第七十二話 漆黒の甲殻 その一
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿になります。
先導役であったウォッツ君と別れを告げて俺達を取り巻く陽性な環境が変化してから早数時間が経過。
森の様子は然程変わりない様に見えるが、肌に感じるそれは少々イケナイ方向へと傾き始めていた。
清らかな森の空気はまるで質量を持ったかの様に重々しいモノへの変わり、何処からともなく俺達に向けられた気持ちの悪い感覚が肌に纏わり付いて離れてくれない。
その感触を払拭しようとしても目に見えぬ感覚は理の向こう側に存在する人智を越えた超越種でも無い限りどうする事も出来ない。
とどのつまり、我慢してこのまま進めって事さ。
頭上に浮かんでいた太陽がむにゃむにゃと口元を波打たせ床へ就こうとして西の空へと沈み行き、真正面から届く茜の光を捉えつつ口を開いた。
「よぉ、相棒。そろそろ休む準備を始めようか」
トゥインの里の者そしてウォッツ君から黒蠍は夜行性であり木登りは不得手だと聞き、就寝中に寝首を掻かれたらたまったもんじゃないのでドデカイ木の幹の上で休む事を勧められたのだ。
その準備の最中に襲われたら本末転倒なので早め早めの行動が肝心なのです。
「そろそろ日が沈む頃だな。それでは……。ふむ、あの木はどうだ??」
彼が進行速度を落とすと右手側に見える巨大な木を指す。
「ん――……。高さ的にも大丈夫だし、あの太い枝なら俺達の体重を余裕で支えられるだろうな」
顎をクイっと上方に向けて随分と暗くなった上空に浮かぶ木の枝の太さを確認した。
「俺が先に木の枝に登り縄を垂らす。貴様は縄に荷物を括り付けろ」
「りょ――かいっと」
背負っていた背嚢を木の根元に置くとハンナの体から眩い光が放たれる。
「ふぅっ、久々にこの姿に変わったな」
そしてその光が収まると静かな森の中では少々不釣り合いに映る馬鹿デカイ白頭鷲が現れ、彼は鋭い嘴で丁寧に毛繕いを始めた。
「お前さんはズルイよなぁ。ちょぉっと飛ぶだけで木に登れるのだから」
「文句を言うな。では、先行するぞ」
ハンナが神々しい翼をはためかせると砂塵が舞い上がり馬鹿げた巨体がふわりと浮かび、瞬き一つの間に上空へと飛翔。
「余り派手に飛ぶなよ――!! 木の天辺には猛毒の茨が密集しているんだから――!!」
勢い余って上空へ向かわない様に釘を差す。
「喧しいぞ!! さっさとその縄に荷物を括り付けろ!!!!」
素早くも静かに木の枝の上に着陸を果たし、人の姿に変わったハンナが怒号を放つ。
「へ――い!! よいしょっと……。お――い!! 出来たぞ――!!」
丁度良い感じに使い込まれた縄と背嚢の紐をキッチリと結び終えて上空へ合図を送った。
「全く……。何故こうも面倒な休み方をせねばならないのだ」
「まぁそう言うなって!! しっかり休まないと行動に支障が出るだろ??」
文句を言いつつも荷物を落とさぬ様に慎重に引っ張り上げて行く彼から視線を西の方角へと外した。
ふぅ――……。危険区域に侵入してまだ初日だけど、今日は何んとか越えられそうだな。
俺達の今日の無事を祝ってくれる様に燦々と輝く太陽の明かりがイヤに眩しく見えるぜ。
「待っててくれよ?? 可愛い聖樹ちゃん。俺達がもう直ぐ到着しますからねっ。そして願わくば……。相棒と俺が無事に過ごせる様にしてくだせぇ」
あの光の方向へ必ず居るであろう聖樹に向かって細やかな願いを唱えてやると。
『――――。フフッ』
この森に入ってから何度も聞かされた肌が一斉に泡立つ女の笑い声が微かに鼓膜を揺らした!!
「い、イヤァァアア――!! ハンナぁ!! 出たぁ!! また出ちゃったよ――!!!!」
地上に残る荷物を放置して木の幹にしがみ付き、相棒が待つ木の枝へと向かって木登りを開始する。
「貴様!!!! まだ荷物が残っているだろうが!!」
「うるせぇ!! 幽霊が俺の近くに居るんだ!! 呪われたら洒落にならんだろう!!」
「だったら俺に近付くな!! この馬鹿者!!」
俺一人で地獄に堕ちて堪るものか!! 一連托生と言われている様にテメェも道連れにしてやらぁ!!
