第三十四話 狸寝入りに御用心
お疲れさまです。
本日の前半部分の投稿になります。
ダンが我々の想いを籠めた矢を放ち酒樽に直撃させると目も開けていられない閃光が五つ首の体から迸り、それから少し遅れて常軌を逸した熱波と衝撃波が我々を襲った。
着用している服の表面が刹那に焼け焦げて鼻の奥を突く臭いを生じさせ、その場に留まる事は先ず不可能であると容易く理解出来てしまう強力な衝撃波が俺の体を後方へと吹き飛ばす。
細かい砂と石が点在する大地の上を回り続けると激しい痛みが体を襲い裂けた肉の合間から出血。
人が持つ平衡感覚を容易く狂わせる回転数が徐々に収まり体が完全に停止すると。
「くっ……。や、奴はどうなった……」
まるで水の中に居る様な濁り歪んだ視界で諸悪の根源の姿を確認した。
濃厚な黒き爆炎が彼方から訪れた風によって徐々に晴れ渡る様を捉えると自分でも驚く程に右手に力を籠めてしまう。
た、頼む……。俺達にはもう抗える力が残されていないんだ。
耐え難い絶望では無く、希望に満ち溢れた光景を見せてくれ……。
地の彼方から柔らかく吹く風が煙を押し流すとそこには俺が……。いいや、俺達が渇望して止まない光景が映し出された。
「「クゥゥァアアア……」」
瓦礫の合間から微かに確認出来る黒き塊が苦悶の声を放つと徐々にその大きさを縮小させていく。
巨大な悪の塊から大量の黒き欠片がボロボロと剥がれ落ち、それが風に乗って温かな陽光に当たると酷い濃霧が風の力によって静かに霧散する様にその形を消失させる。
時間が経過すると共に奴の体は現世から人智の及ばない超越した理が存在する異界へと確実に向かっていた。
「やった……。やったぞ……」
地面に片膝を着けて両の瞳からホロリと落ちる涙を拭かずに奴が消え行く様を見守り、そして。
「「「グゥゥオオオォォォォ…………」」」
背筋が泡立ち、強き心に影を落としてしまう怨嗟の声が戦場に静かに響くと奴は完全にこの世から姿を消した。
ふ、ふぅぅ――……。これで漸く終わったな。
大量の血と汗を流し、多くの命を失いながらも我々は勝利したのだ。
感無量の柔らかい風が体内に吹くと痛い程握り締めていた拳をそっと解除した。
「「「ウォォオオオオ――――ッ!!!!」」」
俺と同じく奴の消失を見届けた者達の勝利の咆哮が戦場に轟く。
「あはは!! 勝った!! 勝ったぞぉぉおお――――っ!!」
「あぁ!! 俺達の勝利だ!!」
崖の上から傷付いた戦士達の嬉々とした声が響き。
「ふ、ふぅ――……。どうやら勝てたようですね!!」
「我々の勝利だ!! 者共!! 勝利の雄叫びを上げろぉぉおお――!!!!」
「「「オォォオオオオ――――ッッ!!!!」」」
火食鳥と軍鶏の地上部隊も勝利を確信して力強い戦士の雄叫びを放った。
被害の全容はまだ分からぬが方々で上がる勝利の声、そして喜々とした歓声からして壊滅的損害は免れただろう。
犠牲となった者には追悼の念を送り、そして勝利者達には勝利の美酒を与え、この喜びを皆等しく享受しよう。
ラーキー、バケッド。見ているか??
我々は一丸となってこの何物にも代えがたい勝利を勝ち取ったぞ……。
いつもより眩しく見える空へ向かって小さな吐息を漏らすと今は亡き彼等に勝利の報告を届けてやった。
「ダ、ダンッ!! 起きてぇ!! 起きてよぉ!!!!」
周囲が喜々として湧く中、シェファの悲壮な声が戦場に響いた。
彼女の声を捉えると心に湧いていた勝利の余韻が瞬く間に消失。
「シェファ!! ダンの様子は!?」
痛む体に鞭を放ち彼女の下へと駆け寄った。
「ハンナ!! どうしよう!? ダンが……。息をしていないの!!!!」
「何っ!?」
彼女の両腕に抱きかかえられた大馬鹿者の口元を確認すると……。
シェファの話す通り、彼の口から温かな吐息が漏れる事は無く。只々静かに眠る様にその場で横たわっていた。
「ふ、ふ、ふざけるな!!!! 貴様は……。貴様はぁぁああああ!!!!」
里の者でも、戦士でも無い只の旅人であるお前が命を投げ出す理由は無かっただろう!?
それは俺達の役目なのにっ!!!!
