第九十八話 闇が蔓延る魔窟 その二
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
俺達の周囲に渦巻く死という強烈な異臭が否応なしに皆の口を塞いでしまう。
それは恐らく、死と隣り合わせから生じる緊張感が途切れた時に訪れるのが人生の終焉だと各々が理解しているのだろう。
耳に届くのは四名の重くなった足音と緊張感が含まれた吐息のみ。肌に感じるのは相変わらずの粘着質な空気。
その重苦しい空気を纏いながら第一の罠から恐らく五分程度進んだのだろうか?? 今まで平坦になっていた平穏な地面にある変化が現れた。
「よぉ、この下り坂。終わりが見えねぇんだけど??」
決して急斜では無いが油断したら足を滑らしてしまうであろうと判断出来る角度の坂の底へ向かって声を出してやる。
地面に横たわる丸みを帯びた石を試しにエイっと放ってやったが……。待てど暮らせど底に到着した音は返って来なかった。
音が聞こえないって事はかなり深い位置まで続いていやがるな。
「行き止まりが無い以上、このまま進むのが正解なのだろうが。果たして馬鹿正直に進むべきなのだろうか??」
ハンナが珍しく足を踏み出す事に躊躇する。
そりゃそうだ。あの闇の先に何が待ち構えているのか分からないのだから。
「ここで待機していても結果は変わらん。前進あるのみっ!!」
俺達が判断に迷っているとそれに痺れを切らしたグレイオス隊長がこちらの意見を聞かずに坂を下り始めてしまった。
「はぁ、ったく。あの勇気には頭が上がらねぇよ」
「ダン、それは間違いだぞ。あれは勇気では無く蛮行と呼ばれるものだ」
「そうね。粗忽とも捉えられるわ」
「お前達!! 聞こえているぞ!!!! さっさと降りてこんか!!!!」
どうしてあれだけ離れているってのに俺達の悪口が聞こえちゃうのかしらねぇ。
あれは、ほら。お年を召した人達は自分達の悪口を決して聞き逃さないって奴に分類されるのでしょう。
坂の上で軽い地団駄を踏んでいる彼に急かされる様に渋々と坂を下って行った。
「う――ん、別にこれといって変化したって訳じゃないよな」
通路で確認出来た遺骨はこの坂には横たわっていないし、それに摩擦が全く得られない程磨き上げられた鏡面って訳でも無く普通に踏み易い土の地面って感じだもの。
「足を踏み外すなよ?? あの闇の先に一体何が待ち構えているのか分からないのだから」
慎重な足取りで下って行くハンナが俺の横顔へ向かってそう話す。
「分かってるって。ガキじゃないんだから転ばな……」
そこまで話すと鼓膜が微かに揺れ始めたので思わず口を閉ざしてしまった。
ん?? 何だ?? この音は……。
遠い場所から突如としてやって来る地震の様に重低音が刻一刻と高まって行き俺達の不安感を悪戯に刺激する。
その音が強くなって行く度に地面の砂が微かに揺れ始め、次第には左右の壁からパラパラと土埃が落ち始めた。
こ、これってぇ……。やっぱりぃ、そういう事だよねぇ……。
周囲に漂う不穏な空気と鼓膜に届く重低音。
幾つもの条件が重なると遠い昔に読んだ小説の中で冒険家の主人公達が巻き込まれた災難の場面が鮮明に脳裏に映し出されてしまった。
「や、や、や、やっべぇぇええええ――――!!!! 岩だぁぁああ――――!!!!」
坂の上から転がってくる丸い巨岩を捉えると我先に前へと向かって飛び出した!!
ふ、ふざけんな!! 何で何の予兆も無しに馬鹿デケェ岩が転がって来るんだよ!!
こういう時は誰かが触っちゃいけない場所を触ってしまったって予兆が必要でしょう!?
「ふんっ!! 何のこれしき!!」
「流石ね、ハンナ」
うげっ!? もう追い抜かされた!?
