに進んで行く足音だけが広い部屋に虚しく響いた。



 さてと!! 装備を整えて恐ろしい鏡の迷宮に突入しましょうかね!!


 背負っている弓と背嚢を地面に下ろすと腰の二刀の短剣と左腰の長剣を一つポンっと叩き、黒蠍の甲殻で作られた防具を拳でドンっと叩く。


 うん、これなら大丈夫。


 狭い迷路の中じゃ矢はお荷物になるだろうし、奴との戦闘は恐らく接近戦になる。


 咄嗟に反撃若しくは攻撃を加える為にも武器は長剣と短剣だけでいいよな??



「よっし!! それでは記念すべき第一歩を踏み出しましょうかね!!」


 臆病風が止み、今は闘志で燃え滾る己の心の声を代弁すると恐怖と死が蔓延る鏡の迷宮に一歩踏み出し……。


「いでぇ!!」



 踏み出したのは良いが速攻で大変硬い鏡に顔面を打ち付けてしまった。


 いったぁ……。こりゃ不用意に歩くのは止めた方がいいかも。


 慎重に一歩ずつ前に進んで行くのが正解だろうな。



「あはっ!! 僕の予想通りぶつかっちゃったね!!」


「喧しいぞ!! まだ慣れていないだけだ!!」



 随分と遠くから聞こえて来た声に噛みつくと取り敢えず最初の分岐点を左方向へ向かって進んでやった。



「今の声からしてぇ……。あぁ、そっちに向かったのか」



 ちょっと、止めよ?? 折角臆病風が止んでくれたのに再び猛烈な臆病風が吹いてしまう様な恐ろしい台詞を吐くのは……。



 鏡にぶつからない様に右側の鏡面に己の手を添えて亀も思わず欠伸を放つ速度でゆっくりと進んで行く。


 目に映るのは自分の真正面の顔と左右の横顔のみ。


 こうして見ると人間って生き物は視覚を頼りに行動しているのだなぁっと改めて実感してしまう。


 あ、今は人間じゃなくて魔物か。


 まぁそれはどちらでもよいが兎に角、緊張感だけは途切らせない様にしないと……。



「む?? 曲がり角か??」


 右手に感じていた鏡の感覚が消失して慎重に確認した所。どうやらここは十字路の様だ。


「どちらに向かうべきか。実に迷うな……」



 俺は魔力探知、だっけ?? それに疎いから直接己の目に敵を捉えないと戦えないんだよねぇ。


 しかもここは相手の庭同然な戦場ときたもんだ。


 武器は持っているがほぼ裸一貫の状態であの中性的な滅魔と戦わなきゃいけない。


「偶には命を賭けない楽な仕事を請け負いたいものさ」


 取り敢えず右方向へ向かって進み始めた刹那。


































「――――。大変そうな仕事を請け負って此処に来たんだねっ」

「キャァァアアアア――――ッ!?!?!?」



 目の前に突如として現れたモルトラーニの満面の笑みが俺の喉から大絶叫を勝ち取ってしまった。



「取り敢えずおねんねしてろや!!!!」



 ニッコニコの笑みを浮かべている彼?? 彼女?? の顔面に向かって火の力を宿した拳をぶち込んでやると。



「いっでぇぇええええ――――!!!!」



 俺の拳は肉の感覚を捉える事無く大変お硬い鏡の質感を捉えてしまい、鏡が砕ける乾いた音が虚しく響いた。


 くっそ!! 割れた鏡が腕に刺さって……。



「予想通りの行動を取ってくれて助かるよ」


「ぐぅっ!?」


 空気を切り裂く金切り音が響くと腰付近に激痛が走る。


「えへへ。初撃は僕が入れちゃったねぇ……」


 切れ味鋭い包丁の刃面に付着した俺の血液を恍惚とした表情で見つめ。


「ジュルリ……。んんっ、美味しい……」



 そして粘度の高い唾液が絡まった長い舌で俺の飛び立て新鮮の血液を舐め取ってしまった。



 ヒュ、ヒュ、ヒュォォオオ……。


 こ、こ、こっわ!! すべからくこっわ!!


 何だよアイツ!! 人の顔を浮かべていながら人の血を喜々とした表情で舐め取っているじゃん!!