胸の中に湧く激情の赴くまま大馬鹿者の胸を激しく叩いてやった。
「誰か!! 誰か救護班を!!!!」
「お、おう!! 直ぐに呼んで来る!!!!」
瞳に大粒の涙を浮かべる彼女が直ぐ側でダンの容体を確認していた者へ指示を放つ。
「ね、ねぇ!! ダン!! 起きて!! 起きてよぉぉおお――――ッ!!」
シェファが俺と同じく力の限り彼の胸を激しく叩くと……。
「――――ッ」
本当によく見ないと確知出来ない程にダンの眉がピクリと動いた。
う、ん?? 気の所為か……??
「何で私達の前に出たの!? それは……。それは私達の役目なのに!!!!」
「シェファ!! お待たせ!!!!」
「クルリ!! ダンが息をしていないの!!!!」
傷付き倒れたダンの下へ慌てて駆け寄ったクルリが彼の口元へ耳を傾け、呼吸音が一切しない事を確認。
「人工呼吸をするからそこで寝かせて!!」
「わ、分かった!!」
シェファが彼女の指示通りに奴の体を静かに寝かせる。
「じゃあ今から始めるよ!! すぅ――……。ふぅ――……」
そして、クルリが乱れる心を鎮める為に大きな深呼吸を始めると。
「……っ」
大馬鹿野郎の口角が微妙に厭らしく上向く姿を捉えてしまった。
こ、こ、こ、この阿保が!! この期に及んで死んだフリだと!?!?
し、しかも!! 非常事態にかこつけて俺の想い人のく、唇を奪うつもりだな!?
俺の目が黒い内はそのような愚行は決して見逃さん!!
「ダン、私が絶対死なせないからねっ!!」
クルリが覚悟を決めて馬鹿の唇に己が唇を合わせようとした刹那。
「待った。シェファ、貴様がヤレ」
幼馴染の肩に手を掛け、少しだけ力を籠めて下げてやった。
「え?? どうして??」
「コイツは馬鹿みたいに体が頑丈だ。クルリの小さな息では息を吹き返さないかも知れない。シェファ、戦士として鍛えに鍛えたその体で大量!! の息を注ぎ込むのだ」
俺がそう話すと。
「……っ!?」
里の戦士の驚異的な肺活量を想像したのか阿保の顔がサっと青ざめた。
「そ、そっか!! じゃあシェファ!! 私がダンの顔を抑えるから勢い良く喉の奥に大量の息を吹き込んであげてね!!」
大馬鹿者が生者である事を悟られぬ様、本当に静かにさり気なく顔を背けていたが……。
「ッ!?!?」
クルリがダンの顔を両手でしっかり保持してしまう。
「分かった!! すぅぅうう――ッ!!!!」
シェファが大量の空気を胸の中に取り込み、そして……。
「フゥゥウウウウ――――ッ!!!!」
大量に取り込んだ空気の塊を巨大な麻袋を破裂させる勢いで戯け者の肺の中に注ぎ込んでしまった。
「ッ!!!!」
馬鹿みたいに膨れ上がる胸、細かく震える四肢。そして両の瞳から零れ落ちる巨大な雫。
死ぬ事の方がよっぽど楽だろうと思われる酷い姿を捉えると強張っていた双肩の力を抜き、呆れにも安寧にも受け取れる溜息を長々と吐いた。
ふっ、馬鹿者め。俺の幼馴染に手を出そうとしたのが間違いだったな。
そのままシェファに殺られてしまえ。
「――――。だ、駄目だ!! まだ息を吹き返していない!!」
「そ、そんな!! 私の息でも駄目だっていうの!?」
混乱とは本当に恐ろしいものだな……。
冷静によぉぉ――く見れば奴の表情に変化に気付けるというのに……。
ダンの強情な狸寝入りを受けて慌てふためく二人。それを囲む者達も薄々阿保の状態に気が付き始めたのか。
「く、くくっ……」
「い、いい加減起きねぇとシェファに殺されちまうぞ……」
「クルリちゃんの可愛い唇を奪おうとしているのは分かるけどさぁ……」
皆等しく口元を抑え、あの惨状を見つめていた。
「ムゥッ!!」
「ピー助君!?」
戦場の喜劇を捉えようとして徐々に集まって来た人の輪を掻き分けるようにピー助が登場。
「ムムゥっ!!!!」
馬鹿者を大事に抱えるシェファをほぼ強制的に退かせると大人二人分の厚さを誇る胸筋をこれでもかと膨らませ。
「ブブブブゥゥウウウウ――――ッ!!!!」
家屋の隙間から吹き込む恐ろしい風圧を彷彿とさせる風音を奏でて、大馬鹿者の胸の奥に大量の空気を送り送り込む。
