第七十六話 単純明快な野生の掟
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
猛烈な痛さと熱さを伴った耐え難い筋疲労が両足全体に広がり、ただ自重を支える単純な行為ですらも苦痛に感じてしまう。
「はぁ……、はぁ……」
重力に従って垂れて来た顔の汗を手の甲で拭い、体の疲労を逃そうとして口から疲労を籠めた重苦しい空気を吐き出し、森の清涼な空気を取り込んで体力回復を望もうとするが……。
どうやら奴さんはそんな単純な行為すらも頑として許さぬ構えだ。
「ギィシィッ!!」
己の間合いに俺の体を瞬く間に収めると一切の容赦無い鋏の挟撃が襲来。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!! 少し休ませて!!」
生の略奪者の側面へと向かって飛び込み鋏の攻撃を間一髪回避すると、もういい加減にしろと辟易している両足に喝を入れて立ち上がり弓を構え。
「右側……。これで全部頂きぃ!!!!」
「ギィィイイッ!?!?」
平坦な頭部の側面に生える三つ全ての目玉を潰してやった。
こ、これで勝負は決したか!?
野生動物は己の危機に瀕するとなりふり構わず逃亡を図るし……。
生の略奪者から距離を取り奴の動きを注意深く観察していたが……。どうやらまだまだ殺る気十分の様ですね。
「グッ……ググゥッ!!!!」
明らかに敵意と思しき構えを見せると再び正面で俺の体を捉えてしまった。
ったく、頑丈なのも大概にしなさいよ。
体力には自信がある方なのだがいい加減根負けしちまいそうだ。
残る目玉は頭頂部の一つと、左側頭部の二つ。計三つの目玉を潰さなければならないのだが残る矢は……。
「へへっ、たった一発ときたもんだ」
一射で三つ全ての目玉を貫く事は天と地がひっくり返っても有り得ねぇ。
『そう都合良く事が運ぶ事はありませんからねぇ。残念ですっ』
幸運の女神様にも愛想を尽かされ、体力的にもそろそろ限界だし何処か一つの目玉を潰して仕上げに取り掛からなきゃ勝利は訪れない。
完璧に近い勝利。
つまり生存という行為を手繰り寄せる為に何処の目玉を潰すべきか……。
「ギギィ……」
「まぁ、当然そこだよな」
平坦な頭頂部に生える殺意に塗れた巨大な漆黒の瞳を直視した。
恐らくあの目玉は上部と正面を捉える為に機能している筈。
木の枝から飛び降りて弱点を突き刺す乾坤一擲と成り得る俺の作戦を遂行する為に最も排除せねばならない厄介な障害だ。
奴さんは俺と同じく疲労が溜まり動きが戦闘開始時と比べて鈍くなり潰された目玉の影響もあってか動きが散漫になりつつある。
つまり大きなお目目ちゃんに矢を射る絶好の機会って訳。
残す問題は俺の体力と気力のみ。
絶望と死が蔓延る戦場から生き延びる為にも残り滓程度に残った体力を再燃させてやるよ!!!!
「さぁ掛かって来やがれ!! 俺はここに居るぞ!!!!」
心の片隅に追いやられつつある闘志を無理矢理心の中心に引きずり出し、乾いた砂を捻じ込まれた様な猛烈な渇きを覚える喉に喝を入れて叫ぶ。
「ギギギィィイイ!!!!」
俺の心意気に呼応した生の略奪者が鋭い牙を上下に素早く動かすとこれまで以上に速い動きを見せて来やがった!!
「こ、この野郎!! 上等じゃねぇか!! 最後まで抗ってやるよ!!」
自然の掟は非常に単純明快。
そう、生か死かだ。
それを体の芯にまで刻み込んでいる奴は恐らく此処が正念場だと悟ったのだろう。
己の生を掴み取る為、そして俺を殺す為。二つの鋏を上下乱舞させながら突貫を開始。
数舜の間にたった一発でも直撃を許せば死を免れない間合いに引きずり込まれてしまった。
「うぉぉおおおお!?!?」
饐えた匂いが漂う死の空間の中で右の鋏が袈裟切りの要領で振り下ろされれば肝が冷える空気の撫で斬り音が鼻先を掠め。
「ギギッ!!!!」
「あっぶ!?」
地面と平行に薙ぎ払われる左の鋏が頭上を通過して行くと『死』 という概念が否応なしに脳裏に過る。
普通の人間ならばコイツと会敵した時点で生を諦めるかも知れない、武に通ずる者でもこの攻撃を目の当たりにしたら身が竦み死を迎えるかも知れない。
だけどな……。
これ以上の恐怖と死を体感して来た俺には全く効かねぇ!! テメェに負ける訳にはいかねぇんだよ!!