「今の一撃で俺を殺す事も出来たのに……。どうして仕留めなかったんだい??」


 懐から手拭いを取り出して腕の止血をしながら問う。


「味見だよ、味見。ダンの体は美味しそうだけどさぁ、食べてみて不味かったら残念でしょ??」


「性的に食われるのは大歓迎だけどよ、物理的に食われるのは勘弁願いたいぜ」


「あはっ!! じゃあ性的に食いながら物理的に食べてあげるよ!!!!」


「それはもっと嫌ッ!!」



 せめてどっちかにして!! 頭が混乱して物理的に食われる事を受けていれちゃうかも知れないでしょう!?



「我儘なぁダンにはお仕置きが必要だね!!」



 き、来ちゃった!!


 鏡に映るモルトラーニが低い姿勢を取ると俺の体目掛けて一直線に向かって来やがった!!


 くそう!! 何処だ!? どこから来やがる!?



「せぁ!!!!」



 正面、背後、左右。


 物理的衝撃が襲い掛かって来るのは四分の一なので奴が好みそうな背後からの一撃に掛けて、背から黒蠍の甲殻で制作された短剣を引き抜き万力を籠めて振り下ろしてやった。



「――――。また外れっ」

「いぎっ!?」



 腰の次は太腿かよ!!


 この野郎……。敢えて装甲が薄い場所を狙って来やがるな!?



「おらぁ!!」


「あっぶなぁい!! えへへ!! 今のは惜しかったね!!」



 左の太腿の痛みを我慢して苛烈な勢いで左方向に短剣を振り下ろすが時既に遅し。


 奴は俺の血がべったりと付着した短剣を大事そうに抱えて下がってしまった。


 こ、この場所は不味い。前後左右から襲い掛かれる絶好の狩場じゃないか。


 兎に角、一直線に伸びる通路か行き止まりに身を置かないと確実に殺される!!



「ぜぇっ……。ぜぇっ……」


 戦いが始まった間もないのにもう既に数時間以上戦いの中に身を置いている様な疲労感が体を襲う。


「逃げる様も堪らないよぉ。早くダンを食べさせて??」



 近くとも遠くとも受け取れる声が鼓膜を刺激する。


 つかず離れず追って来ていやがるな?? それなら結構!!


 ダン様の乾坤一擲の一撃を見舞う場所まで連れていってやるよ。



「だから人の肉を食うと腹を下すって言っただろ??」


「あ、肉だけ食べちゃうと思って不安なの?? 安心して。血も肉も骨も、そして腸に詰まった糞尿もぜぇぇんぶ食べてあげるからぁ!!」


「人を怖がらせる言葉を使用しないの!!!!」



 もう嫌!! 誰かこの人肉変態野郎を俺の代わりに退治して!!



「恐怖を受け取ると肉が美味しくなるってジェイドから教わったもん」


 あの低い声の野郎め!! 仲間に要らん情報を与えやがってぇ!!


「だからぁ……。怖がって貰わないと僕としても困るんだよね!!」



 また来た!!


 辺り一面の鏡に先程と同じ姿勢のモルトラーニの姿が映し出されると心が一気に黒く染まってしまう。


 こ、此処は多分一直線の通路だよな!? だとしたら確率は前と後方の二分の一。


 幸運の女神様!! お願いだから俺の願いを聞いて下さいよ!?



