第三百二十四話 ド三流芸人の登場
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
伊草の香りと果実酒の香りが混ざり合った独特の匂いが充満する室内で軽快に響く女性達の笑い声。
それは宴に相応しい音色であると万人が認めるのだが、明日に備えて山の木々で羽を休める鳥達には本当に迷惑な声量であろうさ。
此処からある程度距離が離れているのなら音量は幾分か軽減されるがその渦中に身を置けば話は違う。
膨大な声量がお腹の奥にズンっと響き、鼓膜が辟易してしまう振動数が頭を悩ませている。
「あはは!! マイちゃんお代わり飲んで――!! 私も飲むから!!」
「おうよ!! この果実酒だっけ?? すっげぇ美味いもん!!」
お惚け狼さんと覇王の娘さんが競い合う様にお酒をグイっと喉の奥へと流し込み。
「ふぅ――……。しかし、酒は余り飲まないがこれなら幾らでも飲めそうだな」
「だなぁ。っと、胸元にちょいと零しちゃった」
真っ赤な御顔の強面狼さんと有り得ない標高の山を持つミノタウロスさんが笑みを交わせば。
「あら、カエデ。まだ飲むのですか??」
「うん、美味しい」
「駄目ですよ――。沢山飲んじゃうと翌日に響いてしまいますからねっ」
真面目組の面々が大変和やかな雰囲気を醸し出して果実酒を酌み交わしていた。
長きに亘る辛い訓練を終えた所為か、それとも果実酒の力のおかげか。皆一様に素敵な笑顔を浮かべておりその雰囲気に温められた心と体が素直な笑みを浮かばせてしまう。
皆頑張っていたし。今日くらいは羽目を外しても構わないよね。
俺もこの陽性な雰囲気に取り残されない様、沢山の御飯を頂いて元気を貰いましょう!!
心急く思いで輪の中央に到着すると御馳走の数々を見下ろして感嘆の吐息を漏らしてしまった。
「ほぉ……」
近くで見るとこれまた美味そうですな!!
どれもこれも疲弊した体に魅惑的に映るが、品定めして右往左往する視線が一つの品を捉えるとピタリと停止した。
ふむ、俺の体はどうやら先ずコイツを食えと叫んでいる様ですね。
食欲を湧かせる様に敢えて衣をゴツゴツした感じに揚げてある唐揚げを皿の脇に添えられている箸で摘み、静かに取り皿の上に乗せてあげる。
三つじゃ足りないか。
大き目の唐揚げを五つ乗せるとお次は丼一杯に御米さんを盛り。
そして、そしてぇ……。
「こ、これだ!!」
御馳走の中でも存在感を示す巨大なお肉の塊に視線を奪われてしまった。
一流の画家が描く絵にも勝るとも劣らない美しい焦げ目、皿の上に零れ落ちる赤と茶が混ざり合った肉汁が更に視覚効果を高めて口内に大量の唾液を分泌させてしまう。
この大きさの肉の塊を店で頼めばかなりの額を請求される事でしょう。
喜々とした感情を胸に抱き皿の脇に添えられている包丁を手に取ると早速切り分けてみた。
「おぉ……」
期待感に溢れた所作で肉に包丁を差し込むと、美しい焦げ目の中から程よく焼けた赤の断面が現れた。
すっげぇ……。まだ肉汁が溢れて来るよ……。
大変お腹が空く色合いを捉えた両手が辛抱堪らんといった感じで少々お行儀の悪い速さを見せてしまう。
これだけの上質な肉を目の前にして億劫になる奴が果たしているのだろうか??
「レイド、それ食うのかよ」
あ、この場に一人居ましたね。
「ユウは牛肉を食べたら駄目だったな」
お行儀の悪い手を一旦止めて可愛らしく頬がポゥっと朱に染まっている彼女の顔を捉えた。
「そ。どういう訳かあたしも分からないけどな――」
確か種族的に禁忌とされているんだっけ。
ミノタウロスと牛はよく似ているがそれだけで禁忌とされるのは厳し過ぎるとは思いませんかね??