俺の帰りを待っている人達が居る限り。
絶対に!! 俺の心は折れねぇからなぁぁああ!!!!
「ギッ!!」
勝ち気に逸った右の大振りを回避した刹那。
「貰ったぁぁああ――――ッ!!!!」
俺の想いを乗せた矢を巨大な瞳へ向かって放ってやった。
「ギギギィィイイイイイ――――ッ!!!!」
矢が漆黒の目玉に直撃すると生の略奪者が後ろ足で体全体を持ち上げて大きく仰け反る。
鉄の鏃が漆黒の目玉を美味そうに食むとこの戦いが始まって初めて奴が分かり易い痛みを体全体で表した。
さ、流石に利いたか!? 後は木に登って上空からの雷撃を……。
右手に構えていた大弓を咄嗟に地面の上に放り捨て、ある程度の高さを持つ木に向かって駆け出そうとしたのだが。
「ギシィッ!!!!」
仰け反っていた状態が元に戻るとデケェ体を器用に回転させて尾を薙ぎ払って来やがった!!
「う、嘘だろ!? グェッ!?!?」
尾の薙ぎ払いの直撃を胴体に受けると物理の法則に反して体が地面と平行になって飛翔。
「あうぐっ!!!!」
太い木の幹に背中が当たると気の遠くなる痛みが体全体に迸って行った。
「カ、カハッ!! ゴッフッ!!」
あ、あぶねぇ……。新しい防具を装備していなきゃ即死だったな……。
しかし、飢餓鼠の分厚い皮と鉄の合板の防御力を以てしても奴の攻撃力を全て吸収する事は叶わず。呼吸をする度に猛烈な痛みが脇腹を襲う。
クソッタレが、今の攻撃で脇腹の数本がイったな……。
たった一撃で俺の気合と闘志を掻き消してしまいそうになる強烈な一撃に思わず敵ながら天晴という感情が湧く一方、無性に腹が立って来た。
こちとら何発も打って当ててるってのにお前さんは一撃で盤面をひっくり返すのかよ。
世の中は本当に不公平過ぎるよな……。
「テメェ……。此処に来てその攻撃は卑怯だろ……」
奥の手は最後まで見せるな。
相棒から常々言われている事をよもやコイツが実践するとは夢にも思わなかったぜ。
「ぐぅ!! はぁっ……。はぁっ……」
弱みを見せるな、俺はまだまだ殺る気十分だと敵に見せてやれ、情けない足の震えを止めろ。
息も絶え絶えな瀕死の体に激烈な鞭を打ち震える足を御しながら地面に足を突き立ててやると、俺の闘志溢れる姿を側頭部の瞳で捉えた生の略奪者が止めを刺そうかと躊躇する。
自分の攻撃が当たった筈なのに何故奴は立ち上がれるのか。攻撃手段は残されているのだろうか。
「……」
恐らくアイツが躊躇しているのは途方も無い数の命のやり取りを行って来た経験からだろう。
野生動物は厳しい自然の掟の中で生きているからね。
野生の勘が働き、不用意に最後の一撃を与える事に迷いが生じているのだろうさ。
「「……ッ」」
互いに一歩も動かず、只時間だけが静かに経過していく。
森の中に響く鳥達の歌声、何処からともなく吹いて来る微風が草々を揺らし、頭上から降り注ぐ日の光が俺達を照らす。
それら普遍的な自然現象さえも感じぬ程に俺は奴だけの姿を捉え続けていた。
森の緑はいつの間にか消失して生の略奪者の漆黒だけがそこに浮かんでいた。
互いに睨み始めてどれだけ時間が経過したのだろう。体感的には数十分以上だが、現実では数秒単位かも知れない。
時間の流れが曖昧になってしまう戦場の張り詰めた空気の中。
「……ッ」
この長きに亘る生と死のやり取りに決着を付けるべく生の略奪者が最終最後の攻撃を企てようとして静かに両の鋏を天に掲げた。
来いよ……。俺は逃げも隠れもせずここに居るぞ。
「ギギギィィイイイッ!!!!」
天に向かって振り上げた鋏を元の位置に戻すと生の略奪者が惚れ惚れしてしまう速度で突貫を始めた。
頼むぜ……。動いてくれよ!? 俺の体!!
