第八十二話 溶け合う心と体 その一
お疲れ様です。
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二つの燃え上がる闘志が地上で衝突すると心休まる静謐が漂う森の中に激しい衝撃波が生じて木々の枝を震わせる。
その衝撃の余波はうねる濁流の様にその場で留まる事を知らず、円蓋状に広がり森の入り口までに轟くのでは無いかと思える程に強力なものであった。
「はぁっ!!」
互いの力が衝突して発生した衝撃波の中から一早く現れたハンナさんが歴戦の勇士を彷彿させる表情を浮かべて右の拳を突き出せば。
「あめぇ!!」
ダンさんがそれを容易く躱して彼よりも更に強力な攻撃を仕掛ける。
「踏み込みが甘いぞ!!」
「そういうテメェも軌道が分かり易過ぎるんだよ!!」
互いに一歩も譲らず行われる激しい攻防は見ている者の魂を震え上がらせる程の熱量を帯び、私はこの光景を呆気に取られて眺めていた。
はぁ――……。二人共物凄く速く動きますね。
私は俯瞰して見下ろす事が出来るので何んとか二人の一挙手一投足を捉える事が出来ますが、普通の人間なら恐らく彼等が何をしているのか理解出来ない程に速く見える事でしょう。
自分の得意とする風の力を纏ったハンナさんの精錬された素早い動き。
まるで相手の心と考えを見透かした様に、襲い掛かる攻撃を清らかな水が流れるが如く受け流すダンさんの滑らかな動き。
両者の対極的な動きはお伽噺に出て来る武の道を極めた者同士が争う光景にも映り私の心を掴んでは離さなかった。
しかし、時間が許す限り眺めて居たい思える二人の熱き攻防にいよいよ決着の時が訪れてしまう。
「ふんっ!!」
ハンナさんの右の拳が美しい弧を描きダンさんの顔面へ目掛けて進む。
「ッ!!」
そしてそれを捉えたダンさんの瞳に烈火の闘志が生まれた。
「俺の勝ちだな!!!!」
彼が素早く屈んでハンナさんの拳を躱すと、体の重心をグっと落として右足に力を籠めた。
「食らいやがれぇぇええ――――!!!!」
右の拳の空振りによって微かに体の軸がブレてしまったハンナさんの体に向かってダンさんの乾坤一擲となりえる桜嵐脚が放たれるが……。
「それは……。どうかな!?」
ハンナさんが炎の力を纏った烈脚が襲い来る前に素晴らしい身のこなしで半歩後退。
「うっそだろ!? オグベッ!!!!」
不発に終わってしまった攻撃の隙を穿たれ、ハンナさんの鋭い攻撃を受けた彼は面白い角度と速度で地面の上を転がり続けて行ってしまった。
うわぁ……。今の一撃は痛そうだな……。
ダンさんの隙を見逃さなかったハンナさんの完璧な一撃の直撃は相手に受け身を与える余地すら与えず、その痛みは人の体を持ち合わせていない私には計り知れないが恐らく常軌を逸した痛みなのでしょうね。
その痛みとやらを興味本位で体験してみたいですけど……。恐らく二度と立ち上がれなくなってしまいそうなので遠慮しておきましょう。
「攻撃の終わりの隙を狙うのは悪く無い考えだ。しかし、貴様は技に頼り過ぎている。技とは本来相手に止めを刺す為、若しくは局面を覆す為に存在している。勝ち気に逸って技に頼り、縋るのは間違いだ」
「ゴホッ!! オェッ……。親切御叮嚀に指導してくれて有難うよ……」
ダンさんが苦しそうにお腹を抑えて立ち上がる。
その顔は苦悶の表情に染まっているかと思いきや……。物凄く嬉しそうだった。
きっとハンナさんと一緒に強くなれている事が楽しくてしょうがないのでしょうね。
「俺の行動が間違いなのは理解出来たけどさぁ、もう少し優しく教えてくれてもいいんじゃないの??」
「馬鹿な貴様には痛みで思い知らせた方が早いからな。それに固有能力でもある抵抗力を鍛えるいい機会では無いか」