美味い物を素直に食べられないのはちょっと残念な感じだよな。
「おら、ついでに切り分けろい」
後頭部に軽い衝撃が走り心地良い乾いた音が耳に届くと、あの馬鹿げた量を既に食べ終えた愚か者が空っぽの取り皿をこちらに差し出す。
「もう食ったのか」
食事の痕跡が残る皿に今しがた切り分けた肉を乗せていく。
後頭部を叩かれたのに一切文句を言わず命令に従うのは真面目な俺らしいな。
「余裕よ、余裕――。ね?? ユウっ!!」
「胸を叩くな。胸を」
「ユウ。もっと強く言わないと何度もやられるぞ」
まぁ、言っても聞きやしないと思うけどさ。
「いいじゃん別に!! ユウのこれは皆の物なんだからさ!!」
「だ――!! 捏ね繰り回すな!!」
ほらね??
大馬鹿さんがユウの双丘を鷲掴みにすると有り得ない揺れ幅で巨岩が揺れ動く。
「ほれ、お前さんの分」
「おほっ!! ありがとう!!!!」
「あたしは御菓子のお代わり――っと!! マイ、じゃんじゃん食おう!!」
「あはは!! そうね!!」
うん?? 何か……。やたら機嫌が宜しいですわね??
己の好物を取り皿に乗せた二人がちょっと怪しげな足取りで元居た位置へと帰って行く。
さて!! 俺の仕事はお終い!!
厳しい訓練を潜り抜けたこの体に御褒美をあげましょうかね!!
あの大食漢程では無いが成人男性が狼狽える量の御馳走を両手に持ち、輪の一端に加わった。
「頂きます!!」
御馳走を乗せた皿に頭を下げ、小金色に輝く唐揚げさんを口に迎えた。
「ど――お??」
左隣に座るエルザードが御猪口でチビチビと酒を飲みながら問う。
「んまい!!」
サクっとした衣を前歯で裁断すれば脂の波がじゅわぁっと舌の上に零れて来る。
それに反応した頭が奥歯でもっと丁寧に咀嚼しろ!! と御口に命令を放ち。俺はその命令に従い、武骨だがされど完成された形の鶏肉さんを奥歯へと送った。
むぎゅっ、と歯を跳ね返すお肉の噛み応えも最高だな。
「はっふ。はっふ……」
もうこうなったらお米さんの出番でしょう!!
男の子が大好きな食事の作法。米と肉、肉と米の無限円舞曲を開始した。
塩気の効いた唐揚げの肉汁で舌を溺れさせ、男らしい所作で御口の中に白米をガガっとぶち込む。
肉汁を吸い取った御米と弾力のある肉を咀嚼すれば頭の中で綺麗な御花畑が広がり、口の中はこの世の幸せを全て手に入れたような多好感に包まれる。
この二人は世界最強の組み合わせだ。悪魔的に美味過ぎると断言しても構わない。
一生続けていられる咀嚼運動に涙さえ零れてしまいそうであった。
「泣きそうに美味いって事ね」
「ふぁ??」
おっと、口の中に物を入れては話すのは行儀が悪いですよね。
「んんっ!! 何か言った??」
「味はどう?? って聞いたのよ。これ、貰わよ」
若干呂律が怪しい淫魔の女王様が俺の皿から唐揚げを摘まみ取り。
「んふっ。美味しいじゃん」
お酒の力で表情が緩んでいた顔が唐揚げ様のお力添えによって更に溶け落ちてしまった。
「だろ!? いやぁ……。時間があれば下味の付け方、揚げ方を習いたいくらいさ」
「私の為に作ってくれるの??」
御猪口をくいっと天井に向けて横目で伺う。
「知っておいて損は無いって意味だよ」
男の何かを刺激してしまう横着な横目にそう言ってやった。
さて、このままジャンジャン食べてしまおうと食事の速さを加速させていると。
「よぉし!! お主達!! 聞けい!!」
もう既に顔が真っ赤な師匠が輪の中央に立ち、誰とも無しに声を荒げた。
「ふぁに――??」
狼の姿のルーが御猪口の中に満たした果実酒を長い舌でペロペロと舐めながら、師匠の方へ金色の瞳を向ける。
食事作法云々より狼の姿だと飲み難くないのかしら。
「長きに亘る苦労を労う。それは素晴らしい事じゃ!! じゃから、ひっく……」
あ、完全に酔っ払っていますね。
可愛らしいお目目はお酒の力によって赤く染まり、口元はだらしなく曲がって呂律が回っていない。
「新しい門出を祝うに相応しい芸を見せろ!! それがこの食に、そして会に対する礼儀じゃ!!」
完全完璧な酔っ払いさんから無理難題を押し付けられてしまった。
そ、そんな。いきなり無茶過ぎませんかね。
「えっと、師匠。つまり隠し芸的な何かを披露すればいいと??」
「正解じゃああ!!」
十二分に声が大きいのでもう少々落としても構いませんよ??