「ギィィイイッ!!!!!!!」
馬鹿げた巨躯が眼前に迫ると、俺の命を断絶しようとして有り得ない速度で両の鋏を突き刺して来やがった!!
「おらぁぁあああ――――!! 人間の体を嘗めんじゃねぇぞ!!!!」
今にも事切れてしまいそうな体に喝を入れると後先考えずに左方向へ向かって回避。
「ッ!?!?」
野郎は突如として目の前から消えた獲物に面を食らったのか将又……。太い幹に突き刺さった己の鋏が抜けない事に驚きを隠せないでいた。
ここだ!! 此処を逃せば俺に勝ち目はない!!!!
「ほっ!! とりゃ!! どっせぇぇええ――いっ!!」
二つの鋏が深く食い込んだ反対側の幹から木登りを始め、俺の自重を容易に支えてくれる太い枝の上に到着。
「ギッ!! ギギッ!!!!」
「すぅ――……。ふぅっ!!」
今も木に突き刺さった鋏を懸命に引き抜こうとしている生の略奪者の背に鋭い視線を向けた。
小型の黒蠍には背の甲殻の繋ぎ目に赤き点があった。
つまりアイツにも同じ弱点がある筈だ……。
「……」
白頭鷲の鋭い眼を越える眼力を以て注意深く観察していると。
「――――。あった」
平坦な頭頂部から尾に向かう三つ目と四つ目の背甲の繋ぎ目に本当に小さな赤い点が確認出来た。
「後は俺の勇気だけ。ふぅ――……。よしっ!! これで決めてやる!!!!」
左の腰から長剣を抜剣すると右手に勇気と闘志を籠めて柄を強く握り締める。
そして苦労の果てに掴んだ輝かしい勝機へ目掛けて無謀とも、勇敢とも思える決死の落下を開始した。
「これが……。俺の渾身の一撃だぁぁああああ――――ッ!!!!」
落下の衝撃で腕が折れてもいい!! 人間の骨は数えきれない程あるから一本位なら大丈夫!!
自分に体の良い言い訳を心の中で唱えつつ、体に襲い掛かる落下の衝撃に対して奥歯をぎゅっと噛み締め。
乾坤一擲となり得る雷撃を生の略奪者に与えてやった。
「グェッ!!!!」
剣の切っ先が繋ぎ目の赤い点を穿つと生鈍い手応えを感じるがそれと同時に首を傾げたくなる痛みが体を襲う。
分厚い装甲に叩き付けられた体は自然の摂理に従って一度跳ね、そして。
「ィィギギギ――――ッ!!!!」
「あぶちっ!?」
痛みに抗う生の略奪者の激しい動きによって勢い良く宙を舞い、天高い位置から地面に叩き付けられてしまった。
「ど、どうだ!? ヤったか!?」
激しい回転が収まると同時に立ち上がり生の略奪者の様子を確認すると。
「…………」
奴は微動だにせず体を弛緩させたまま地面に倒れていた。
「あ、あはは!! やった……。やったぁああ――――!!!!」
輝かしい生と勝利を掴み取った光景を捉えると右手を勢い良く天に掲げ、勝利の雄叫びを放ち己を奮い立たせてやった。
「は、はぁ――……。全く、死に物狂いで漸く勝てたぜ……」
背に突き刺さったままの剣に向かってヤレヤレと言った口調でそう話し、絶命した生の略奪者の下へと歩み寄る。
巨体を支えていた沢山の節足はその役割を終えており分厚い装甲に包まれた胴体は地面と仲良く抱擁を交わしていた。
天に向かってそそり立っていた尾も胴体と同じく地面に横たわり、両の鋏は太い木の幹に突き刺さったままだ。
「改めてこうしてじっくりと見つめるとお前さんは自然の理を越えた存在に見えて来るよ」
もしもコイツが王都に侵入して数百名の人を屠り蹂躙する様を想像すると寒気がする。
文明社会の中には決して存在してはならない異形の存在。
その恐ろしい相手に勝利を収めた事に対して誇りにも似た感情が芽生えた。
「ふぅっ、兎に角これにて状況終了。剣を回収して帰りましょうかね……」
しっとりと湿った黒蠍の甲殻に手を触れて巨大な疲労を籠めた吐息を吐き。背中に突き刺さったままの剣を引き抜こうとして背に昇ろうとした刹那。
