第百二話 第四の試練 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
淡い橙の明かりに照らされた闇の奥に存在するナニかが心に形容しがたい感情を生み出してしまう。
一世一代の大博打に挑む前の緊張感とも大勢の敵に断崖絶壁に追いやられた恐怖とも受け止められるこの心理状態は恐らく、というか確実にあの先に恐ろしい存在が待ち構えていると心では無く頭が理解しているから生じているのだろう。
意思と感情を持つ生物ならすべからく目には見えないが内側に確かに存在する心というモノを備えている。
その心の水面を波打たせる起因となるものは五感だ。
視覚が捉えるのは代り映えのしない通路の方々に存在する闇、聴覚が捉えるのは四名の足音と緊張感が紛れた荒い呼吸音、触覚が捉えるのは粘度質を増した特濃のマナの空気、嗅覚が捉えるのは四名の体から放たれる汗の香りに岩と砂の無機質な匂い。
そして味覚は精神の影響を受けて粘度を増した唾液の嫌悪感を捉えていた。
俺の体の周囲に渦巻く環境を捉えた五感が心の水面を荒立たせ、それを確知した頭はここから一刻も早く去る様に体に命じる。
その命令に従って女々しい台詞を吐きながら脱兎の如く逃げ出したいのは山々なのだが、俺達に課せられた責務を果たすまでそれは許されない。
そう、この先に存在するキマイラを討つ若しくは満足させるまで俺達には前に進むという選択肢以外は与えられていないのだ。
それは重々に理解していますけれども、この精神状態じゃあ満足のいく結果を得られないのが目に見えていますのでね。
最善の結果に至れる様、臆病風に吹かれた心を誤魔化す為に相棒の背中側の衣服の端っこをちょこんと摘まんでやった。
「……ッ」
背中側の違和感を捉えた彼は誰が衣服を掴んだのかを確認する事も無く乱雑に払ってしまう。
「あ、もうっ」
しかし、それでも俺は怖いと言えない女の子の心持ちを上手く再現して執拗に彼の背に迫って再び衣服の端を掴んだ。
「貴様……。その手を叩き切られなければ分からないのか??」
お、おぉう。まるで大好物の獲物を捕らえて猛る猛禽類の瞳を浮かべていますね。
「い、いやぁ。ほら、シェイムがこの先は苛烈になるって言っていたじゃん?? 新たなる試練に臨む為に心を整えようかなぁって考えていたからさ」
「それなら他の方法で己の心を整理しろ」
その他の方法が見つからないからこうして君の衣服を掴んでいるんだよ??
全く、これだからほぼ童貞の野郎は困るぜ。
「女の子が怖さから逃れる為に男の子の服を掴む。それを汲んであげるのが出来る男なんだぞ??」
「お前は男だ。男なら自分自身の力で恐怖を克服しろ」
「はい出た――!! 男女の区別!! 怖がりの男の子も居れば化け物、魑魅魍魎ドンと来やがれって女の子も居るんですぅ!! そうやって性別だけで区分けするのは前時代的な考えなんだよ」
いつまでも衣服の端を掴んでいたら本当に叩き切られてしまう為、まだまだ憤った瞳を浮かべている相棒の右隣りに並んで叫んでやった。
「ダンの言う通りね。固定概念をいつまでも頑なに崩さない前時代的な考えでは無く、その時代の特徴に合わせて考えを変えるのが現代に沿った考えよ」
「さっすがトニア副長!! 分かってるぅ!!」
無言のまま先頭を歩くグレイオス隊長の背後にピタっと付いている彼女の意見に賛成の意を表してやる。
「ふん。俺は俺の考えを崩すつもりは無いっ」
「あ――、そうかよ。じゃあクルリちゃんが目に涙を浮かべ、肩をプルプルと振るわせて恐怖に苛まれていてもお前さんは救いの手を差し伸べないんだな??」
端整な横顔をジロっと睨む。
「む……。その場合は……、手を差し伸べるだろうな」
お――、童貞からほぼ童貞に進化してから少しだけ考えに変化が生じましたね。前のお前さんだったら、俺達に手を差し伸べるとは言わず彼女が居ない所でコソコソと言っただろうし。
だけど!!