俺よりも微かに反応が遅れたにも関わらず、脚力に自信があるハンナとトニア副長があっと言う間に俺を追い抜かして坂を下って行く。
それに対し。
「ぬ、ぬ、ぬぉぉおおおお――――!! 俺はこんな所で死ぬ訳にはいかんのだぁぁああああ――――!!!!」
俺達の忠告を無視してクソ重たそうな鎧を身に纏うグレイオス隊長の脚力は控え目に言っても、十やそこらの少年少女に劣るモノであった。
「馬鹿野郎!! だから脱いで来いって言ったんだろうが!!」
懸命に腕を振り、死に物狂いで両足を動かしながら後方へ向かって叫ぶ。
「こんな岩が転がって来るなんて誰が想像出来たんだ!!」
ごもっとも!!
だが、人の想像力を越える出来事が起こると想定して危険地帯に踏み込むのが冒険家の務めなんですよ!!
「ぜぇっ!! ぜぇっ!!」
俺の前を駆けて行く二人の背に追いつこうとして人生で一、二を争う勢いで駆けて行くと普段物静かな彼等が放ったとは思えない絶叫が通路に轟いた。
「「跳べぇぇええ―――――!!!!!!」」
はい?? 飛べ??
あのね?? ハンナちゃん。ぼくにはつばさが生えていないから飛べないんだよ?? と。
頑是ない子が他の子の間違いを諭す様な口調が脳裏に過るが……。それは数秒後に己の間違いであると気付かされてしまった。
「う、嘘だろ!? 何だよ!! アレはぁ!!」
この星の底まで続いているであろうと考えられていた長い下り坂が突如として消失。その先には虚無が待ち構えていた。
それが指し示す事は只一つ。そう、あそこがこの坂の終点なのだ。
そして、彼等が叫んだ飛べとは……。
「ふんっ!!」
「はぁっ!!」
虚無の先に両手一杯広げて待ち構えている新たなる上り道ちゃんへ向かって跳べという意味だったのだ!!
「お、ぉぉおおおっ!! せぇいっ!!」
下腿三頭筋がブチ切れても構わない勢いで稼働させて、下り坂と上り坂の間に形勢されている奈落の底へと続く落とし穴の上を見事に跳躍。
「も、もう嫌ッ。僕おうちに帰る……」
新たに出現した坂道の上に勢い良く倒れ込むと思わず本音がお口ちゃんから漏れてしまった。
「ふざけた台詞を抜かすな」
壁から槍が突き出て来て体に風穴を開けられそうになり、天井から矢が降って来て新しい髪が生えそうになり、仕舞には巨大な岩に踏み潰されそうになる。
ここに足を踏み入れてからろくなことが無いから愚痴の一つや二つ零してもいいじゃんか!!
「うるせぇ!! 誰だって死にそうになったら愚痴を吐くに決まってんだろ!!」
「ふん、情けない奴め」
「隊長!! 後少しです!! そこから此方に向かって跳んで下さい!!」
トニア副長が俺達の方へ向かって全力疾走して来る鉄の塊に向かって叫ぶ。
「わ、分かった!! ずりゃぁぁああああ――――!!!!」
鉄の塊が勢い良く此方側に向かって飛び出したのだが……。
「「「ッ!?」」」
んっ!? 微妙に距離が足りてなくね!?
俺と同じ考えに至ったのか三名がほぼ同時に彼に手を出そうとしたが、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。
「ふんっ!! ふぅぅ――……。日頃の鍛錬はこういう時に役に立つものだな!!」
鉄の塊がギリギリで新たなる坂道に到達するとヤレヤレと言った感じで息を吐き、そして呼吸を整え始めた。
そしてその数秒後。
俺達の命を奪い取ろうとした巨岩が虚無へと勢い良く落下して行きその姿を消失させた。
何処かに落下して地鳴りの様な音が聞こえるかと思いきや、何時まで経ってもその音は発生せず。あの落とし穴は奈落の底まで続いているのだと俺達に確知させた。
「ほわぁ……。ふっけぇ穴なんだなぁ」
「力が及ばない者をふるい落とす為に仕掛けた卑劣な罠だ。許さんぞ、キマイラ共め!! この俺が直々に成敗して……」
隊長が鼻息を荒げるとどういう訳か今まで上方に向かっていた坂が平行に傾き始めてしまう。
「え、えっと。何で上り坂が平行になるのかな??」
「俺に聞くな、馬鹿者」
こ、この!! こういう危機的状況下では物凄く頼りになるけど、普段は全然役に立たない駄目夫め!!
