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今日も今日とて、隣のコイツが腹を空かせて。皆を困らせています!!   作者: 土竜交趾
過去編 ~素敵な世界に一時の終止符を~
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第八十五話 此度の報酬は彼女の笑み

お疲れ様です。


本日の投稿になります。




 年末の喧噪とは本当に厄介なものだ。


 人々は残り僅かとなった今年の日々を忙しく消費して、この一年で積み重なった負債や杞憂すべき事項を全て清算して新たなる一年を迎えようと躍起になる。


 身も心も心機一転させて新年に相応しい新たなる自分として生まれ変わりたいという気持ちは大いに理解出来る。


 かく言う私も仕事を終えて家路に就いたのなら部屋の掃除や不要な服の廃棄の事で頭が一杯になるのだから。


 この時期、職業斡旋所に舞い込む仕事は家周りの掃除や荷物の運搬。年末年始をダシにして利益を上げようとするお店からの店番や手伝い等々


 長年この仕事に携わって来た私でも思わずうわぁっと顔を背けたくなる雑務が大量に押し寄せて来るのだ。



 新しい一年を迎える事に余念が無いのは素晴らしい事だと思うのですけども……。


 普通はもう少し早い時期から準備を始めて慌ただしく貴重な時間を消費すべきでは無いと思うんですよ。


 それはどうしてかって??


 次々と舞い込んで来る依頼を処理する為にはその仕事を請け負う人と媒介する人が必要だ。


 つまり、請負人達は血涙を流して仕事に携わり。短期間の間に大量の事務処理をする者達は腸が煮えくり返る思いを胸に抱いて仕事に携わなければいけないのだから……。



 私達の体は一つしかないの!! だから大掃除や利潤追求は自分達の体で何んとかしろ!!



 依頼を請け負う人達が中々現れない事に苦情を言いに来る依頼人達にそう叫んでやりたいが、私も一人の大人だ。



「ねぇ――。この依頼を申し込んだのはもう十日も前なのよ?? いい加減誰か寄越してくれてもいいじゃない」



『それを決めるのは私じゃなくて請負人達だ。さっきからそれを何度言えばそのスッカラカンの頭で理解出来るの?? こちとら事務処理で忙しいんだからとっとと失せなさい、このすっとこどっこい』

「大変申し訳ありません。この時期は舞い込んで来る依頼が非常に多くて、とてもじゃないですけど人手が足りなくて。私共としても早急に依頼を処理したいのですが請け負う人が現れない事には……」



 上唇の裏側まで出て来た本心を渾身の力を籠めて飲み込み、由緒正しい斡旋所の受付嬢に相応しい言葉を放ってあげた。



「今年も残す所後五日……。その間に依頼した仕事を処理出来る様にして頂戴。私の家は普通の家と違って広いから大変なのよ??」



 お分かり?? そんな感じでまぁまぁ高そうな宝石を首からぶら下げている大蜥蜴の主婦が話す。



「畏まりました。あちらの掲示板の目立つ場所に依頼書を掲示させて頂きますね」


「はぁ――……。こんな事になるのなら短期間でもいいから使用人でも雇えば良かった。ここに頼むのはお門違いだったのかしらねぇ――」



 世の仕組みを全っっく理解していない裕福層のババアが溜息混じりにそう話すと嫌味を吐き散らして漸く店から出て行きやがった。



「大変申し訳ありませんでした。またのお越しをお待ちしております」


 静々と椅子から立ち上がり彼女に対して深々と頭を下げ。


「――――。ペッ!!!! 二度と足を踏み入れるんじゃねぇぞ!! この浮世離れしたすっとこどっこいがぁぁああ――!!!!」



 憤怒、義憤、激怒等々。


 負の感情を一気苛烈に炸裂させ、文鎮代わりにしているまぁまぁ大きな石を入り口付近目掛けて投擲してやった。



「フゥッ!! フゥゥウウウウ――!!!!」



 それでも怒りが収まらぬ私は悪鬼羅刹も思わずたじろいでしまう怒気に塗れた息を吐き、荒々しく肩を上下させながら入り口を睨み続けてやる。


 畜生めが……。私の心に渦巻く怒りは一体何処へぶつければいいのかしら。



『怒っては駄目ですよ?? 貴女の怒る気持ちは理解出来ますが、良い大人はそう簡単に怒ってはいけないのです』


『あはは!! そんなの関係ないねっ。いつもの怒りのはけ口である彼はまだ帰って来ていないからぁ。ほら、目の前にたぁぁくさん居るじゃないか。あんたの怒りをぶつけるべき相手達が』