「うっわ。最愛の女性に手を差し伸べても相棒には手を差し伸べないんだ――」
そこに俺が含まれていない事に憤りを覚えずにはいられなかった。
「戦士の血を引くハンナが生涯守り通すと誓った女性か。ダン、そのクルリとやらは一体どのような女性なのだ??」
グレイオス隊長が前方の闇を捉えつつ背中越しに問うて来た。
「俺に聞くよりハンナに聞いた方がいいんじゃない??」
「それもそうだな。ハンナ、聞かせてくれるか??」
プッ、クスス……。さぁさぁ恥ずかしがり屋のハンナちゅわん??
愛しの彼女のきゃわいい姿を説明してみなさい??
「い、いや。今はそんな会話をする状況じゃない……」
「ハンナ、私も興味を持ったわ。説明しなさい」
これで逃げ道は塞がれてしまいましたね!!
「う、うむ……。クルリは……、そうだな。俺の事を誰よりも近くで見てくれて、誰よりも俺の心を理解してくれる温かな女性だ。俺が沈んでいた時は励ましの声を与えてくれ、厳しい訓練から逃げ出してしまいそうになった時には温かな言葉を送ってくれた。外見的特徴よりも俺は彼女の心に惹かれて好意を持ったのだっ」
「偉い!! 良く言えましたね!!」
真っ赤に染まった顔のままで最愛の女性の特徴を言い終えた彼の肩をまぁまぁな勢いで叩いてやると。
「触れるな!! 馬鹿者!!」
俺のお茶目な行動が気に食わなかったのか、友人に向けるべきでは無い威力を伴った拳を横っ面に叩き込んで来やがった!!
「いでぇ!! テメェ!! 少し位揶揄ってもいいじゃねぇかよ!!」
捻じれた顔面を元の位置に戻して叫ぶ。
「時と場合を考えろと言っているのだ!!」
「今がその時なんだよ!! こうしていつも通りに戯れていたら少しは気が紛れるでしょう!?」
クルリちゃんとは相思相愛でも、俺とは以心伝心になりなさいよ!!
やれお前さんはふざけ過ぎている、やれテメェは真面目過ぎる等々。
非日常の中で日常生活の一場面を繰り広げているとグレイオス隊長からお叱り及び注意の声が届いた。
「ダン、そこまでにしておけ」
こらこらぁ、俺だけが騒いでいる訳じゃないのにどうして俺を名指しして咎めたのだい??
「ん?? お、おぅ……。また新たな部屋が見えて来たな……」
部屋が現れた事自体にもう驚きやしなくなったが、あそこに待ち構えている事に対して驚きやしないか今から苛まれてしまいますよっと。
一段と警戒心を強めた一行の中央にドンっと腰を据えて進んで行くと再び閉塞感を全く覚えない広い部屋に出た。
俺達が足を踏み入れると同時に入り口が塞がれる事は無く、此方の真正面には四つの出口が確認出来る。
一つの出口は人一人が余裕を持って出入り出来るであろうと確知させる横幅があり、その他に特徴となるべき存在は見受けられなかった。
「ん――……。これから一体俺達は……」
何をすればいいのかと誰とも無しに問おうとした刹那。
『ワハハ!! 漸く現れたか!!』
ジェイドの馬鹿笑いが頭の中に響いた。
「びっくりしたぁ。よぉ、ジェイドさん。もう少し静かに馬鹿笑いしてくれねぇか?? 五月蠅過ぎて頭が疲れちまうよ」
取り敢えず宙に向かって辟易した口調でそう話す。
『それは無理な注文だ!! では、これから貴様等が受けて貰う第四の試練の内容を説明するっ!!!!』
それは御親切にど――も。後、本当にうるせぇからもっと声量を落として話しやがれこのワンパク小僧めがっ。
『第四の試練、それは俺達と一対一で戦う事だ!! 四つの入り口の先に我々が一人ずつ待ち構えている。それを見事突破して最深部に見事到達してみせろ』
え、えぇ――……。頼れる仲間とはぐれなきゃいけないの??
「ふん、漸くこの剣を揮う時が来たのか」
「実力を発揮する良い機会が来たわね」
「俺が鍛えて来たのは今日この日の為に!!!!」
鼻息荒く前へ前へ進む三名に対して若干億劫になってしまうのはおかしいのでしょうか??