その姿はさながら真夏に突如として訪れる酷い嵐が奴の体内を蹂躙している様だ。
「ン――――ッ!?!?!?」
ダンの体が勢い良くくの字に折れ曲がるもピー助は彼の口から巨大な嘴を外す事無く、その姿は傍から見れば奴の顔を捕食している姿にも見えるだろう。
微かに体を動かそうものなら中々に素晴らしい筋力が積載された両腕でガッチリと奴の体を拘束して人命救助という名の拷問を与え続けていた。
「ゴッホォォォオオ――!! おっぇぇ……」
これ以上の狸寝入りは死に至ると考えたのか、穴という穴から大量の水分を垂れ流すダンが苦しそうに嗚咽しながら漸く上半身を上げた。
「ゴッフ!! ゴホッ……。はぁ――、苦しかった」
目から零れ落ちる温かな雫を拭い、そして。
「ふぅ――。ハンナ、やったな」
真に友を想う温かな感情が籠った瞳で俺を見上げた。
「あぁ、俺達の勝利だ」
「へへっ、死ぬ程疲れたけどこうして……。おわぁっ!?」
シェファが彼の胸に飛び込み、力強く男の体を抱き締める。
「よ、良かった……。もう私の目の前で仲間が消えちゃうのは嫌だから……」
「馬鹿だな。俺の体は馬鹿みたいに頑丈に出来るんだぞ??」
「う、うん、そうだね……」
微かに震えるシェファの肩に優しく手を置くと。
「皆の者!! 俺達が勝利した!!!! 今は亡き者達へ向かい、勝利の雄叫びを上げろぉぉおおおお――――!!!!」
「「「ウオオオオオオ―――――ッ!!!!!!」」」
戦場に真の勝利が訪れた事を示す、巨大で強烈な雄叫びが轟いた。
「うるさ!! ちょっと、ベルナルドさんよぉ。こちとらあばら骨にヒビが入って呼吸し難いんだからもう少し静かに叫んでくれ。それと!! ピー助!! もうちょっと優しく俺に口付けをしなさいよ!!」
「ム、ムゥっ……」
大人の戦士と何ら遜色ない筋力を積載した体が大きく萎む。
「だけどまぁ……。有難うよ。助けようとしてくれて」
ダンが静かに立ち上がると黄色い毛に優しく手を添え、彼の労を労わる声を放つ。
「よぉぉおおし!! 今から負傷者の治療!! 並びに死者を弔う作業に入る!! 各隊は損害の報告を。そして後方部隊は引き続き治療に当たれ!!!!」
「「「はっ!!!!」」」
ベルナルド殿が各隊に指示を送ると各々が己に課された任を全うしようとして戦場を駆け出して行った。
「ダン、少し休んだら俺はこの勝利を里へ届けて来る」
里では心急く思いで知らせを待っているだろうからな。
「あぁ、了解。俺達は引き続きここで作業を続けているよ。何はともあれ……。すぅぅ――……。ふぅぅ――……。終わったな」
ダンが静かに空を見上げて呟く。
その横顔は悲し気にも映り、又誇らしくも映った。
きっとあの視線の先には逝ってしまった者共が映っているのだろう。
「撤収作業並びに治療作業が終わるまでは気を抜くなよ??」
「ははっ、こういう時くらい肩の力を抜けよ」
「そこがハンナの悪い癖」
ダンとシェファが呆れた瞳で俺を見つめる。
「喧しい!! 右翼側は俺が引き続き受け持つ!! ダンは左翼、シェファは地上部隊に指示を放て!!」
魔物の姿に変わると両の翼を大きくはためかせて空へと舞い、作業を開始した右翼側へと飛び発って行く。
「は――い、はいはい。口喧しい白頭鷲ちゃんの指示に従いましょうかね」
「クソ真面目過ぎると逆に疲れる」
「それ、納得」
紆余曲折あったが我々は……。勝利したのだな……。
戦場に広がる激戦の跡、光の戦士達と漆黒の悪魔が流した血が染み込む大地、そして方々に広がる明るい笑み。
その姿を捉えると心に陽性な感情が湧くがまだ気を抜くのは時期尚早だ。
負傷者の治療、死者の計上そして賢鳥会への報告。
体は休息を欲しているが俺にはまだまだ片付けねばならない責務が山の様に積み上げられているのだから。
お疲れ様でした。
今から後半部分の編集作業、並びに加筆修正に取り掛かるのですが……。体力的に少々厳しいので超深夜の投稿か、翌日起床してからの投稿になりそうです。
次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。