「当店は人肉を扱っておりませんのでどうかお引き取り下さぁぁああ――い!!!!」



 祈る思いで背後に向かって短剣を振り下ろすが。



「うぎぃっ!?!?」


 両足の太腿の裏側に激痛が走り、幸運の女神様がそっぽを向いてしまった事を告げてしまった。


「テメェ!! さっきからチクチク攻撃して来やがって!!」



 咄嗟に反撃に移るがもうそこに敵は存在せず、折角大枚を叩いて制作した黒蠍の短剣が虚しく空を切ってしまう。



「いきなり死んじゃったらつまらないしぃ。ダンが弱って行く様もみたいしぃ。そして何より、僕に屈服させたいんだ」



 このチクチク攻撃は料理で言えば下拵えって所か。


 相棒に言わせれば何を生温い攻撃を加えているのだとお叱りの声が響くだろう。


 しかし、奴が俺に致命傷を与えないのは逆説的に捉えれば大好機なのだ。


 下拵えが完成する前に奴の息の根を止めないと俺が逆に殺され、奴の胃袋に収まってしまうのだから。



「ぜぇぇ……。ぜぇぇ……。はぁっ、きっつ……」



 鏡に背を預けて天井を仰ぎ見るが、そこに映し出されたのは顔面蒼白に染まった己の顔であった。


 ちっ、失血で顔色が悪くなってら。


 このまま長期戦を望めば勝ちの目は無いぞ。



「顔色が悪いよ?? 大丈夫??」


「お前さんが切り付けて来るからその所為で顔色が悪くなったんだよ」


「そっかぁ。それじゃあそろそろ楽にしてあげるよ……」



 クソッ!! 遂に最終工程の始まりかよ!!


 いよいよ迫り来る死の恐怖が心を黒く塗り潰して行く。


 恐怖に飲まれるなよ?? 絶対に恐れるなよ??


 己に強く言い聞かせて闘志を奮い立たせた。



「あはっ!! イイ顔だね!! その顔を恐怖でグチャグチャに歪めてあげるよ」



 コイツ……。一体何処から覗き見ていやがる。


 鏡なら反射の作用で俺の顔を見付けたのなら俺も奴の顔を捉える筈なのに…。




 ――――。




 待てよ?? 今、俺は何て言った??


 俺が何処かに曲がる通路を見逃したかも知れないけど、此処は袋小路でも十字路でも無く一直線に伸び行く通路だ。


 そして、先程の会話を例に挙げると例え死角から覗いていたとしても鏡の反射で俺も奴の顔を捉える筈。それにも関わらず奴の中性的な顔を捉えられないのはぁ……。



「さぁ……。次の一撃で最後の一撃になるだろうねぇ。最後はとぉぉっておきの一撃で殺してあげるよ!!」



 恐怖に飲まれるな最後の一秒まで考えろ!! 


 相手の殺気を捉える為に五感の一つである視覚を遮断して第六感を高めて行く。


 心に波打つ波紋を鎮め、一切の凪が消失した心静かな水面を己の心に投影するとその中央に立つ。



「すぅ――、ふぅ――」



 この澄み渡った心の水面をもっと広げろ……。そう、この部屋一杯に広がる位に。


 自分自身が置かれた危機的状況、双肩に圧し掛かっている重責、そしてこの手に沢山乗っている王都内で暮らす人々の命。



 心の枷となっている状況を全て忘れ去り、心に映す水面を広げて行くとその水面にある変化が現れた。



 真夏の季節に突然降り注いだ豪雨、その大量の水が大地に水溜まりを形成し、その水溜まりの上で静かに佇む水黽アメンボが移動した時の様な矮小な反応だが。俺の第六感は確かにそれを捉えた。


 その波紋は大変遅々とした移動速度だが、此方に向かって確実に近付いている。


 凪の見当たらない水面に映る違和感の正体。


 それは……。



「……ッ!!」


 姿が見えない奴の殺気を確実に捉えた刹那。


「そこだ!!!!」


 俺は何も存在しない天井へ向かって鋭く短剣を振り翳した。


「ぐぅぇっ!?」



 っしゃあ!! 手応え十分!!!!


 全身の肌が一斉に泡立つ殺気の塊が天井の鏡を突き破って現れると俺の短剣の鋭い切っ先が肉を食み、それ相応の重さが右腕の筋力を襲う。



「な、何で上から襲い掛かって来るって分かったの??」



「この迷路は鏡張りだ。二度の強襲の際にお前さんの姿は必ず俺の視界に映っていた。しかし、今の攻撃の際には映っていなかった。見えない所からの強襲。つまり、視界に映らない天井若しくは地下からの一撃に絞られる。鏡の反射の作用の仕組みを理解しているのなら容易く看破出来るって訳さ」