まぁ俺が普通であって、彼等が少し異常なだけなんですよ。
誰だって恐ろしい死が待ち構えている場所に突撃しようとは思わないだろから。
「よぉ、本当に一対一なのかい?? 俺達を騙して複数で襲い掛かって来る保証は無いだろ??」
三名の背を捉えつつ話す。
『俺は嘘を付かん!! それにそんな事をしてもつまらんからな!!』
『そうそう!! 弱い者虐めをしても楽しくないもんねぇ――!!』
「「「……ッ」」」
モルトラーニが放った言葉の中にあった弱い者虐めという単語。
それが彼等の闘志に火を灯してしまった。
あ――あ、し――らねっと。
戦う事が大好きなアイツ等を焚き付けても良い事なんか何一つないってのに。
『ダン、貴様は俺と戦うべき……。いや、俺に食われるべきなんだ』
『シェイム駄目だよ!! ダンは僕と一緒になるんだからっ!!!!』
そこの御二人さん、俺を食う事を前提に話すの止めて貰えます??
『ハ、ハンナ!! 貴方は私が居る場所に来てくれるわよね!?』
「知らん。確率は四分の一だからな」
『あ――んっ、冷たい言葉も素敵だわぁ……』
『フフ、俺も久々に滾ってくるな。では各自進むべき通路を選べ。俺達は今から配置に付いて待っているぞ……』
ジェイドの重く低い声が途切れると俺達の間に静かな無音が漂い始めた。
「ってな訳で。俺達はこれから恐ろしい敵が待ち構えている場所に突入する訳なんだけども……。グレイオス隊長さんよ、こういう時に掛ける言葉はあるのかい??」
一人静かに闘志を燃やす兜に向かってそう話す。
「俺達は手を取り合って恐ろしい罠の数々を抜けて此処まで来た。しかし、これから隣に居るのは頼れる仲間では無く冷酷な死だ。一瞬の油断が危機を招き、判断の迷いが死を招く」
窮地に陥っても頼れるのは己の力のみ。
誰かが助けてくれる都合の良い希望的観測は望めないのだから。
「誰かに頼るのでは無く、今日まで磨いて来た技をそして肉体を信じろ。訓練は嘘を付かん、筋肉と技は自分自身に応えてくれる!! そして再び手を取り合う為に全力で死に抗え!! 俺達は決して負けない!!」
グレイオス隊長が俺達に向かって大変御立派な筋力が積載された右手を差し出すので、それに応える為に各々が静かに手を合わせた。
「さぁ、行くぞ!! 戦士達よ!! 勝利の光を掴む為に進むのだ!!!!」
「「「おぉう!!!!」」」
覇気のある声を受けて重ね合わせた手を解除すると各々が選んだ入り口へと進む。
「折角だから俺は右から二番目の扉を選ぶぜ」
「折角の意味が分からん」
一番右端の入り口の前に立つハンナが呆れた口調でこんな時にも冗談を放った俺に釘を差してくれる。
「隊長。気を付けて下さいね」
一番左端の入り口の前に立つ彼に優しくも何処か弱々しい声色でトニア副長が声を掛けた。
「あぁ、有難う。副長も細心の注意を払えよ」
「存分に」
「あはは、隊長。こういう時はもっと男らしい台詞を吐いて女の子を安心させてあげるんだぜ??」
荷物と装備の最終確認をしながらちょいとお節介をしてやる。
「は?? 男らしい台詞?? 副長、今のでは不味かったのか??」
「え?? あ、えっと……。別に大丈夫だと思います」
「ほらみろ!! ダン!! 貴様は少々ふざけ過ぎだぞ!!!!」
んもぅ、これだから朴念仁ちゃんは困っちゃうのよねぇ。
「あのなぁ……。はぁっ、まぁいいや。こういう大事な言葉は事を終えてから話したほうがいいだろうし。そうだろ?? トニア副長」
「え、えぇ。そうとも言えるわね」
この二人の煮え切らない関係に終止符を打つ為にもダンちゃんが一肌脱ぎましょうかね!!
まぁその前に、目の前に聳え立つ超難題を解決しなきゃいけませんけどもっ。
装備を整えると改めて己が進むべき通路の先の闇をじぃっと見つめる。
う、うぅむ……。控え目に言ってもおっかねぇや。
頼むぜぇ……。俺の体ちゃんよ。再び太陽の光の下に躍り出る為にもしっかり頭の言う事を聞いてくれよ??
「よし、では……。行くぞ!!!!」
グレイオス隊長が大股で入り口に向かって進み始めるとそれを合図に俺達は己が進むべき通路へ向かって突入を開始したのだった。
お疲れ様でした。
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