第九十五話 鉄の隊律を破りし者共 その一
お疲れ様です。
休日の午前中にそっと投稿を添えさせて頂きます。
己に課された使命を終えて西の方角から届く茜色の温かな光に照らされた人々は一体どんな表情を浮かべるのか??
大体数の感情と意思を持った生物は感無量とまではいかないが、今日一日を無事に終える事が出来たとして安堵の表情を浮かべるのだろう。
勿論、経済活動の一端を担う中で失敗をしてしまい苦い顔を浮かべている者も一定数存在する。
茜差す王都の南大通り、北の方角から俺達の方へ向かって来ている男性が良い例だ。
「ちぃ……。俺が悪い訳じゃないってのに」
朗らかな表情が行き交う中で一人眉を顰めて悪態を付く。
誰にも言えない、誰にも当たれないその歯痒さは痛い程理解出来るが何事にもメリハリが肝心だと言われている様に。今日は悪くても明日は最高の一日を迎えるかも知れないのでパァッと気分を変えて食事でも摂ればきっと暗い気分が晴れますよ??
「ふぅ――……。何か休息日だったのに朝から晩までずっと移動してて休めなかったな」
件の彼を見送り、ずぅっと遠くに見える夕日に照らされた王宮の姿を捉えつつ言葉を漏らした。
「貴様が要らぬ使いを受け賜るからそうなるのだ」
「まぁそう言うなって。隊員同士の絆を深める為にも少し位の労力は目を瞑ろうや」
先程すれ違った男性とほぼ同じ表情を浮かべているハンナの左肩をポンっと叩いて北上を続ける。
ある程度自由に行動出来るのは日が暮れるまでなので俺達に与えられた時間は残り僅か。
このまま王宮内の兵舎に帰るのが最善の答えなんだけどぉ……。残り僅かな時間を割いてでも会っておきたい人がいるんだよね。
「ハンナ、わりぃけどシンフォニアに寄って一言二言挨拶させてくれ」
「そこ――!!!! 道路脇に馬車を停止させないで下さ――い!!!!」
王都の主通りが交差する街の中央へと到達し、漸く涼しくなってきた夕方だってのに額に大粒の汗を浮かべて交通整理に勤しむ男性の姿を何となく見つめながら言葉を漏らした。
「それは別に構わんが……」
「分かってるって。口は滑らさないし、挨拶も数分で済ませるから」
『俺達に残された時間は後少しだぞ??』
そんな意味を含ませて俺を横目でチラリと見て来た相棒の腰を軽く叩き。
「はぁぁああ――――い!! さっさと進め――――ッ!!!!」
思わず双肩がビクっと上下してしまう交通整理のあんちゃんの怒号に近い許可を頂き大通りを横断。
本日も報酬を受け取りに来ている大蜥蜴ちゃん達でごった返しているシンフォニアへとお邪魔させて頂いた。
「すいませ――ん!! そちらの列の後方の方は一番右端の列にお並び下さいね――!!」
「えぇ!? ドナ!! 私手一杯なんだけど!?」
「喧しい!! 私とレストはあんた以上に仕事をさばいているのよ!! それ位我慢しなさい!!」
「そ、そんなぁ……」
「なぁ、早く報酬を出してよ」
「は、はぁい!!!!」
汗と汚れに塗れた大蜥蜴ちゃん達が放つ饐えた匂いが蔓延する受付所に聞き慣れた女性の声達が響くと、自分でも驚く程に肩の力が抜け落ちてしまうのを感じてしまう。
ははっ、相変わらず元気そうで何よりだ。
ただもう少しお淑やかに叫んだらどう??
「おらぁ!! 次ぃ!!」
「は、はぃぃ!!!!」
まだこの職業斡旋所に入り立てであろう新人ちゃんがお前さんの圧にビビっちゃってるからね。
受付所前に出来た三つの長い列の左端を大変慎ましい速度で歩んで行き、本日も大勢の人々の対応に追われて四苦八苦している彼女の姿を捉えると仕事の邪魔にならない声量で挨拶を放った。
「よっ、元気にやってる??」
「ダン!?」
俺の声を受け取るとドナが椅子から立ち上がり大きな瞳をキュっと縦に開いて分かり易い驚きを表す。
「今日は休息日でさ。帰る途中に立ち寄ったんだ」
背の高い受付所に体を預けてまだ驚きが収まらない彼女の手元に視線を置く。
う、うぉぉ……。すっげぇ書類の山だな。
年始の忙しさが収まりつつあるものの王都にはまだまだ救いの手を差し伸べるべき人々達が大勢いるようですね。
仕事が無いよりかはあった方が良いけども、問題はその量だよなぁ。
とてもじゃないけどここの請負人達だけじゃ対処出来ない依頼の数だ。
「はは、お前さんが今日も怒っているのはその書類の山が原因なのね」
「そうなのよ!! 営業時間が終わった後でもこの書類を纏めなきゃいけないし……。忙し過ぎて腹が減った!!」
腹が立ったの間違いじゃないの??