 視界だけじゃくて強力な殺気もモルトラーニの姿を捉える一因を担っていた。


 毎度毎度俺を殺す気で襲い掛かって来る相棒との組手が役に立ったぜ……。


 だが、この事は彼に内緒にしておきましょう。それ見た事かとして今まで以上の殺気を纏って襲い掛かって来る蓋然性がありますのでね。



「そ、そっかぁ。あはは、久々にヤラれちゃったよ……」


 俺に力の抜けた体を預けたまま弱々しい声でそう話す。


「一か八かの戦いだったな」


 虚脱した体を慎重に地面に横たわらせモルトラーニの横腹に広がる血の染みを見下ろす。


「ダンは最終試練に臨む資格を得た。この迷路を抜ければ最奥の部屋に続く通路に出るよ」


「最終試練とは一体どんな試練が襲い掛かって来るんだい??」


 腰に巻いている納刀用の革袋に短剣を仕舞いつつ問う。


「それはその時まで秘密さ。楽しみが減っちゃうからね」



 楽しみねぇ……。


 俺はどこぞの白頭鷲ちゃんと違って恐怖を楽しむというよりも、恐怖から一歩身を引きたい質なんですけど。



「きっとダン達も気に入ると思うよ。さ、僕を置いて先に進むといいよ」


「そうか。じゃあ……。俺はおっそろしい最終試練に向けて少し休憩してから進もうかなぁっと!!」


「わぁっ!?」



 見た目以上に軽いモルトラーニの体を抱え、鏡にぶつからない様に慎重な足取りで入り口付近へと向かって進む。



「な、何するんだよ!!」


「何って……。これで第四の試練はお終いだろ?? その試練に打ち勝った俺には前に進む権利を与えられているし、その場に留まる権利も当然与えられている。この先にはお前さんが教えてくれた様に今まで以上の危険が潜んでいる可能性が高いからちょっと休憩するんだよ」



 右手で負傷箇所を抑え、大きな瞳を更にキュっと見開いて驚く様を表して俺の腕の中にすっぽりと納まっている彼にそう言ってやった。



「傷に良く効く薬草があるから休憩のついでに治してやるよ」


「ぼ、僕は敵なんだよ!? 敵に塩を送るのは間違いじゃないのかな!?」


「ふぅ――……。あのな?? 俺は殺し合いをしに来た訳でも、お前さん達と命のやり取りを行う為に来た訳でも無く。古の時代に交わされた契約を履行しに来たんだ。その契約の内容はお前さん達を楽しませる事。これを言い換えれば、そうだな……。楽しく喧嘩をしろって事にも捉えられないかい??」



「そ、それはそうだけど……」



「俺はさ、幼い頃に両親を亡くしてから大人になるまである人に育てられたんだ。その人が喧嘩をしてボッロボロになって帰って来る俺にこう言ったんだよ。 『喧嘩をするなとは言わん。喧嘩は互いの主義主張の相違が生み出した結果だからな。だけど、相手を卑下するな。見下すな。対等の立場で相手の主義主張を汲み取れ。そして喧嘩が終わったら……。勝敗に関係無く腫れ上がった顔のまま相手の肩を叩いて、美味い飯でも食べて笑い合い、喧嘩を肴にして酒を酌み交わせ。そうすればきっと互いに良好な関係が築かれる筈さ』 ってね」




 温かな家族を羨み、妬み、心の隅で渇望してやさぐれて喧嘩三昧だった青春時代に俺の育ての親であるおやっさんから与えられた言葉が脳裏に過る。


 その当時は何を言ってやがるんだコイツはと反発したが……。今ならおやっさんが教えてくれた言葉の意味を理解出来る。


 殴り合いの喧嘩の発端はくだらねぇ理由もあるがその大半はおやっさんが言った通りの主義主張の相違から始まり、そしてどちらか一方が武力で相手を捻じ伏せた時に喧嘩は終了する。


