第九十二話 王女様の御世話は彼の仕事 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
人知れず水面下で動いていた官僚ちゃんと街の有識者ちゃんの働きによりほぼ寝耳に水な状態でキマイラ討伐の任を請け負い、王都守備隊の筋骨隆々の大蜥蜴達に囲まれながらの思わず咽返ってしまいそうなむさ苦しい生活もある程度慣れ始めたが……。
ど――もこの歪な音だけは未来永劫慣れる気がしない。
「ググゥ……」
鼻腔の空洞を最大稼働させて大気を震わせる鼾。
「ゴゴッ……!! ゴブグゥ……」
喉を軽快に鳴らして大変心地良く耳障りな音を奏でる豪快な鼾。挙句の果てには。
「ゴッパッ!! ゴゴッグ……。ズゴゴォン……」
テメェの鼾は一体何処から鳴らしているんだよと、肩口辺りを思いっきり蹴飛ばして問いたくなる鼾の音色が俺の感情を大いに逆撫する。
明ける明けないの暁の空から柔らかい光が差し込み、朝の微睡が漂う宿舎の大部屋の中はそれはもう素敵な鼾の演奏会の催しが行われていた。
毎朝奏でられるこの傍迷惑な演奏会は無料で聴く事が出来ますので是非とも御家族御友人をお誘いの上お越し下さいませ。
彼等王都守備隊が渾身の力を籠めて皆様の御耳を辟易させましょうぞ。
等と下らねぇ誘致文を考えている場合じゃねぇな。
今日という日を乗り越える為にも俺は必要最低限の睡眠を享受せねばならないので鼾を掻いている奴の一人一人を叩き起こして回りたいけども、どうせその数分後には再び演奏会の序章が始まっちまうし……。
とどのつまりこのクソッタレな環境に慣れない限り、俺には心休まる安寧が訪れないのだ。
「――――。ってぇ!! 慣れる訳ねぇだろうが!!」
強烈な憤りを籠めた拳を直ぐ上にある木の天井へ向かって突き上げ、頭上で耳障りな音を奏でているラゴスの覚醒を促してやった。
「ゴフッ!! んんっ……。ズゴォォ――……」
畜生、やっぱり無意味だったか。
三食提供される食事の味も量もぐうの音が出ない程に素晴らしく、隊員達も不慣れな俺達に良くしてくれる。
この鼾が無ければ正に素敵で完璧な環境だってのに……。
ハンナの奴は眠れたのかな??
二段ベッドの下段で何んとか睡眠を摂ろうと懸命に藻掻いて寝返りを打つと、相棒が使用しているベッドが視界に飛び込んで来た。
「……」
お、おいおい。嘘だろう??
キチンと目を瞑って眠っているじゃあありませんか!?
この酷い状況下でも睡眠を享受出来るって事は相当疲れているのだろうか??
不慣れな環境下で与えられる任務や運動は普段の生活の数倍以上の疲労度を感じるし……。
薄い毛布を被って眠りこける彼の寝顔をジィっと眺めていると。
「ははぁん。そういうからくりだったのか」
ハンナの耳の穴に白い綿の存在が確認出来てしまった。
あんにゃろう、考えやがったな!! 枕の中の綿を小さく千切って耳栓代わりに使用したのか!!
鼾の音を完璧に遮断は出来ないだろうが幾分か軽減される筈。
よぉし、早速今晩から実践してみましょうかね!!
暁の僥倖を捉えてふぅっと優しく溜息を漏らすと、朝の静けさとは真逆のけたたましい音が宿舎内に響き渡った。
「起床起床!!!! 全隊員は今直ぐ訓練所に集合せよ!!!!」
「「「「ッ!!!!」」」」
号令が鳴ると同時に条件反射で全隊員が跳ね起きて脱兎も思わずドン引きする勢いで廊下を駆け始め、勢いそのまま宿舎を飛び出してまだまだ太陽が眠気眼をゴシゴシと擦る空の下。
「二列横隊!!!!」
「「「はっ!!!!」」」
訓練場に一糸乱れぬ完全完璧な二列横隊が完成された。
起床の号令が掛かり宿舎から訓練場まで駆け抜けて列を形成するまで約二分。
俺達隊員側からして見れば及第点を与えてあげようかなと思える行動力の速さと連携力だが……。
どうやら王都守備隊の隊長から見ればまだまだそれには及ばぬ様で??
