第三十七話 ある戦士の悩み事
お疲れ様です。
本日の前半部分の投稿なります。
五つ首を討伐して一月が経過した。
俺の生まれ故郷である鷲の里には真の平和が訪れ人々は平穏な日々は有限であると改めて認識して、温かな一日を大切に過ごしていた。
朝日を浴びて目を細め、友人との会話で乾いた喉を新鮮な水で潤して朗らかな笑みを浮かべ、美しい夜空の下で明日も必ずやって来るであろう幸せな一日を想像して眠りに就く。
生きとし生ける生物が当然に享受すべき日常がここにある。
彼等のかけがいのない日常を守れたその事実は喜ばしい事だ。俺達はその為に日々刃を磨いて来たのだから。
奴を倒す為に大勢の命が散ってしまったが……。今は亡き勇敢な戦士達もきっと満足のいく笑みを浮かべて地上で暮らす我々を見下ろしている事だろう。
俺も彼等と共に漸く訪れてくれた平穏な日常を謳歌しているのだが、居候に少しだけ変化が現れた。
『いやぁ――!! 良い木材貰っちゃった!!』
何処から運んで来たのか分からない木材を器用に切り分け、俺の了承も無しに敷地内で大粒の汗を流して作業を続けているのだ。
『貴様は一体何をしているのだ??』
俺が訝し気な表情を浮かべてそう問うと。
『あ、これ?? ほら一段落したからそろそろ次の大陸に行く準備をしなきゃなぁって考えて。んで、海を渡る為に船を作っているのさ!!』
馬鹿みたいに瞳を輝かせて制作途中の物体を指差した。
『これが……。船??』
船の肝心要の竜骨は歪な曲線を描き、船首には訳の分からん装飾を施し、左右の船体も均一では無く。それは誰がどう見ても海に浮かべたら数秒後には沈んでしまうであろうと判断出来る屑船であった。
『こ、これは試作だから!! いきなり上手く行くとは限らないし!!』
『ふんっ。ボロ船と運命を共にしたくなければ精々励む事だな』
素人丸出しの船大工に揶揄した台詞を吐き捨てたのだが……。心の中には妙なざわめきが広がっていた。
アイツが以前話してくれた冒険の予定ではここから南のリーネン大陸へと渡り、そこで暫く冒険した後に北西のガイノス大陸へと渡り、最終的に奴の生まれた大陸であるアイリス大陸へと戻るそうな。
つまり、ここマルケトル大陸での冒険は奴にとって序章に過ぎない。そして船が完成してしまえば奴は予定通りに南へと発ってしまう……。
ここ数日の間、俺の胸の中に渦巻いている違和感の正体は恐らくその事であろう……。
「つっ!?」
その違和感に気を取られていた所為か、正面から襲い来た馬鹿正直な攻撃が俺の頬を掠めてしまった。
「どうしたの?? 注意散漫」
「あ、あぁ。悪い……」
驚きと呆れ。
その両方にも捉えられる表情を浮かべているシェファへそう話す。
「ハンナ、どうした」
俺達の訓練を監視していたセフォー殿が目を開いて俺を見つめる。
「油断していました」
「病み上がりで鈍っている俺でも躱せる攻撃だぞ?? 油断以前の問題……」
「戦士長。今の言葉でちょっと傷付いた」
「あはは!! 悪いシェファ!! 久々に体を動かせるようになって嬉しくて!!」
戦士長殿の軽快な笑い声が訓練場に響く。
全く……。俺は何をやっているのだ。
強くなる為に日々訓練に明け暮れ体を鍛えているというのに……。
これも全てあの阿保の所為だ!! そうに決まっている!!
「ふぅ――……」
右膝に付着した砂を払い、再び大地に足を着けると情けない感情を吐き捨てる様に大きな溜息を吐いた。
阿保の存在は一旦忘れて訓練に集中しよう。
「ハンナ、最近小耳に挟んだんだけど……。ダンが船を作っているって本当??」
シェファが額に浮かぶ汗を手拭いで拭いつつ問う。
「あぁ、本当だ。だが、あの腕前では船の完成にまで数年は要するだろうな」
手本となる師が存在せぬ以上、数年で足りるだろうか??