「それを鍛える前に死んじまったら意味が無いでしょうが……。ふぅ――っ!! ちょっと休憩!!!!」
ダンさんが手の甲で額に浮かぶ汗をクイっと拭うとそのまま大袈裟に転がってしまう。
『二人共お疲れ様でした。中々素晴らしいものを見せて貰えましたよ』
熱き闘志を解除して普段通りの優しい気を纏った二人に労いの声を掛けてあげた。
「ねぇ、聖樹ちゃん!! 今の攻防を見てどう思った!?」
ダンさんが軽快な笑みを浮かべて私を見つめる。
『ん――……。やはりハンナさんの方が長く魔力の使用に携わっている所為か、魔力を纏った攻防となるとダンさんは彼の足元にも及ばない程に劣りますね』
「い、いやいや。そこまでスパっと断言しなくてもいいじゃん」
軽快な笑みから一転、あからさまに辟易した表情に変化する。
『ですがダンさんは相手の攻撃をよく見て、考え、辿り着く結果の先を想定して動いている様に見えました。足りない魔力の操作、使用は持ち前の行動予想で補助。相手が隙を見せたのなら刹那的に魔力を一気苛烈に上昇させて攻撃態勢へと移る。ダンさんらしい行動でしたよ??』
これなら満足してくれるのでしょうね。
「そ、そうそう!! あはは!! やっぱり良く見ているじゃん!!」
ほら、すっごく嬉しそうな笑みを零していますし。
「聖樹殿、余りそいつを褒めないでやってくれ。勘違いして鼻を高くしてしまったらどうする」
「は、はぁ!? 勘違いだって!?」
「その通りだ。貴様の魔力付与は軍鶏一族や火食鳥一族のそれと比べればまだまだひよっこ同然。フッ……、いや。比べるのも失礼にする値だな」
「あぁそうかよ!! じゃあなぁんでお前さんは俺の必殺技を捉えるとビビって下がったのかなぁ――?? 里の戦士は恐れを知らないんじゃないの――??」
「下がったのは完璧に近い勝利を掴み取る為だ。前に出るよりも後ろに下がり、相手の隙を穿ち……」
「ぎゃはは!! はい、嘘――!! 一瞬だけ物凄くビビった目の色を浮かべたもんねぇ――!!」
ダンさんがケラケラと軽快な笑い声を放つと。
「き、貴様!! 里の戦士を愚弄するのか!?」
その笑い声が彼の逆鱗に触れてしまったのか、ハンナさんが巨大な白頭鷲の姿に変わりダンさんの体を鋭い爪が備わった右足で拘束してしまった。
「いででで!!!! きゅ、急に変身するなんて卑怯じゃねぇか!!」
「油断した貴様が悪い!!」
あぁ――、もぉ――……。静かな森の雰囲気が台無しじゃないですか。
ここは聖なる領域ですので五月蠅いのは御法度なのに。
『ハンナさん、ダンさんを放してあげて下さい』
「いよ!! 流石森を統括する聖樹ちゃん!! 心が狭いテメェと違って何処までも続く海のように広い心を持っていますな――!!」
「その減らず口を叩けぬ様にもっと酷い目に遭わせてやろうか!?」
「い、イヤァァアア――――!!!! く、嘴は駄目だって――!!」
岩をも穿つ白頭鷲の嘴が大地に勢い良く振り下ろされると地面にポッカリと深い穴が形成されてしまう。
「ちっ、上手く避けたか」
「こちとら何度もテメェの攻撃を見て来たからなっ。余裕よ、余裕――」
「ならばもう一度避けてみせろ!! この戯け者が!!!!」
ハンナさんが天高く嘴を掲げた刹那。
『いい加減にして下さぁぁああ――いっ!!』
「「ぐぉっ!?!?」」
複数の蔦を絡めて太く頑丈にした蔦の攻撃を二人に加えてあげた。
『全く……。御二人は玩具を取り合う兄弟ですか!? 第一、此処は聖域と呼ばれ神聖なる場所なのですよ?? 頑是ない子供じゃないんですから厳かに、そして粛々と過ごすべきなんです!!!!』
「あぁ、済まなかった」
正気を取り戻したハンナさんが人の姿に変わると静かに頭を垂れてくれる。
うんうん!! 素直なお兄ちゃんって感じですね!!