「貴様等遅いぞ!! 集合から隊列を組むまで二分も掛かるとは一体何を考えているのだ!!!! 二分もあれば敵は牙を剥いて襲い掛かって来る!! それを努々忘れるなよ!!!!」
「「「はいっ!!!!」」」
グレイオス隊長の叱責を受け取ると総勢六十名を超える隊員達が覇気ある声を放った。
「本日の朝の走り込みは訓練場を五周だ。走り込みを終えた後、任務に就く者はその準備を。非番の者は己に足りない所を鍛えろ。分かったな!?」
いつも通りの五周、ですか。
無駄に広い訓練場を五周も回るとかなり堪えるんだよねぇ。
「「「はっ!!!!」」」
「よし、良い返事だ。朝一番に相応しい……。ラゴ――ス!!!! 貴様ぁぁああ!! そのふざけた帽子は一体なんだ!!」
帽子??
俺の隣に並んでいる彼の頭上を確かめるべくふぃっと視線を上げると。
「も、申し訳ありませんでした!!!!」
頭に被っていた随分と可愛い柄の丸みを帯びた三角帽子を瞬き一つの間に外し、己が右手に収めた。
桜色と緑の配色が目立ち柔らかそうな毛糸で編まれた三角帽子は、ここでは酷く浮いた存在に見えてしまう。
「規律の乱れは心の隙を生む!! 罰として一周追加!! 六周走って来い!! この大馬鹿野郎共が!!!!」
「了解しました!! 行くぞ!!!!」
「「「おおぅ!!!!」」」
列の先頭の者が駆け始めると後続の隊員達が歩幅を、歩調を合わせて訓練場の外周を駆けて行く。
ガタイの良い連中が奏でる駆け足の音はそれ相応の音として膨れ上がり、訓練場の端に生えている木の枝で翼を休めていた鳥達がその音に驚き背の高い壁の向こう側へと飛んで行ってしまった。
「おい、ラゴス。前から気になっていたんだけどよ。何でそのやたら可愛い三角帽子を被って寝ているんだ??」
前を走る者の歩調に合わせつつまだ微睡が残る足を動かしながら彼の右手に視線を置いて問う。
「これが無いと眠れないんだよ」
あ、うん……。そうなんだ。
端的且簡明に答えてくれて嬉しいですよっと。
「やたら可愛い柄だけどさぁ……。もう少し何んとかならなかったのか?? ほら、黒を基調とかにして」
「黒は落ち着かないから駄目だ。明るい色と柄じゃないと俺はぐっすり眠れないのさ」
「お前さんのその熟睡の所為で俺は毎晩うなされているんだけど??」
「ははっ、ご愁傷――様っ。ぐっすり眠りたかったら俺達の鼾に慣れる事だな」
この野郎……。他人事みたいにあっけらかんとしやがって。
覚えていろよ?? いつか酷い目に遭わせてやるんだから……。
奥歯をギュっと噛み締めて心に湧く歯痒さを誤魔化していると、訓練場の中央から俺達の様子をジィっと監視しているグレイオス隊長から唐突にお呼びの声が掛かった。
「あ、そうだ!! ダン!!!! ちょっと来い!!」
「――――。ふぅっ、お呼びで??」
額から零れ落ちて来る透明な雫を手の甲でクイっと拭い、腕を組んだまま俺を見下ろしている大蜥蜴ちゃんを見上げてやる。
「つかぬ事を聞くが……。お前、王女様に何かしたのか??」
「ほっ?? 別に何もしていないけど??」
お、おいおい。まさかとは思うけど……。昨日の事が大々的にバレちゃったのかしらね!?
不法侵入を咎められ、俺は晴れて断頭台行きが確定しちゃったとか!?
取り敢えずこの場に合った返事を返して彼の反応を窺う。
「そうか。いや、実はな?? 王女様の朝晩の二回の食事の運搬を貴様に一任しろとの通達が来たのだ」
「え?? じゃあ訓練とか任務とかはどうするの??」
「それは他の隊員が請け負うから問題は無い。キマイラ討伐に出立するまで、休息日を除く日は一日中王女様の世話役に徹しろという通達も来ている。お前も気付いているとは思うが……」
これ以上は言わなくても理解出来るだろ??