もしかするとたった一隻の船を仕上げるのに十年以上の歳月を要するやも知れんな。
「いや、ダンは中々に器用だからな。数か月の内にコツを掴んで俺達に軽快な笑みを浮かべて手を振って旅立って行きそうだ」
戦士長が何気なく発した単語。『数か月』 という言葉を受け取るとシェファの顔が曇る。
「たった数か月しか居られないの……」
「ダンと話していると不思議と楽しいし、里の者達もきっと寂しがるだろうさ。ハンナ、お前はどう思う??」
「私、ですか……」
戦士長殿の言葉を受けて俺なりに考えを纏め始める。
奴と過ごしたこの数か月間は……。正直充実していた。
鼓膜に耳鳴りが生じる程の静寂は奴の笑い声で掻き消され、部屋を包み込む暗闇は奴の持ち前の明るさの前では意味を成さなかった。
一人と二人では時間の流れが百八十度変わり、気が付けばこれだけの日数が経過していた事に驚きを隠せないのだ。
それはつまり……。
認めたくは無いが、俺にとって奴の存在は矮小なものからいつの間にか大きなものへと成長してしまったのだろう。
「――――。そ、そうですね。五月蠅くて退屈しなかったのが正直な感想ですね」
セフォー殿に精一杯の強がりを言ってやった。
「あはは、相変わらず強情な奴だな。どうせならさ……」
彼が腕を組み頭の中で暫しの間考えを纏めると再び口を開く。
「次に訪れる予定なのはここから南西に向かった先にあるリーネン大陸だろ?? 俺達の翼でも十日以上掛かる距離だ。奴の造船技術じゃ途中で船が沈む事は目に見ている。友を見殺しにするよりお前が送り届けてやったらどうだ??」
「そう……ですね。それなら、まぁ」
奴を背に乗せて十日も飛翔するのは骨が折れるだろうが、友が海の藻屑になるよりかはマシであろう。
「それと……。これは俺の助言なのだが、お前もダンと旅をするといい」
「――――。え??」
予想だにしていなかった言葉が戦士長殿の口から放たれると思わず呆気に取られてしまう。
「井の中の蛙大海を知らず、という言葉を知っているか?? ハンナの力はこの大陸では上位に存在する。しかし他の大陸ではどうだ?? ひょっとしたら下から数えた方が早い位置にあるかも知れん。心許せる友と旅を続け、強さを磨き、そして世界の広さを知る。それはここでは決して得られぬ貴重な経験だ。かく言う俺も戦士になる前は他の大陸に渡って色んな事を見て来たからな」
セフォー殿が嬉しそうに口角を上げて俺の肩を叩く。
二つ返事で奴と旅をしたいのは山々だが、俺には……。
「しかし……。里を守る戦士としての務めがありますので……」
そう、里の者達を守るという宿命がこの双肩に重く圧し掛かっている。
その責務を放棄して旅立つのは心苦しいのが本音だ。
「期間限定なら賢鳥会の方々も了承してくれるだろう。ほら、一年とか二年なら」
「で、ですが。仮に了承してくれたとしても誰がこの里を守るですか??」
「野生生物の襲来は俺とシェファ、そして戦士見習いの者達が守ってやれる。それに相当危険な生物が出現したのなら此度の件で絆が深まった軍鶏の里の者達に扶助を要請すればいい。ハンナ……。いいか?? 人生は選択の連続だ。その選択を決して見誤るなよ??」
「え、えぇ。分かりました……」
戦士長殿は軽々しく助言するが、世界を見て回るという選択は俺にとってはこれからの人生を左右する一大決心に近い選択だ。
里の戦士としての鍛錬を放棄して世界の広さを知るか、将又友を見送りここで己の強さを磨くか……。
後者を選択した場合、奴とは今生の別れになる恐れがあるが前者を選択した場合は新たなる強さそして強さの尺度を知って帰って来る事が出来る。
しかし、あの阿保と旅立つ選択をした場合は賢鳥会の面々の許可が必要となるのか……。