「あっはは――!! いいねぇ!! じゃあ、あたしから披露しちゃおうかなぁ――!!」
そしてユウさん?? 君も随分と酔っ払っていますね。
威勢よく立ち上がったがその足元は多大に不安が残る姿だ。
「よぉっ!! ユウ!! 一番乗りが似合うぅうう!!」
「マイ、ありがとう!! じゃあ……。メア!! 乾いた胡桃、持ってる――??」
ユウが頼りない足取りで俺達の輪に加わり食事を楽しんでいる彼女の下へと歩み出す。
「あはは!! どういう訳か……。持ってるぞぉ!!」
浴衣の裾から都合良く持っていた胡桃をユウへと渡す。
「そうそう!! これこれっ。じゃあ……。こほんっ!! 皆さん!! 私、ユウ=シモンが隠し芸の一番手を務めますっ!!」
「ユウちゃんいいぞ――!!」
「よっ!! おっぱい番長!!」
お惚け狼さんが乗っかれば当然マイも乗る。
そして、君達も酔っ払っていますよね?? マイに至っては首元まで真っ赤だもん。
こういう場での一番手はかなりの重圧を受ける筈。
敵の分厚い陣形を突破する役目の切り込み隊長がその責を全う出来なければ、後に続く兵士達は惨たらしい死を迎えますからね。
頼むぞ、ユウ。俺達の命運は君が握っているのだ。
彼女が持つ一発芸に対する期待感とこれからの不安感が入り混じった複雑な感情を胸に抱き、彼女の所作を眺めていると。
「えぇぇっと……。よいしょっと」
「ぶっ!!!!」
あの酔っ払いが何を考えたのか知らぬが……。
突如として着用していた上半身の訓練着を威勢よく捲るものだから思わず吹き出してしまった。
頼むから早くそれを仕舞って下さい……。
「今からこれを胸の中で――――。割ります!!」
畳に顔を擦り付けているので全貌は明らかにならないが……。
あの硬い胡桃を胸の中で割る?? そんなの無理に決まってるだろ。
常軌を逸した握力、胡桃よりも硬い鉄ならまだしもその……。柔らかい胸のお肉ではどう考えても硬度不足だし。
「よいしょっと……。すぅぅ。ふんがっ!!」
ユウの力を籠めた声が響くと同時に柔らかい肉の中からくぐもった乾いた音が此方に届く。
そして。
「――――。な??」
「「「おおおおぉおおお!!!!」」」
どうやら割れたらしいですね。
マイ達の陽性な声がその証拠だ。
「エルザード」
「ん??」
「もう顔上げてもいいかな??」
「いいんじゃない」
もう普段の着こなしに戻してくれたのかしら??
そう考えて顔を上げるが。
「――――。えへへ。レイド、はい。あ――んっ」
相も変わらず上半身の訓練着を捨て去ったユウが俺の目の前でちょことしゃがみ込み、割れたてホヤホヤの胡桃の身を此方に差し出していた。
勿論、最低限の装備は着用している事を補足しておこう。
健康的に焼けた肌にその緑の下着は良く似合っていると思います。
「服を着て下さい!!」
捕食者に襲われそうになった亀が甲羅の中に退避する様に再び土下座の姿勢へと移行する。
「え――。暑いからイヤ」
「だったら外へ行きなさい!! 山の清涼な空気で酔いを醒ませ!!」
お願い!! もう痛い思いはしたくないの!!