 この場合、勝った方の主義主張が認められる様に見えるが……。その答えは否。


 何故ならどちらの主義主張も一方の主観から見れば正しいままなのだから。


 武力行使は決して認められない行為であるがおやっさんはそれを解決手段の一つとして許容してくれた。だが、それはあくまでも解決に至る過程だと俺に教えてくれたのだ。


 クソ生意気な俺を見限らなくて有難うよ。


 そしてこの教えは俺の子、そして子の子に伝えて行くつもりだ。



「へぇ、ダンの育ての親は良い人なんだね」


「良い人、って言葉には疑問が残るな。奥さんの目を盗んではよく飲み行って。んで見付かってこっぴどく怒られていたし」


「あはは!! 馬鹿な人……。いつっ!!」


 笑った衝撃が患部に伝わったのだろう。


 微かな笑みが痛みよって悲壮な物へと変わる。


「こら、大人しくしていなさい」


「え、えへへそうしようかな。こうしてダンに御姫様抱っこされるの気持ち良いし」



 この場合は王子様抱っこじゃないの?? お前さんは男だし……。


 いや、でもこの軽さはちょっと疑問が残るよな。男は女性に比べて筋力量が多いので華奢な体格の男でもまぁまぁな質量を備えているのが世の道理なので。


 試しにモルトラーニの体を抱えたまま軽く上下に動かすと、両腕の筋肉ちゃんが首を傾げてしまう程に重さは感じ無かった。



「あのねぇ……。男が気色悪い言葉を使うなよ」


 先程も申した通り、俺には男色の気はありませんのでね。


「このままずぅっと抱えられていたいけど……。残念だけど時間かなっ」


「時間?? 一体何を……。うぉっ!?」



 モルトラーニが残念そうな表情を浮かべると彼の体から強力な光が放たれ、両腕の重みが消失。


 数秒前までそこに居た筈の体の代わりに俺の右拳大程度の大きさの光球がフワフワと浮かんでいた。



「お、おいおい。光の玉になっても大丈夫なのかよ」


 取り敢えず今も宙に浮かぶ光の玉に向かってそう話す。


「全然大丈夫!! 僕達の体は元々一つだし、元に戻る為にこうして光球になるんだよ」


「へぇ、そういう事……」



 そこまで話すと大変いやぁな想像が脳裏に過って行く。


 第四の試練は一個の個体から別れた単体を相手にする事。そしてモルトラーニは今現在、元の体に戻ろうとして光球の姿に変化してしまった。


 ちゅ、ちゅまり最終試練はぁ……。



「あはっ、多分ダンが考えた通りの試練がこの先に待っているから!! じゃ、僕は先に行っているね!!」



 モルトラーニが軽い声色でそう話すと鏡面を容易く抜けて何処かへと向かって行ってしまった。



「あ、そうそう!! ダンの怪我も酷いからちゃあんと治療してから来るように!!」


「はぁ――い。そういうお前さんも気を付けて行くんですよ――」


「あはは!! 有難うね――!!」



 竹馬の友との別れ際に送る言葉を交わすと大変痛み足を引きずる様に入り口付近を目指す。


 ふぅ――、何んとかこの第四の試練も生き残る事が出来たな。残す試練は後一つなんですけども……。



「その一つが一番苦労しそうだよなぁ」



 死人も思わず同情してしまう程の重苦しい溜め息を吐き、この場に留まろうとする我儘な体に鞭を打ち入り口の戻ろうとしたのだが。



「だがこの下らない契約の履行も後少しだと思えば……。いでぇ!!」


 鏡の横着な悪戯によって顔面を盛大に鏡面にぶつけてしまった。


 足もいたけりゃ顔も痛ぇ。まさに踏んだり蹴ったりの状態って奴だな。


「とほほ……。命あっての物種とは良く言うけどよ。生きている事に対して若干後悔してしまう現状だよなぁ」


 目玉にぽぅっと浮かぶ矮小な雫を男らしく拭うと誰にも聞かれてない事を良い事に大量の愚痴を放ち、まるで断頭台へ向かう死刑囚の様な重々しい足取りで鏡の迷宮の入り口へと向かって行ったのだった。



お疲れ様でした。


途中で区切ると流れが悪くなる恐れがあった為、二話連続掲載となってしまい申し訳ありませんでした。



さて、もう間も無く訪れる年末年始なのですが。私の予定としては通常通り連載を続けるつもりです。


勿論、年末恒例の行事である大掃除や片付けなければならない用事を優先します。そちらを済ませた後に投稿しますのでいつもよりかは遅くなる可能性がありますね。


そして出掛ける予定としては……。初売り程度でしょうか。


自分に奮発して高めの腕時計や靴、服をある程度揃えるつもりなのですが吐き気を催す人混みを掻き分けて進む気力があるかどうかが問題ですよねぇ……。


人混みは苦手な方なので大人しく家でプロットでも書くべきか、将又正月らしさをこの身を以て体験するのか。体力と要相談といった感じです。



それでは皆様、お休みなさいませ。

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