「――――。さっきから黙って聞いてたけど。そこに私が含まれていないのは何で??」
分かり易い怒りを表情に出してシェファが戦士長殿を睨む。
「あはは!! シェファ!! お前さんは居残りだ。里の戦士が二人も出て行くと言ったら賢鳥会の面々は目くじらを立てて却下するだろうし!!」
「黙ってついて行く」
「それだと誰が里を守るんだ?? いいか、シェファ。よ――く聞け。ダンの性格を知っているだろう?? 奴は女に目が無い。恐らく一人で冒険に出掛けたのなら手当たり次第食い散らかすだろう……。そこでハンナの出番だ!! 馬鹿真面目なハンナをお目付け役として帯同させればそう簡単に女の子に手を出せなくなるだろう??」
「ふむ……。良い考え」
「世界の広さを知ってハンナが帰って来る時、ダンも無理矢理引っ張って来れば晴れて里の一員としてここで余生を過ごす事が出来るのさ」
「成程……。ハンナ、ダンがこっちに帰りたく無いと言っても絶対連れて帰って来て。私が居残る絶対条件がそれだから」
鋭く瞳を尖らせて俺に釘を差す。
「それは容易いが……。後は俺の判断だけ、か」
「ここ最近その事について悩んでいたのだろ?? 船の完成まで時間はあるだろうし……。しっかり悩んで、迷って、決断を下せ」
「はっ、了解しました」
「さて!! 今日の訓練はここまで!!」
セフォー殿が軽快に柏手を打つと里の方角へと向かって歩み出す。
「今日は随分と早いですね??」
彼の背に続いて問う。
「今日はカミさんが早く帰って来いって五月蠅くて……。きっと新しい料理の味の感想を求めているのだろう」
そんな理由で訓練を早く終わらせてもいいのだろうか??
「あ、今そんな理由で早く帰っていいのかと思っただろ??」
「えぇ、その通りです」
「ふふっ、お前も妻を持てば分かるさ。それに五つ首が目を覚ますまで百年以上の月日がある。今からカリカリしていたらそれまで心がもたないさ」
メリハリを付けろという意味だろうか??
だが、一旦緩んだ糸を張り直すのは相当な労力が必要となるので伴侶の小言に一々付き合っていたら強くなれないでは無いか。
妻を持てば分かると仰っていたが俺には到底理解出来そうにないな……。
「ふふ――ふ、ふんっ」
「戦士長、耳障りな鼻歌を止めて」
「こらこら、年上を敬う掟を忘れたのかい??」
「そういう事を言っているんじゃない。手本を示せと言っているの」
「あはは!! 相変わらずシェファの言い方は棘があるなぁ。そんなんじゃダンに娶って貰えないぞ??」
「無理矢理娶らせるから安心して」
ふっ、あの馬鹿の運命は今決したな。
「お、おう。そっか……。ちゃんと手加減してやるんだぞ??」
「任せて。一晩で確実に後世に命を紡ぐから……」
「ほほぅ……。して、その段取りは??」
何やら意味深な笑みを浮かべる二人の後に続き、先程の考えを己の頭の中で纏めて行く。
世界の広さ……、か。
俺の知識や強さは世界の広さに比べれば地面で蠢く蟻に等しき矮小さであろう。
それを己が糧にして一段階も、二段階も強くなる。理に適った考えと行動なのだが世界に羽ばたこうとする事に臆病になる自分も居るのもまた事実。
数日間はこの相対する考えに悩まされそうだ……。
い、いや!! こういう事は早めに話を切り出した方が良い方向に向かう筈!!
だがそうなると、忸怩たる思いを胸に秘めて賢鳥会の面々に頭を下げなければならないのか……。
軽快に歩き続ける二人に対し、俺の歩みはまるで巨大な鉄球を括り付けられたかの様に重たいものであった。
お疲れ様でした。
現在、後半部分の編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。