 善の私と悪の私の会話に耳を傾けていると、目の前に出来た行列にふと視線が止まる。


 ほっほう……。ダンが居ないからその代わりにコイツ等を血祭りにあげればこの灼熱の憎悪の炎は鎮火するのか。



「……ッ」



 地獄の底で悪行を働いている悪魔も思わず体をガタガタと震わせながらペタンと尻餅を付いてしまうおっそろしい笑みを浮かべると。



「さ、さてっと……。ちょっと場所を変えようかなぁ――……」



 私の前に出来ていた列があっと言う間に霧散して隣のレストとミミュンの列へと加わってしまった。


 触らぬ神に祟りなし。


 巷でそう言われている様に私の恐ろしい姿を捉えて報酬を頂く事が億劫になってしまったのだろう。



 あはっ、丁度良いや。投げた石を拾うついでに休憩しよ――っと。



「ちょっと、ドナ!! 私達の事も考えなさいよ!!」


「そ、そうだよ!! 忙しくて私死んじゃ……」


「ねぇ、報酬を早く受け取りたいんだけど??」


「は、はぃぃ!! もう少し待って下さいね!!!!」


「あはは!! ごくろ――さん。私の前に出来ていた列はどういう訳かスパッ!! といなくなったからねぇ。一足早く上がらせてもらうわぁ」



 憤る同期の言葉を無視すると素敵な僥倖に感謝して受付所の脇から出て、何だか酸っぱい匂いが立ち込める室内を軽やかな歩調で進み。



「どう?? ジュッテちゃん。上手くお絵かき出来たかな??」



 寂しそうに床の上に転がっている石を拾い上げると室内の壁際に併設してある机で真剣な面持ちで御絵描きに夢中になっている可愛い依頼人の隣に腰掛けた。



「もうすこしでかんせい」


「そっかぁ!! 真剣に描いているからどんな力作なのかなぁ――」


 しわくちゃの皺が目立つ紙に描かれた絵を確認するとそこには二名の男と思しき姿が描かれていた。


「ん?? これは誰を描いたの??」


「もうすぐ帰って来てくれるダンお兄さんたち!! こっちはね元気になったお父さんとお母さんだよ!!!!」


「――――。そっか、あの言う事を聞かないワンちゃんはもう直ぐ帰って来る予定なんだよね……」



 今から凡そ一月前に命の保証が得られない危険な場所へ私の忠告を一切合切無視して向かって行った駄犬の顔が脳裏に過る。



 あれだけ危険だと説明しても聞く耳を持たなかったし、それ処か未だ見ぬ不思議に心を逸らせて目を輝かせていたし!!!!