しかし我儘で怖いもの知らずの弟さんは。
「粛々ぅ?? 何度も人の睡眠を邪魔して宙吊りにした人が良く言うよ。今日だって朝方までずぅぅっと話を聞かせて来るし。こちとら四六時中睡眠不足なんだぜ??」
地面の上でコロンと寝転がり、怠惰な姿勢のままで私に反抗し続けていた。
『成程……。この場所で私に逆らうのはどれだけ愚かな行為なのか……。それを貴方の身で以て分からせてあげましょう!!!!』
お馬鹿な弟さんに数百を超える攻撃に特化した蔦を見せてあげると。
「御免なさい――!! 泉で汗を流して来ますね――!!」
負け犬特有のキャンキャンとした情けない声色を放ち泉の方角へ逃げて行ってしまった。
むぅ……。折角吊るし上げて長々と説教をしてあげたかったのに……。
不発に終わった蔦を仕舞っていると。
「ふぅ――……」
ハンナさんが疲労を籠めた吐息を吐いて地面に勢い良く座り込んでしまった。
『如何為されました??』
「この姿を見た事は決してアイツに話さないでくれ……。日に日に成長して行く奴の相手は本当に骨が折れる」
な。成程。
毅然とした態度を取っていたのはダンさんが増長しないが為だったんですね。
『あの素晴らしい成長速度は恐らく、先入観や固定概念に囚われていないのが最たる原因でしょう。現時点での彼は言わば空白の本。濁った考えに染まっていない彼は私達が指導した全てを余す所なく吸収して己が血と肉に変えてしまうのです』
ダンさんはまだ生まれて間もない魔物の一体に過ぎませんが、持ち前の頭の回転の速さと厳しい訓練にも耐えきれる頑丈な体を駆使して恐るべき速度で成長している。
その速度は天井知らずで気が付けば数日の内に強力な力を持つハンナさんと近い位置まで登り詰めているのですから。
「それだけでは無い。奴は俺の生まれた大陸で基礎訓練を受けておりその際に魔力を使用した戦闘方法を幾度となく見て来た。彼等から見て聞いた情報を頼りにそれを己に当て嵌め、自分と合わないのなら工夫を施して己に合う様に使用する。呆れた適応能力と状況判断能力、そして優れた洞察力。己の能力を最大限にまで駆使して成長する様は正直……。恐ろしくも映るな」
類稀なる武の才を持つ彼に恐ろしいと言わしめる成長速度、ですか。
『体が強いだけじゃなくてダンさんはきっとハンナさんと同じ境地に立って、同じ景色を見たいんじゃないんですか??』
うん、きっとそうだと思う。
ハンナさんと一緒に旅をしてきてダンさんは何度も自分の力が矮小なものであると悔やんで来た。
しかし彼と同じ境地に立てる力を有した今、ダンさんの心は驚く程に爽快に晴れ渡っていたのだ。
精神の世界を繋げた時に感じたそれは……。歓喜に満ち溢れた温かな光、とでも言いましょうか。
彼の心は温かな光一色に染まり、その熱量は少しでも触れたら火傷してしまう程に強烈に光り輝いていたのです。
「俺と同じ境地……」
『それに、いつまでもハンナさんに頼ってばかりでは申し訳無いと考えていたのでしょうね。これからも続いて行く冒険の中で出会うであろう危険に対処出来る力を有したダンさんの心は熱く輝いてしましたから』
「ふっ、そろそろ親離れの時が来たのかも知れんな」
ハンナさんが嬉しそうに笑みを零すと静かに立ち上がる。
『雛の旅立ちを静かに見守る親鳥の心境という奴ですね』
「全くその通りだ」
互いに温かな吐息を漏らしてダンさんが駆けて行った軌跡を見つめていると。
「遅い!! こちとらもう既に泉に入る準備万端なんだよ!! さっさと来やがれ!!」
『ブフッ!?』
一糸纏わぬ彼が由緒正しき聖域に舞い戻って来てしまった。
先程までの温かな雰囲気は何処へやら。
「貴様……。醜態を晒すなと何度も言っただろう」
ハンナさんの青き髪が怒髪冠を衝く勢いで逆立ってしまった。