「じゃあ、この胡桃を食べてくれたら服を着てやるよ」
どうして君は上から目線なのだい??
普通――は女の子が恥じらうべきで、男の子が恥じらうべきではないのですよ??
「本当だな??」
「女に二言は無い!!」
それ、男の間違いじゃない?? うら若き女性が放つ台詞とは思えぬ。
だがこのままではあの恐ろしい拷問が再びやって来てしまうと考え、胡桃が置かれているらしき場所に右手を上げる。
「えへっ。はい、ど――ぞ」
右指と親指に胡桃の実の感触が広がるとちょこんと摘み、速攻で口の中へと迎えてやった。
「どぉ――??」
カリっとした食感が最高だね。俺が大好きな食感に最も近い。
「美味しいです」
これが最大の賛辞だ。
「もっと捻ろ!! つまらん!!!!」
「いっだい!!」
何で頭を叩くの!?
「わ、分かったから!! ん――……。森と大地が育んだ優しい味がふわっと広がり。噛めばサクサク感が舌と歯を喜ばせ」
「うんうんっ!!」
「何故だか分からない謎の塩気が美味しい、です??」
「あはっ!! ありがとね!!!!」
はぁ――……。どうやらユウにお許しを頂けた様だ。
大変御満悦な声を頂き、ほっと胸を撫で下ろす。
「おらっ。さっさと服を着ろ!! 歩く卑猥物!!」
「んぅ――?? 羨ましいのかなぁ――?? マイちゅわん」
「ふっざけんな!! 少しくらい寄越せ!!」
何を寄越せとは問いません。
恐る恐る顔を上げて視界の淵にユウを捉えるが。
「おっわぁ……。跳ね返ったぁ……」
「叩いたらまたデカくなるだろ」
たわわに跳ねている胸は多大に余計だが訓練着を普通に着ている事にほっと胸を撫で下ろした。
「初手としては悪くなかった!! お次は誰じゃ!?」
「「「……」」」
今の衝撃を超えるのはちょっと難しいと考えた各々が沈黙を貫く。
切り込み隊長が敵陣を突破する処か、無双し過ぎて静まり返ってしまった戦場といった感じか……。
「私が出ます」
えっ!? カエデさん!?
こういう事は苦手な筈なのに。
「お、おっ……。おぉ??」
いまだに揺れ動くユウの巨岩と同調するように首を上下に動かしているマイから視線を移すと、カエデが静かに立ち輪の中央へと向かって行く所であった。
「ほほぅ?? お主が次鋒か」
「海竜は意外と何でも出来ますからね。コホンッ。では、カエレ」
あ、酔っているのね。
素面じゃ流石にやらないか。
「カエデ=リノアルトが声帯模写をします」
「頑張りなさいよ――!! 私の可愛い生徒――!!」
エルザードの声を受け、赤らんだ顔ですぅっと息を吸い込む。
『えぇ!! マイちゃん!! それ私のだよ!?』
「わぁっ!! 私の声、そっくり!!」
こ、こいつはたまげた。
あの惚けた感じの声、ルーの声そのものじゃないか。
『うふふ。レイド様、あ――ん』
「やりますわね、カエデ」
『マイちゃん?? もう一度……。言って御覧なさい??』
「げぇ!! きっしょ!!!! クソ婆の声じゃん!!」
「馬鹿娘。もう一度、言ってみろ」
「は、放せ!! 殺す気かっ!?!?」
次から次へと出て来る本人そっくりの声に思わず舌を巻く。
これでカエデの特技を聞くのは二回目だけど……。意外と器用だよねぇ。
「なはは!! よいよい!! 面白いぞ!!」
「有難う御座いました」
静かに頭を垂れると羞恥なのか、酔いなのか。
どちらとも捉えられる真っ赤な顔を浮かべて元居た位置へと戻って行った。
「では次は誰……」
「わたふぃがやるぅ!!」
フィロさんに首根っこを掴まれたままでマイが右手を挙手する。
「あ、じゃあ私もやるよ――!! リューもやるよ!!」
「何故だ??」
不機嫌そうに見えるリューヴだが……。
酒の所為か随分と口調が緩いな。