木登りが得意なお猿さんよりも大分遅い速度で木登りをしていると。
「「「……ッ!!!!」」」
大量の何かが大地を踏み鳴らす騒々しい音が北の方角から聞こえて来た。
こ、今度は何だよ……。まさか俺の命を奪い取ろうとした幽霊ちゃんが仲良く肩を組んで全力疾走で駆けつけてきたのか!?
足が無いのに頑張って走ろうとする幽霊ちゃん達の健気な姿は、一度は見てみたい光景だけども!! 呪われたくないので勘弁して下さい!!!!
木の幹にギュっとしがみ付いたまま硬い生唾をゴックンと飲み込んで北の方角へ視線を向けていると。
「「「ヂュッ!!!!」」」
「ふぁ!? 何だよ!! あの飢餓鼠の群は――ッ!?」
俺達が討伐した飢餓鼠よりも二回り程小さな飢餓鼠達が群れを成して北から南の方角へと砂塵を舞い上げながら物凄い勢いで駆けて行く様を捉えた。
奴等が向かう先に餌があるのかと思って南の方へ視線を向けるが……。
俺の視界は飢餓鼠達が求めているであろう物体を捉える事は叶わなかった。
「南の方へ餌を求めて大移動しているのかなぁ――!!」
「いや、あれは……。何かから逃げている様に見えるぞ」
ハンナが空高い位置から地上へ軽やかに降り立ち、地面に放置している荷物を守る様に飢餓鼠の群れと相対した。
「お、おい!! 危ないって!! お前さんも木の幹にしがみ付けよ!!」
「荷物の消失は痛手になる。これから先に進む為にも失う訳にはいかんのでな」
彼が左の腰から愛用の剣を引き抜き中段に構え、そして群れの個体がハンナの間合いに入った。
「ヂュッ!!!!」
「――――。ふんっ、俺の存在を無視したか」
しかし飢餓鼠から血飛沫が放たれる事無く、けたたましい音を奏でた群れの姿は数十秒後には森の影へと消失してしまった。
「アイツ等……。強烈な便意を催して便所を探す酔っ払いみたいに駆けて行ったな」
木の幹から地上へと降り立ち警戒心を解くと南の方角へ視線を向けて話す。
「その例えはどうかと思うぞ」
飢餓鼠の群れを見送ったものの彼は剣を収める事無く、鋭く構えたまま北の方角へ視線を向けていた。
「何かから逃げていたって言うけども。それは一体何??」
「知らん。だが……。もう間も無くその姿を現すだろうな」
ちょ、ちょっと待ってくれよ。
小型だとは言え、普通の犬よりもデケェ個体が尻尾捲って逃げる恐ろしい生物がやって来るの!?
警戒態勢を続ける彼に倣い右肩から掛けていた大弓を外してその時に備えていると……。彼の想像通り木々の影から二体の黒き物体が本当に静かに姿を現した。
「「……ッ」」
追いかけていた飢餓鼠の代わりに現れた俺達を捉えると警戒心を強めたのか、活発に動かしていた太い節足を一時停止させて注意深く此方の観察を開始する。
大木を容易く両断出来るであろうと判断出来る二つの鋏が獲物を求める様に開いては閉じてカチカチと軽快な音を鳴らし、女性の拳程の大きな漆黒の複眼が俺達の姿を確実に捉えている。
夜の闇を彷彿とさせる黒き甲殻は森の湿気を吸収して艶を帯び若干の青さが含まれているその色は人に嫌悪感を与え、巨大な胴体の後方には鋭い針が備わった太い立派な尾がそそり立つ。
大地をしっかりと捉えた八つの節足が蛇腹状になった八つの背甲から生え、巨大な胴体の真正面にはその体格に比例した大きさの口があり動物の肉を切り裂く為の黒牙が生えていた。
う、うぅむ……。あれがウォッツ君が言っていた黒蠍か。控え目に言っても超強そうな外見なんですけども……。
互いに一切身動きを取らず只々時間だけが悪戯に経過して行く。
このままずぅっと睨み合っている内に飽きて何処かに行かないかしらね……。
などと自分に都合の良い展開を想像しつつも、絶対にそんな風にはならないと諦めている現実的な自分の意見を採用。
黒蠍の蠢く黒牙と微妙に縦に揺れ動いている巨躯から一切視線を外さずに警戒心を高め続けた。
お疲れ様でした。
現在後半部分の編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。