 私の予想では半月程で泣きべそを掻きながら帰って来ると睨んでいたが……。


 上手く事が運んでいるのか将又トゥインの里で拘束されているのか知らないけどなぁぁんの音沙汰も無く一月が経過。


 彼の帰還が遅れると同調する様に私の心はずぅぅっと激しく波打っている。


 拘束されていても元気であればそれでいい、怪我をして泣きじゃくっていても命があればいい。


 でも……。生の森で命を失う真似だけはして欲しくない。私の知らない所でこの世から去って欲しくない。


 せめて、そうせめて……。さようならを言う機会を与えて欲しいのが本音だ。



 私の言う事を聞かない大馬鹿野郎め。


 この子を安心させる為にも早く帰って来なさいよね。いや、ジュッテちゃんじゃなくて私の心か。



「けがにきく薬草もって来てくれるかなぁ――」


「う――ん、それは何とも言えないけど。その為にあの二人は頑張っているんだよ??」



 机の上に頬杖を付き頑是ない子の頭を撫でてあげる。


 おぉっ、子供の髪の毛ってすっごい艶があるわね。



「じゃあわたしもおるすばんがんばるねっ!!」



 私の手の干渉を受け取り、満面の笑みで此方を見つめてくれた。



 彼等が出掛けてからほぼ毎日此処へ足を運び、母親が迎えに来る夕刻まで彼等の帰りを待ち続けている健気な少女の姿は話題を呼んだ。


 彼女の事情を知る者達は。



『ジュッテちゃん、ほら焼き御菓子だよ!!』


 腹を空かせているだろうと考えて差し入れを渡し、ある者は。


『お絵描きばかりだと飽きちゃうでしょ?? お兄さんが描いた絵本を持って来たよ!!』



 寂しさを紛らわせる為、自作の絵本を譲渡。そしてある者は一体何を勘違いしたのか知らんが。



『お、お、お嬢ちゃん。おじさんと一緒にお出掛けしない?? 美味しい物を食べさせて……』


『『『出て行け――――ッ!!!!』』』



 可愛い少女に対してお出掛けのお誘いをしやがったので三名の受付嬢と室内にいた請負人全員で懲らしめ、執行機関に突き出してやった。


 そりゃあこれだけ可愛ければ将来性を見込んで手を出したくなるのは分かるけど、年を考えなさいよ。


 シンフォニアに舞い降りた小さな天使ちゃんは年末で忙しくなる私達に一種の癒しを与え、積み重なる疲労を取り除いてくれているのだ。



「そうそう、その調子……。ん?? この男女は一体誰を描いたのかな??」



 完成した数枚の絵を捲って行くと、ふと目が留まった紙を机の上に置く。


 キラッキラの笑みを浮かべて仲良く手を繋ぐ心温まる一枚だ。



「それ?? ダンお兄さんとドナお姉さんだよ。私のおねがいをきいてくれたとき、すごくなかがよさそうだったからね!! ふたりはきっとつきあっているんだもんっ」



 大人の事情に精通していない子供に私達の関係はそういう風に見えるのかしら??


 厳密言えばまだ付き合っている様な関係では無いので彼女の間違いを訂正してあげるのが大人の正しい所作なのだが……。お生憎様っ。


 私は悪い大人ですのでね。



「ふ、ふぅんっ。ジュッテちゃんは見る目があるね!!」



 間違いを訂正せず敢えて肯定してあげた。


 ま、まぁっ。近い内にそうなるかも知れないし。強ち間違いじゃないかも知れないからねっ。



「それでぇ、これがしょうらいの私とダンお兄さんだよ!!」


 彼女が満面の笑みで成長した己と仲良く手を繋ぐ駄犬の絵を私に見せて来る。


「ほっほぅ。つまり私とジュッテちゃんは二人一緒にダンと結婚する訳だね??」


「ううん。ドナお姉さんはちがう――」



 な、何ですと!? 私は女の戦い破れた敗北者とでもいうのかね!?