「ぬぉっ!? やっべぇ!! 一時退却っと――!!!!」
その姿を捉えたダンさんの顔がサッと青ざめ、清らかな水が湧く泉の方角へと駆け出して行った。
「重ね重ねすまん。アイツの代わりに謝らせてくれ」
『い、いいんですよ。彼の醜態はもう何度も見て来たので』
一度目は激怒して、二度は辟易して、三度目は呆れて……。
彼の行動は私から多分に笑いと怒りを買うのだが、何度見てもそれは決して飽きなかった。
それどころか彼の粗相が無いと落ち着かないと考えてしまうもう一人の私を形成してしまう程ですからね。
私の思い出の中に素敵な一場面を刻んでくれた彼に対して温かな感情を思い抱いていると、それを簡単に打ち砕いてしまう残酷な現実が唐突として告げられた。
「俺達は二日後に王都へ帰還する。喧しいのはそれまで我慢してくれ」
『――――。えっ?? 帰る、のですか??』
「此度の依頼の成果を待ち侘びている者達が居るからな。その報告を告げる為に帰還せねばならない」
『い、一度帰るだけですよね??』
「別れが寂しいのは理解出来る。俺もダンもこの場所が気に入っているからな」
『じゃ、じゃあ!!』
「この森はラタトスクの者達にとって聖域として捉えられている。そう何度も足を踏み入れる事は叶わない。それに……、俺達にも生活がある。再会は暫く先になりそうだな」
『そ、そうですよね。お互い住む場所が違い過ぎますからね……』
先程までの高揚していた気持ちは瞬く間に消失。
彼等が居なくなってしまうという辛い現実が心に深い影を落としてしまった。
「何も今生の別れとなる訳では無い。そこまで落ち込む必要は無いぞ」
『え、えぇ。それは理解していますけど……』
「この後大馬鹿者にもそう伝えておく」
ハンナさんがそう話すと水浴びの用意をして泉の方角へと進む。
そして背の高い草むらに到達すると何かを思いついたのか、ふと歩みを止めて私の方へ振り返った。
「――――。今日も精神の世界、だったか。そこで奴と会うのだろう??」
『はい、暫く会えないので魔力の源と魔力の流れの最終調整を行おうかと考えています』
「別れの挨拶はそこで済ますといい。そして俺は……。その……」
何だろう?? 物凄く言い辛そうにしていますけど……。
「親しいだ、男女間の別れの作法があるだろう?? 俺が近くに居るとその行為をし辛い可能性もある。今晩から俺は泉の近くで休む故、心置きなくその作法を行うがいい」
彼の言葉を受け取った刹那。
『ッ!?』
自分の心が猛烈な勢いで煮沸してしまう程の熱量を帯びた事を感じ取ってしまった。
『し、し、しませんよ!! 何を急に言っているんですか!!』
「俺はあくまでも提案をしたのみ。それから先は聖樹殿とダンの気持ち次第だからなっ」
顔を真っ赤に染めたハンナさんがそそくさと早足で去って行くと、彼が残して行った言葉が頭の中を何度も往復して行く。
彼は恐らく、その……。私達がそういった行為に及ぶと考えているのでしょう。
恋人同士ならいざ知らず、私達は健全な男女の仲なのですよ!? そういった行為に及ぶ以前の問題なのです!!
で、でも……。人の姿を得たのは貴重な経験ですし?? そういった行為に及ぶのも貴重な経験ですよね??
そ、そう!! これは私が成長する為に必要な経験なのです!!!!
男女間の行為を何んとか認めようとする一方。奥手のもう一人の自分がそういった行為に及ぼうとする自分を咎めて来る。
好奇心旺盛な私と真面目一辺倒な私が心の中で論争を始めると言い表せない感情が沸々と湧いて来てしまう。
その感情が思考に多大なる影響を与え始め、生まれて初めて私は大混乱という文字の意味を理解したのだった。
お疲れ様でした。
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