「だって、リュー。一人じゃ何も出来ないでしょ??」
「そ、そんな事……」
「はいはい。いいから行くよっ!!」
こうして、小さな龍一匹と。何だか足元が覚束ない狼二頭が揃いましたとさ。
後は大道芸人が揃えば文句無しに何処の街でも芸で稼げそうだ。
『ほら、この前私が鼻でマイちゃんをクルクル回していたでしょ?? それをリューと一緒にやればいいんだよ』
『おう、じゃあ私は素直に回ってやるわ』
『了承した』
一匹と二頭が内緒話を始め、小さな輪が解かれると。
いつもは俺が一人で寝ようと努めているが何故か次々と問題が発生してしまう奥の小部屋と移動を開始した。
「さて!! 皆さん、お待たせしました!! 私達の芸を見て下さいっ!!」
ルーが威勢良く言葉を発すると双狼が向かい合う。
「おっしゃあ!! 行くわよ!? ルー!!」
ずんぐりむっくり太った赤い雀が空中で小さく丸まり落下。
「あ――い!!」
それをルーが大きな鼻頭で器用に受け取る。
「ほっ!! はっ!! よっ!!」
一度、二度。
ぽ――ん、ぽんっと鼻頭で赤い手毬を宙へと浮かして美しい円を描き。
「リュー!! ほれっ!!」
反対側のリューヴへと柔和な放物線を描いて赤い手毬を渡す。
「むっ。こんな感じか」
それをたどたどしく受け取るもルーと変わらぬ所作で赤い手毬を宙へ放ち続けた。
「「「おぉ――!!」」
上下、左右へと赤い手毬が移動し続ける中。大部屋から歓声が沸く。
周囲が沸く中で俺は気が気じゃ無かった。どうしてかって??
以前、あの遊びの延長線上でろくでもない目に遭ったからね……。今でも目を瞑れば昨日の事の様に思い出す。
アイツの……。アレを……。
「リュー!! 最後に決めるよっ!!」
「了承した!!」
二頭の狼の瞳が一瞬、険しく光り。
「マイちゃん!! 行くよ!?」
「お、おぉ。早くしろ。そ、そろそろ限界だ……」
マイが込み上げて来る何かを我慢している声を出す。
「てぇいっ!! 双!!」
ルーが赤い手毬を天井すれすれまで放ると同時に飛び上がり。
「雷!!」
リューヴも鏡映しの如く美しく宙へと舞い。
そして。
「「戦士――――ッ!!!!」」
「アベバッ!!」
赤き龍の臀部に強烈な狼の二対の足を叩き込んだ。
鋭い直線で空気を切り裂き突き進む赤き手毬。その終着点は……。当然と言うか、自然の摂理というべきか。
あの衝撃を吸収出来るのは彼女の胸位であろうさ。
「んふっ。いらっしゃ――いっ」
ユウが再び上半身の拘束具を捲り、赤き手毬の進路上で両手を大きく広げて手厚い歓迎の所作を取ってしまった。
「いやあああぁあ!! そこだけは絶対駄目ぇぇええ――――!!!! ふぁむぐっ!?」
「どうよ?? 上手く受け止めただろ??」
「ン――!! ンン――ッ!!!!」
地獄の一丁目へ上半身が沈み、藻掻き苦しみながら尻尾を振り脱出を図るが。
「汗ふせぇ!!!!」
要らぬ一言によって彼女の運命が決してしまった。
「はい、さようならっと」
ユウが人差し指をピンっと立てると龍の尻をキュっと押し込み、敢えてゆるりとした速度で地獄の底へと沈めていく。
「嫌だぁぁぁああ!! んぐむっ!?」
ビクンっと尻尾が一つ跳ねて断末魔の叫びを放つとそれを最後に赤き龍が消息を絶ってしまった。
安らかに眠っておくれ食欲の権化よ。
俺は人知れず彼女の冥福を祈った。
「なははっ!! 三人共見事じゃったぞ!! さて、次はぁ……」
おっと、残念な事に師匠と目が合ってしまった。
こういう芸って最後にいけばいく程、難易度が上がるよね。
大トリを務めるにはそれ相応の卓越した芸が必要。つまり、今前に出れば失敗しても被害は最小限に抑えられる訳だ!!