「独占欲が強いお子ちゃまには――……。お仕置きだぁぁああ!!!!」



 子供に嫉妬するのはお門違いかも知れないが、大人に喧嘩を売るとどうなるのか。それを分かり易く教えてあげる為に小さな体をぎゅっと抱き締めると脇腹をくすぐってあげた。



「きゃはは!! やめて――!! お腹とれちゃう――!!」


「うりうりぃ!! 悪い子にはお仕置きだぞ――!!」



 良い大人が何をやってんだか。


 そんな呆れにも似た視線が突き刺さるが、疲れ果てた体にこの光景がやたら眩しく映ったのか。



「「「……っ」」」



 室内で報酬の受け取りを待つ請負人達は皆一様に朗らかな瞳を浮かべて私達を見つめていた。



「あらあら。今日も仲が良いのね」


「あ!! お母さんっ!!」


 ジュッテちゃんの母親が静かな足取りでやって来ると温かな吐息を吐いて彼女の左隣に腰掛けた。


「すいませんね、毎日押し掛けちゃって」


 大蜥蜴の大きな頭が静かに上下する。


「いえいえ、私達も彼女の健気な姿に癒されていますからね」


「そうですか。しかし……、やはり年末になると物凄く忙しいのですねぇ」



 おっとりとした口調を放つと営業時間終了間際のごった返す室内を見つめる。



「年末恒例の行事みたいなものですから御安心下さい」


「お忙しいのに御手を煩わせて申し訳ありません」


「い、いえいえ!! 私は偶々手が空いたのでジュッテちゃんの相手をしているんですよ」



 静々と頭を下げた彼女に慌てて手を振る。



「ドナお姉さんがひまなのはさっきものすごいいきおいで怒ったからなんだよ??」


「まぁっ、そうなの??」


「あ、あはは……。子供から見たらそう見えるかも知れないけどね?? あれは他愛の無い感情の一部なんだよっ」


 何だか呆れた顔を浮かべているジュッテちゃんの頭を優しく撫でてあげると。


「はぁ――……。良く言うぜ」


「ッ!!!!」



 列の中央辺りから嫌味に聞こえる溜息が漏れてしまったのでその付近を思いっきり睨んでやった。



「ドナお姉さんかわいいかおなんだから怒っちゃだめっ」


「褒めてくれて有難うねっ。でも将来の好敵手ライバル相手に褒めていいのかなぁ――??」


「むぅっ!! そうだった!! ドナお姉さんはしょうらいてきになるんだったね!!」


「そうそう。私は手強いぞ――?? なんたってあの駄犬の飼い主なんだから」


「あはは!! そんなことダンお兄さんがきいたらおこっちゃうよ??」


「いいのよ、それで。誰が本物の飼い主なのか。帰って来たらそれを痛い程分からせてやるのよ」


 ニッコニコの笑みを浮かべるジュッテちゃんに片目をパチンと瞑ってやった刹那。







































 何度聞いても決して聞き飽きない私好みの男性の声が鼓膜をそっと揺らした。



「――――。いつから俺はお前さんの飼い犬になったんだい??」


「ッ!?」



 その声を捉えると私の心と体の温度が一気に上昇してしまった。



「「「ダンッ!!!!」」」


「いよぅう!! 元気にしているか!? このデカブツ共!!」



 彼の顔見知りの大蜥蜴達がダンの下に駆け寄るとあっと言う間に姿が見えなくなってしまう。



「この野郎!! 久し振りに姿を見せたと思えば!!」


「何処に行っていたんだよ!! 姿を見せないから心配していたんだぞ!?」


「や、止めろ!! 野郎共に囲まれる趣味はねぇんだよ!!!!」



 緑の鱗に囲まれ四苦八苦している彼の姿がかろうじて垣間見える。


 その姿を捉えると自分でも驚く程に安堵の気持ちを抱いている事に気付かされてしまった。



 よ、良かった……。無事に帰って来れたんだ……。



「――――。すまんな、忙しい時に」


 彼の唯一無二の相棒であるハンナさんがやれやれといった感じで私達が寛ぐ机にやって来ると。


「ったく!! もう少し優しく迎えろよな!!」



 ハンナさんを追う様にむさ苦しい無頼漢共にもみくちゃにされて酷いナリのダンがやって来た。



 思わず触れてしまいたくなる黒き髪は蓬髪気味にあちらこちらへと毛先が向かい、茶の上着は乱れ、高揚感と辟易感が混ざった顔は朱に染まる。