いつもならここで冗談の一つや二つを放ち彼女と共に仕事の愚痴を放って馬鹿笑いをするのだが。
俺はいつもと何ら変わりないドナの顔を只静かに眺めていた。
ひょっとしたら……。これで見納めかも知れないからな。
この快活な笑みを守る為に俺達は人知れず南へと発ち、大陸に渦巻いていた怨嗟に呼び寄せられた古代の生物と相対する。
例えこの命が尽きようとも守ってみせるさ。
それが俺達に与えられた使命なのだから。
「ん?? 何じっと見つめてるの??」
「あぁ――、いや。疲れから知らないけどさ、目元のクマがひでぇなって」
俺が恥ずかしさを誤魔化す為に適当な返事をすると。
「し、仕方がないでしょ!! 朝から晩までてんてこ舞いなんだから!!」
熟れた林檎達も満場一致で合格を叩き出す程に顔を真っ赤に染めてしまった。
「はは、その顔を見られて光栄だよ。じゃあ俺達はそろそろ行くわ」
まだまだ熱が収まらない様子の彼女に右手をスっと上げる。
「え?? も、もう??」
「今日は休息日でも一応門限があるのさ」
「そ、そっか……。うん、そうだよね……」
完全に顔の熱が引いたドナが飼い主に叱られた子犬の様に分かり易く凹んだ口調を放つ。
「あ――……、うん。俺達は絶対帰って来るから安心しろって。帰って来たらまた一緒に飯を食いに行こう。約束だ」
その様子を捉えた俺は背の高い受付所の上に右手を差し出し。
「絶対だよ!? 約束を破ったら一生恨むからね!?」
彼女は俺の手を確と掴み力強く握り返してくれた。
「俺が一度でも約束を破った事があるか?? お母さんが帰って来るまでの間、ちゃあんと留守番をしているんですよ」
「うっさい!! さっさと行けっ!!!!」
「はは、そうそう。俺が見たかったのはお前さんの笑顔なんだよ」
辛辣な台詞を放ちつつも彼女の顔は心に浮かぶ陽性な感情が素直に現れ、万人が惚れ惚れしてしまうその素敵な笑みに向けてそう言ってやった。
「うぐぐっ!! 褒めても無駄!! 御飯の時は遠慮せずに食べるからね!!」
「ん――、了解。では……」
こんな時、気の利いた言葉の一つや二つ掛けてやりたいが……。
俺とハンナは生きて帰って来る事が保証されていない地獄への片道を進んで行かなければならない。
安易な言葉でぬか喜びをさせたくはないのが本音だ。
「――――。行って来ます」
暫く彼女の笑みを見続け、考えに考えた結果。
口から出て来たのは彼女を喜ばせる特別な言葉でも無く、安堵を抱かせる口調でも無く、何処にでもありふれた普遍的な言葉。
この状況に最も相応しいであろう言葉を放つと彼女も俺の心を汲んでくれたのか。
「うんっ、行ってらっしゃい」
不安、危惧、煩慮。
見ていて心が苦しくなる弱々しい表情を浮かべてこの場に酷く似合った別れの挨拶を送ってくれた。
「ダン、時間だ。行くぞ」
「あぁ分かった。じゃあ、またな」
ハンナに肩を叩かれドナに微かに頷くと俺達は名残惜しむ様にシンフォニアを後にした。
心残りが無いと言えば嘘になるが少しの時間でもドナの顔を見られて良かった。
死地へと向かう兵士に送られる美女の笑みとはまるで正反対の顔だったけどね。
「――――。確認出来たか??」
互いに何を話す事も無く静かに北大通りを歩いているとハンナが徐に口を開く。
「え??」
「俺達はあの笑みとこの街の平和を守る為にキマイラを討つ。その確認が出来たのかと問うたのだ」
あぁ、そういう事か。
「御蔭様でね。でも確認というか……、覚悟って言えばいいのかな。ほら見てみろよ」
明るい笑みを浮かべて北大通を進んでいる大勢の歩行者達へと視線を送る。
誰しもが南に潜む脅威に怯える事無く、当たり前のように続いている平和を享受しているその姿を捉えるとより一層心が強く固まって行く。
「お前さんが言った通りこの平和を守る為に俺達は南へ向かう。己の命を賭してでも守り抜くという覚悟が無ければきっと俺達は生きて帰って来られないだろう。その覚悟が出来た、のかな」
ドナの笑みを捉えた刹那に心に浮かんだのは、絶対に守り抜いて見せるという使命と覚悟だ。
何となく、受動的、雰囲気の流れ。
己の断固たる意志を貫き目標へ向かって突き進まなければならない任務にこういった行動を放棄するのは必然だ。
相棒はその点を危惧していたのだろうさ。
「理解しているのならいい」
「んっ、有難うな」
ハンナが微かに口角を上げると北上を続けた。
俺達は人知れず不穏を齎そうとする怪物を討ちに出る。
表舞台に出る事の無い影の英雄達が居る事を知って欲しいとは思わない。だが、この静かなる平和は目の届かない所で維持されているのだといつかは知って欲しい。
北上するにつれて徐々に減少して行く人の流れを見つめながらそんな事を考えていた。
お疲れ様でした。
本日は久々の休日なので、部屋の掃除やら洗車等々。溜まりに溜まったルーティンをこなさなければなりません。
それら全てが終了した後に後半部分の執筆を始めますので続きは深夜になるかと思われます。読者様達には大変な御迷惑をお掛けしますが何卒ご了承下さいませ。