「自分が出ます!!」
勢い良く立ち上がり、輪の中央へと勇み出た。
「レイド様ぁ――!! 頑張って下さいまし――!!」
「うふふ。楽しみですわねぇ」
蜘蛛の母娘に励まされるも……。果たして何をすればいいのやら。
元々こういった芸云々に精通している訳ではない。
「レイド!! すべったらお仕置きだからねぇ――!!」
「主の事だ。必ずや満足のいく芸を披露するであろう」
そこの狼さん達??
目標を高く設定しないで下さい。
「えっと……。その……」
考えも無しに飛び出た事を今更後悔するな!! 臆するな!! 前を向け!!
頭の回転を上げ、今自分に出来る最大限の芸の影を思い描く。
――――。
そうだ!! あれなら何んとかなるかも!!
輪から飛び出して大部屋の片隅に積み上げられている己の荷物の中から砥石と短剣を取り出す。
そして、ヤカンの水で砥石をたっぷりと濡らし。輪の中央へと戻った。
「…………」
短剣の刃を研ぎ石に当てて一定の角度に保ち、一つ二つ研ぎ石の面に滑らす。
この美しい音色……。堪らないな。
今、皆に必要なのは心を研ぎ澄まして精神を落ち着かせる事だ。
お酒が回り、己の状況が理解出来ないまま好き勝手に暴れ回られたら収集がつかん。
マイ達だけならまだしも、師匠やエルザードもそれに加わればこの平屋なんて鼻息一つで消失してしまうのだから。
あぁ、心が落ち着く。
武器を研ぐ。それは己の精神を研ぐ事にも直結しないだろか??
片目をきゅっと瞑り、刃こぼれを確認。
己の髪の毛を一本抜き、刃へと掛けて静かに引く。
「うんっ。上手に研げました……」
我ながら満足のいく結果だ。
全く力を入れなくても髪の毛が綺麗に寸断されたのが良い証拠さ。
「ひ……」
ひ??
いつの間にやら地獄の一丁目から命辛々脱出したマイの声が届くと。
「引っ込めぇえええ!! ド三流芸人がぁぁああああ――――ッ!!」
「あづっ!?」
白い何かが顔面を捉えてそれが畳の上へと落ちた。
「あ、あのなぁ!! 皿を投げるな!!」
美しい白が目立つ皿を手に取り大馬鹿野郎へと叫んでやった。
「つまんねぇんだよぉ!! 誰が短剣研げって言った!!」
「これも立派な芸だろう!! 難しいんだぞ!? 切れる様に研ぐのって!!」
これで飯を食っている人も居るんだ!! 芸では無いと言い切れないだろうが!!
俺の声は世の研ぎ師の代弁者だ!!
一芸は身を助けると言われている様に、秀でた能力があればそれ相応に稼げるし人の助けにもなるってのに!!
「レイド――!! あたしの芸には敵わなかったな――」
「私の芸の半分以下の出来栄えでしたねっ」
「宴会芸を披露しろって言ってんだよ!!」
「だからこれも立派な芸だって言ってるじゃないか!!!!」
「「「あはははは!!!!」」」
周囲が陽性な笑いに包まれる中、恐ろしい牙を剥き出しにして此方を睨む龍と何だか釈然としない心のまま対峙していた。
お疲れ様でした。
第三章も残す所後数話です。
今は新しい章の構成とプロットを執筆しているのですが……。またまた難航しそうな気配がプンプンします。
急がば回れと言われている様に、焦って書いてもいけませんので地道にコツコツと書いていますよ。
果たして第一部の完結はいつになるのやら……。
それでは皆様、お休みなさいませ。