 頬に付着した土埃、髪の毛に乗っている塵、中途半端に伸びた無精髭、そして汚れたズボン。


 つい先程まで冒険を続けていた冒険者そのものの姿を捉えると、自然な言葉が意図せず口から出て来た。



「ダン、お帰り」



 本当はもっと気の利いた言葉を掛けてやりたい。着飾った言葉で揶揄してやりたい。心の奥底に仕舞ってある温かな言葉を掛けてあげたい。


 だが、口から出て来たのは何の変哲もない普遍的な言葉。


 無意識の私が膨大な数の言葉の中から選択した言葉を彼が受け取ると。



「ただいま」



 彼もまた何の変哲もないありふれた言葉で帰還を告げた。



「「……」」



 それから言葉を交わす事無く私は彼のちょっと疲れた顔を見つめ、彼もまた私の顔を何を言う事も無く只々静かに捉えていた。


 その感覚は数分程度であったが時間的には数秒単位だったのだろう。


 二人の視線が混ざり合い、絡み合い素敵な空気を漂わせ始めた頃にジュッテちゃんが元気良く立ち上がり彼の足元へと駆けて行く。



「ダンお兄さん!! やくそくはまもってくれたの!?」


「ん――、約束の品じゃあないけどさ。怪我に物凄く効く薬草を貰って来たぞ!!」


 彼が右肩から掛けている鞄の中から一房に纏めてある草を取り出す。


「ほんとう!? これでおとうさんのけがはよくなるのかな!?」


「勿論さ。えっと……。ジュッテちゃんのお母さんですか??」



 己の子と他愛の無い会話を続けている様子を静かに見守っていた大蜥蜴に視線を向ける。



「はい、そうです。この度は御迷惑をお掛けしまして……。本当になんと言ったらよいのか」


「あはは、自分達も丁度時間が出来ましたのでイイ勉強になりました。えっと……。ここだけの話、なのですが……」



 一房の草の束を持ったダンがジュッテちゃんの母親に耳打ちをする。



『この薬草はラタトスクさん達が住む里の御厚意から頂いた物ですので、他言は控えて頂くと光栄です』


「は、はぁ。そうなのですか」


『使用方法はこの薬草に水を含ませて磨り潰し、患部に直接当てれば直ぐに効能が現れるそうですよ』


「有難う御座います。では、報酬についてなのですが……」


「お代は頂きませんよ」



 ダンが耳打ちの姿勢を解除すると普段通りの笑みを浮かべる。



「さ、流石にそういう訳にはいきませんよ」


「今回の依頼料はそうですね……」


「お母さん!! 早くお父さんのけがをなおしてあげようよ!!」



「実の父親の怪我を治してあげようとしている子の純粋な願いを叶える為に俺達は依頼を受けました。ですから、今回の報酬は彼女の素敵な笑みで十分なんですよ」



 太陽の光さえも凌駕する眩い笑みを浮かべて母親の手をグイグイと強く引っ張るジュッテちゃんを見つめてそう話す。



「そういう訳にもいきませんので後日、正式な依頼料をお支払いしますね。さ、お父さんが待っているから行こうか」


「うんっ!!」



 母親が娘の手を取り素敵な夕日が待ち構えている表通りへと向かって行くが。



「あ、そうだ!! ダンお兄さん!!」


 ジュッテちゃんが母親の手をパっと離すと心配になる速度で此方に向かって駆けて来た。


「ん――?? どした??」


「ちょっとかがんで!!」


「はいはい……。これで良い??」



 ダンが彼女の願いを叶える為に渋々といった感じで両膝を床に着けると。



「ほんとうにありがとうね。これは……。わたしからのほ――しゅうだよっ」


「んむっ!?」



 ジュッテちゃんがダンの顔に小さな手を当てて静かに己の唇を大馬鹿野郎の唇に合わせてしまった。



 こ――らこらこら。子供の無垢な唇を奪うとは一体君は何様なのだい??


 こりゃ後で死刑執行ね。



「えへへっ、おとうさんいがいとはじめてしちゃった」


「全く、そういう事は大人になってからしなさい」


「それじゃあばいば――いっ!!」


「気を付けて帰るんですよ――!! ふぅっ、あぁびっくりした」



 顔を真っ赤に染めて駆けて行く子供の後ろ姿を見送るとヤレヤレといった感じで大きな溜息を吐いた。



 さ、さぁってと。


 公然の場で堂々と子供の幼気な唇を奪ったクソ野郎の罪を咎めてやろうとしますか!!!!