「もう少し優しく声を掛けろよ!!」
「これでも精一杯優しく……。むっ?? あそこにあるのは通路の入り口か??」
ハンナが凡そ百メートル先に見えて来た新しい入り口に向かって指を差す。
「なぁんだ、これで試練はお終いって事か。地面が平行になったのはあの通路に向かって進めって事なのだろうさ」
安堵の吐息をふぅっと吐いて前へ進んで行くが。
「あ、あらら?? おかしいなぁ?? 何だか地面が更に傾いている気がするぞぉ??」
新たなる出入口の地面と平行になる形でこのふざけた道がピタリと止まるかと思いきや……。徐々に下方へ沈んで行くではありませんか。
その姿を捉えると俺の頭が最悪の予想を描き始めてしまう。
この道は言うなれば長い板だ。
気紛れな巨人さんが長い板の丁度中点に指を置いて平衡を保っているのだが……。巨人さんが指をツツ――っと片方に移動し始めれば、調和がとれていた重さに変化が現れ板は片方へと傾いて行く。
そこから更に指を移動すればどうなるのか??
答えは物凄く簡単です。
板の上にある物体は重力に引かれてすっっと――んと地面に落下してしまうんだよ!!!!
「あの入り口に向かって走れ――――ッ!!!!」
なりふり構わず叫ぶと自分の影をその場に置き去りにする勢いで駆け始めた。
こ、このまま動かずにいたら傾いた板から滑り落ちてあの岩の様に奈落の底へと落下しちまうだろうからね!!
「ふん!!」
「隊長!! 早く!!!!」
「どっせぇぇええい!!!!」
ハンナ、トニア副長、そして俺と順次クソふざけた長い板の上を駆け終えて不動なる土の上に足を着けたのですが。
「ま、待て!! これ以上速く走れない!!!!」
鎧を身に纏う彼は未だ長い板の上で懸命に駆け続けていた。
「ふざけんなよ!! 死にたく無ければもっと速く走りやがれ――!!!!」
「腕を振れ!! 足が千切れても構わない勢いで駆けるのだ!!」
いや、ハンナちゃん?? 両足が千切れたら走れないよ??
恐らくそれ位気合を入れろという意味なのだろうが……。
思わず突っ込みたくなる台詞に突っ込むのを堪えているとグレイオス隊長が漸く長い板の終点に到着。
「ふんがぁぁああ――――!!!!」
頭の中の血管が千切れ飛ぶ程の声量の雄叫びを放ち手を伸ばして待つ俺達の方へ向かって跳躍したのだが……。
どうやら物理の法則は非情の様だ。
「ぬ、ぬぉぉおお!?!?」
彼の跳躍力はたった数十センチ及ばず、無情にも彼の姿は奈落の底へと向かって落下を開始してしまった。
「う、嘘!? た、隊長!!」
何で人は考えるよりも先に体が動くんでしょうかねぇ。
人体の不思議の一つですよ。
「おんどりゃぁぁああああああ――――ッ!!!!」
彼の消えゆく姿を捉えるや否や、後先考えず大きな口をぽっかりと開けて新たなる肉の到着を待つ漆黒の闇に落下して行く鉄の塊へと向かって飛び掛かってしまった。
「――――――。王都に帰ったら美味い飯を奢ってくれよ??」
宙に浮かぶ彼の右腕を万力で掴みながらそう言ってやった。
ふぅ――、正に間一髪。
後数秒でも判断が遅れていたのなら彼はあの闇に飲まれてしまったのだろうさ。
「は、はは。安心しろ。吐くまで食わせてやるからな」
「その台詞忘れてくれるなよ?? ハンナぁ!! 有難うね――!! このまま俺の右足を引き上げてくれ――!!」
腹這いの姿勢で俺の右足をがっっちり掴んでいる彼にそう叫んでやった。