「――――――。ギィッ!!!!」
「はぁっ!? 何で動け……。グゥッ!?!?!?」
窮余の策としてか。
静かに横たわっていた筈の尾が突如として天へ向かってそそり立ち、先端に備わる針が右肩に直撃してしまった。
「い、いってぇぇええええ!! テメェ!! さっさとくたばれや!!」
左手で素早く針を引き抜き、腰に装備していた短剣を引き抜くと俺の顔をジィっと捉えていた左側頭部の漆黒の眼に突き刺してやった。
「グゥッ……」
鉄が奴の目玉を切り裂くとそそり立っていた尾が地面に倒れて微かに痙攣を開始。
そして最後の生の輝きを見せていた目の力が消失した。
「はぁ――。野生の生物は最後まで何をするのか分かった……。ゴフッ!?!?」
目玉に深く突き刺さった短剣を引き抜き撤収作業に取り掛かろうとしたのだが……。全く体に力が入らずそのまま地面に倒れ込んでしまう。
「ヒュッ……。ヒュゥッ……」
え……?? な、何で呼吸が出来ないの……??
口から必死に空気を取り込もうとしても俺の意思に反して肺に全く空気が入って来ない。
突如として己の身に起きた非常事態に混乱の境地に至ってしまうが、俺と同じく地面に横たわる鋭い針を捉えた刹那にその理由は看破出来てしまった。
あ、あぁ。そっか。蠍の針に毒が含まれていたのか……。
しまったなぁ……。これじゃあ相棒に揶揄われちまうよ。
『油断するからそうなるのだっ』
そうそう、顰め面でそうやって怒るんだよね。
こんなべらぼうな相手に勝ったんだから褒めてくれてもいいじゃねぇか。
というか、いよいよこの世の別れだってのに最後に思い浮かぶのが美女の笑みじゃなくて相棒の顰め面ってのも何だかやるせないよなぁ……。
『ダンさん!? ちょっと!! 聞いていますか!? 起きて下さい!!』
聖樹ちゃんの声が聞こえた気がするけど……。応えようにも体が全く動かねぇし。それに滅茶苦茶眠たいから呼吸するのも面倒になって来た。
『お願い!! 立って!!!!』
申し訳無い。楽しい会話は俺じゃなくて相棒と交わしてやってくれ。
まぁ……。アイツは俺程に聞き上手じゃないかも知れないけど相手がいるだけマシだろうからさ。
緑豊かな景色が徐々に白み始めると硬い筈の地面が極上のベットの柔らかさへと変化。
指先一つ動かせぬ体はそのまま何も考えずに眠れと甘い囁き声を放ったので俺はその声に従い、猛烈に重たくなった瞼を閉じて体を包み込む心地良い感覚に身を委ねてしまったのだった。
お疲れ様でした。
少し先の話になりますが、リアルが忙しくなる為。十月の後半頃から十一月の中旬まで投稿速度が遅くなってしまいます。予めご了承下さいませ。
さて、ここで一つこの御話の零れ話でも。
連載を開始する前から第一部は二人の主人公で話を進めようと考えておりました。
連載開始に当たり過去編から投稿しようかなと思っていたのですが……。それだと過去から現代の長々とした一直線の話になってしまう為。私自身のモチベーションに関わると思い、現代編からの執筆となりました。
現代から過去へ、そして過去から現在へ。
このワンクッションを挟む事により作者のモチベーションが保てると考えて連載を開始させて頂きました。
第一部完結まで残りはそうですね……。三割といった所でしょうか。
過去編が完結しますと最終章が始まり、現代編の主人公達は一つの目的へと向かって突き進みますので読者様達が考えている以上に短くなると思います。
まぁ先の事を考えるよりも己の足元をしっかりと捉えて執筆すべき。
そう考えて毎日光る箱に向かって文字を叩き続けている次第であります。
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それでは皆様、お休みなさいませ。