「よぉ、そこの変態野郎。平穏公然とよくもまぁ幼気な少女の唇を合わせられますなぁ」


「は、はぁ!? あれはいきなり向こうがして来たんだろ!!」


 私の言葉に抵抗しようとした姿を刹那に見せるが。


「そういう事を聞いているんじゃあ無いんだよねぇ。取り敢えず、正座しよっか」



 恐らく物凄く怖い顔を浮かべていたのでしょう。


 私の表情を捉えた彼は瞬き一つの間に床の上でキチンと折り畳み。



「えっとですね。御覧になられたかも知れませんが、先程の行為は私の不可抗力で御座いましてぇ……」



 苦しい釈明を始めてしまった。


 こうして見下ろしていると謎の高揚感が沸々と湧いてくるのですが、彼のしどろもどろに狼狽える顔をじぃっと見つめていると……。



 ある重大な異変に気付いてしまった。



「――――。ですから、私に一切の不備は無く。今回の事件は無罪放免になりませんでしょうか??」


「ご、ご、御免。言い訳は後で聞くからさ……。な、な、何であんたの体から魔力を感じるの??」



 彼は此処を発つ前は魔力の欠片さえも感じ取れぬ正真正銘の人間であった。


 しかし、一月振りに帰って来た彼の体内には不規則な流れながらも確実に魔力の流れを感じ取れてしまう事に驚きを隠せないでいた。



「あぁ、それの事?? 今回の依頼の詳細を話すついでに説明させて貰うよ」


「そ、そっか。じゃあもう直ぐ営業時間が終わるし、レスト達も交えて聞かせて貰うわ」


「りょ――かい。よっしゃ!! 相棒!! 店が閉まる前に依頼の内容を確認しようぜ!!」


「あぁ、了承した」



 軽やかに掲示板へと向かって行く彼に対し、ハンナさんは遅々足る所作でダンの背に続いて行く。


 片や陽気、片や冷静。


 それはいつも通りの姿なのだが、私はその姿がまるで頭に入って来なかった。



 い、一体何が起こったら人から魔物に変わる事が出来るのよ……。天と地がひっくり返っても起こり得ない超常現象をまざまざと見せつけられた気分だわ……。


 だがこれはあくまでも序章の様で??


 汗と汚れに塗れた請負人達が去り、同期と共に彼等の冒険を聞かされた際には思わず頭が真っ白になってしまった。



 飢餓鼠を捕食する黒蠍との会敵、生の略奪者との死闘。そして世にも稀な会話を可能とする聖樹との出会い。



 彼の口から出て来るのは小説の中で出て来る様な空想上の有り得ない話ばかり。


 一体何の与太話をしているのだと、普段の私ならそう高らかに言って鼻で笑い飛ばしてやるのだが。


 人から魔物に生まれ変わった張本人から放たれた言葉には説得力があり、私は口を紡いだまま黙って聞き続けていた。


 夕日が沈み、月が浮かび上がり、夜空に星達が煌めき始める頃になっても私の常識を容易く打ち破る話は続けられ。


 全てを理解したのは沢山食べて、ゆっくり寝て。普段通りの日常生活を過ごす事により真面な思考を漸く取り戻した頃であったのだった。





最後まで御覧頂き有難う御座いました。


この御話を持ちまして生の森編完結で御座います。次の御話から新しい依頼が始まるのですが……。


季節の変わり目の恒例行事である風邪を罹患、更にまだまだ新しい依頼の導入部分に納得していないので次の投稿は週末か翌週の頭になる予定です。


楽しみにされている方には大変申し訳ありませんが少々お待ちになって頂く形となってしまいます。


今日は風邪薬を飲んでぐっすりと眠りますね。



それでは皆様、夜は冷えますので体調管理に気を付けてお休み下さいませ。

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