グレイオス隊長がそんな意味を含めた視線で俺を見下ろした。
「分かっているよ。呪い、って奴だろ??」
「あぁそうだ。王女様に呪いを掛けた王宮抱えの魔法使いは現在も逃走中。各地に軍の者を派遣して捜索に当たらせているが依然消息は不明だ。彼女の呪いを解く為にもあの女を捕まえなければならん」
「その魔法使いってどんな奴なの?? 王宮抱えの魔法使いって事はかなりの実力者なのかい??」
俺がそう問うと、彼は周囲を静かに窺った後に口を開いた。
「俺から聞いたって事は秘密にしておいてくれよ??」
「勿論。こう見えて口は硬い方なのさ」
「彼女の名はティスロ=ローンバーク。王宮魔法指導部門の最高幹部だった者だ。彼女が放つ魔法は大木を両断し、岩を砕き、空を穿つ。俺も指導を受けていたのだがかなりの使い手であると容易に看破出来たぞ」
ほぉん、王女様に呪いを掛けたのは武に携わる者が唸る程の使い手だったのね。
「我々王都守備隊は勿論の事、軍部の魔法の指導にも携わり皆一様に彼女を尊敬していた。王女様にも術式の構築や魔力の使い方等の指導を施しており、その姿は姉妹の様に微笑ましく映ったものさ」
「その彼女がどうして王女様に呪いを??」
話を聞く分には凶行に至る動機が見られないし。
「さぁな、俺達がそれを聞きたいさ。王女様に呪いを掛けてティスロは雲隠れし、呪いを解く方法も見つからない。現時点では正に八方塞がりって感じだ」
グレイオス隊長がヤレヤレ、そんな感じで肩を竦める。
「ん、有難うね。新入りの俺に態々説明してくれて」
「隊員達は共に信じて肩を寄せ合い、一枚の岩となって敵に向かう。短期間だとは言えお前とハンナは我々王都守備隊の一員だ。隊員を信じるのが我々の規律だからな」
「ははっ、俺の相棒と同じで馬鹿真面目な性格なんだね」
俺が揶揄い気味にグレイオスの肩をポンっと叩いてやると。
「喧しいぞ。ほら、さっさと隊列に合流して走って来い!!!!」
彼は俺以上の馬鹿力で叩き返して来やがった。
「いっでぇな!! もう少し優しく叩きなさいよ!!」
「わははは!! 頑丈なお前さんに遠慮は要らん!! 馬鹿みたいに走ってから飯を食い、そして王女様に朝食を届けて来るんだぞ!!」
はいはいっと、言われなくても分かっていますよ――っと!!!!
グレイオス隊長に対して軽やかに右手を上げて別れの挨拶を済ませると、訓練場の外周を駆けている隊列に加わった。
「よぉ――、隊長と何を話していたんだよ」
ラゴスが俺を迎えると同時に口を開く。
「うん?? あ――、お前さん達の鼾が五月蠅過ぎるからその対処方法を学んで来た」
「ふぅん。して、その対象方法とは??」
「我慢しろ。この一点張りだったさ」
俺がそう話すと周りの隊員達が聞き耳を立てていたのか。
「あはは!! 我慢かよ!!」
「ぶっ!! わはは!!!! 例え我慢したとしてもダンとハンナの繊細な鼓膜じゃあ俺達の鼾は耐え切れないって!!」
「その通りッ!!!!」
仲良く歩調を合わせて走り続けている全隊員が口を揃えて笑い声を放ちやがった。
畜生……。他人事だと思って愉快痛快に笑い転げやがって……。
いつか覚えていろよ?? お前さん達に対して酷い仕返しをしてやるんだから!!
「わりぃな、ダン。今度から慎ましく鼾を掻いてやるからさっ」
「そうそう。心がへし折れる寸前程度の音量なら構わんだろ??」
「止めろ!! 俺の頭を撫でるんじゃねぇ!!!!」
上空から下りて来た太い手達にいい様に頭をクシャクシャに撫でられ、それを懸命に跳ね除けつつ朝一番の訓練に励んでいた。
お疲れ様でした。
長文となってしまいましたので分けての投稿になります。
現在、後半部分の編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。