「ふんっ。馬鹿者が!!」
「おわっ!!」
右足に激痛が迸ると体が面白い具合に重力に反転して浮かび上がって行く。
「いで!! へ、へへ。さっすが俺の相棒!! 頼りになるぅ!!」
不動の大地にお尻をしこたま打ち、まるで親の仇を見付けた様な鋭い視線で俺を見下ろしている相棒にそう言ってやった。
「貴様!! ふざけるな!!」
「おっぶぐっ!?」
彼の右の拳骨が脳天を穿つとその勢いが臀部に駆け抜けてしまい、頭よりもお尻ちゃんが痛みに驚いてしまう。
「何すんだよ!!」
「それはこっちの台詞だ!! 俺が飛び出していなかったらどうするつもりだったんだ!?」
「お前さんの事だ。きっと俺の姿を捉えたら直ぐに理解してくれると思ったし?? それに例え地の底に落下して行くとしても白頭鷲の姿になって追いかけてくれただろ??」
前者は容易く想像出来ますが、後者はちょっと無理があるかな。
白頭鷲の姿はこの狭い通路じゃデカ過ぎるし。
「そうなの?? ハンナ」
「ぜぇっ、ぜぇっ……。今のは危なかったな……」
地面に座り肩で息をしている隊長を気遣っているトニア副長が問う。
「知らんっ。俺は先に行くぞ」
捨て台詞とも恥ずかしさを誤魔化す台詞にも聞こえる言葉を残すと一人静かに通路の先へ進んで行ってしまった。
「あ、こらぁっ!! お母さんを置いて先に行っちゃあ駄目でしょう!?」
「止めろ!! 抱き着くな!! 気色悪い!!」
「ふっ」
「はは、馬鹿な奴等め」
彼等のいつも通りのやり取りを捉えると二人の男女が強張っていた肩の力を抜き微かに口角を上げて笑う。
その唐突な笑いが死地に突入してから今に至るまで知らぬ内に緊張していたのだと彼等に自覚させた。
強烈な緊張から生まれる油断や隙。
常在戦場を心掛ける者共が決して抱いてはならない感情を自覚させたのが笑いだとは夢にも思わなかっただろう。
戦士として王都を守る事を義務付けられている彼等は日頃から一般人と己との間に境界線を引いて生活している。
一般人と王都守備隊。
対となる視点から物事を捉えればその本質が朧げに見えて来ると知った彼等は改めて決意を固めた。そう、輝かしい生命と文化を守る為に戦いの中に身を投じると。
「隊長、大丈夫でしたか??」
「あぁ、怪我一つしていないさ」
「それは何よりです。さ、彼等に先導されては王都守備隊の面目丸潰れですからね。行きましょうか」
「おう!! 笑うのはそこまでにしておけとアイツ等に釘を差してやろう!!!!」
もう殆ど見えなくなってしまった彼等の小さな背に向かって二人が駆けて行く。
その姿はこの先に待ち構えている強者に立ち向かって行く勇ましい歩みというよりも、まるで笑いという名の明かりに吸い寄せられて行く様に見えたのだった。
お疲れ様でした。
何んとか眠る前に仕上げる事が出来てホッとしております。
今日この後は失った体力と気力を取り戻す為、馬鹿みたいに眠り。好きな時間に起きてそこから黄色い看板が目印のカレー店へと赴きます!!
チキンカツカレーとセット品の野菜サラダは確定なのですが、問題は辛さと御飯の量ですよね。
一辛か、二辛か……。四百グラムか五百グラムか……。実に迷います。
下らねぇ事で悩んでいるのならさっさと寝ろ、と。光る画面越しに読者様達の辛辣な御言葉が届いたので床に就きますね。
それでは皆様、引き続き良い休日をお過ごし下さいませ。