第三百十六話 雷帝の胎動 その一
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
一頭の子狼が息を荒げて雪原の中を地平線の彼方へと向かって真っ直ぐに駆けて行く。
正面から襲い来る風を切り裂き、深い雪に足を取られる事無く力強く大地を蹴ると澄んだ空気の中に粉雪がホロホロと舞う。
勇ましく進むその姿は大人の狼と比べて何ら遜色なく、真っ白な雪の上で元気良く跳ね続ける灰色は気高き雷狼の血を受け継ぐ者であると証明していた。
そして、私はいつもその後ろ姿を見つめていた。
純白の雪原に小さな足跡が点々と続いていく風景は懐かしくも映るが、何故か私の心にはチクンとした小さな痛みを与えるものであった。
リューは幼い頃からいつも私の前を走っていたんだ。
今では肩を並べて同じ速度で走られる様になったけど。それでも彼女は私の前を疾走し続けている。
お父さんはリューを一族の長に足る人物に育てようとしていた。幼い私はそういった事に一切の興味は無かったし、別に比べられても構わないと考えていた。
リューはリューだし、私は私。そんな感じだ。
でも今になってちょっと後悔しちゃってる自分もいるのも確かかな。
もっとお父さんの指導をしっかりと受けていれば今になって慌てる事も無かったんじゃないのかな――って。
痛みを伴う激しい訓練に頭がズキスキと痛くなる精神の鍛練。
日々続いている苦しい訓練も基礎が出来ていれば辛苦も軽減されただろうし。
でも皆には言えないけど本音はね??
皆の前でリューと比べられるのがちょっとだけ辛い、のかな。それは仕方ないと半分諦めてるけどさ。
彼女の後ろ姿を見つめながら大人になると成人の儀式で里を出て……。レイド達と出会った。
マイちゃん達と話していると凄く楽しい。一緒に行動していると次から次へと陽性な感情が生まれて来るんだ。
勿論、嫌な感情も沸くよ??
ほら、馬鹿にされたり。御飯を横取りされた時とかさ。
それでも私はこれからずっと、肉体が滅ぶその時まで皆と一緒に居たいと考えているんだ。
私の切なる願いを叶える為に今はこうして辛い思いをしているんだけども状況は好転しない。
毎日辛い事の繰り返しだもん。
はぁ……。昔みたいに何も考えないで森の中を疾走していたいよ。
リューの小さな背中を追いかけながらそんな事を考えていた。
――――。
あっれっ?? 何で精神の世界で夢を見ているんだろう??
きっと、精神の鍛練を行っていたのが夢だったんだね!!
そうじゃなきゃ説明が付かないもん。
等と自分に言い聞かせ、あの小さな背中に向かって頑張って追いつこうと考えていると。
「起きろ!! 馬鹿者が!!」
「びゃっ!?」
もう何度も耳に入り、いい加減聞き飽きてしまっているリューの怖い声で目を醒ましてしまった。
「は、はれ?? 小っちゃいリューは??」
シパシパと何度も目を閉じては開いてもあの美しい雪原は現れず、その代わりに仁王立ちで私を見下ろす大人になったリューだけが変わらずそこにいた。
「はぁ?? 貴様、夢でも見ていたのか??」
痛々しい傷が目立つ顔でリューが私をジロリと睨む。
「うん。ほら、海沿いの雪原をさ。二人でよく一緒にかけっこしていたでしょ??」
「あぁ。随分と昔の話だな」
「そうそう!! 偶に里の皆と仲良く走っていたりもしたねぇ……」
いやぁ、ほんと懐かしいや。
「で??」
うん?? どうかしたのかな。
「目が醒めたのなら構えろ。向こうは待ってくれないぞ」
リューの視線を追い、冷たい雪が敷き詰められている森の奥へと顔を向けると。
「おはよ――!! ルー、起きた??」
私の顔を見つけてくれたあの人が満面の笑みを浮かべながら手を振ってくれた。
「うん!! 今度は失神しない程度で殴って下さいっ!!」
踏み心地の良い雪の上に足の裏を付けて元気良く挙手して答える。
「お――。流石、鍛えているだけあるね。私の攻撃を受けて立つなんて」
「皆と行動していれば嫌でも鍛えられちゃうからねぇ……。そうでしょ?? リュー」
私の右隣りに立つ彼女の肩をポンっと叩く。
「あぁ、そうだな。だが今は悠長な会話をしている場合では無いぞ」
「分かってるよ。今日こそはやっつけてやるんだからね!!」
さっきはあの人に見えない攻撃を食らって倒れちゃった。
だから昔懐かしい夢を見ちゃったんだ。今度こそは当てられない様に気を付けないと!!
「あはは!! 出来るかなぁ――??」
長い灰色の髪を揺らして柔和な笑みを浮かべる優しそうな大人の女性。
でも、あれは嘘の姿だ!! 人の皮を被った狼さんだもん!!
でもそうやって比喩すると、私もそれに当て嵌まっちゃうからぁ。可愛い人の姿をした化け物かな??
それなら、うん。しっくりくるね!!
「体の耐久力、胆力に問題は無い。我々の攻撃に耐え続けているのが何よりの証拠だ」
可愛い女性の隣。
むっとした表情で男版リューの男性が口を開く。
「だが、それだけではあの黒犬の滅魔には勝てぬ」
「奴らに勝つ為に我々はあなた達と対峙しているのです」
リューがしっかりとした口調で自分に似ている男の人に向かって返事をする。
「その為には血を覚醒させて奴らに負けぬ力を身に付けなければならないのです」
「あ――、成程。リューヴはそういう風に捉えちゃったのか」
長い銀髪の女性がヤレヤレといった感じで話す。
「違うとでも言うのですか??」
そしてそれをリューがむぅっとした感じで答えた。
間違えちゃったんだから怒っちゃ駄目だよ??
「違うね――。私達はあなた達に……」
「おい。それ以上口を開くな」
男版リューがあの人の言葉を切る。
「あっ、も――。別に良いじゃん。助言くらい」
そうそう!!
ずっと殴られ続けるのもいい加減飽きちゃったし、少し位なら助言を頂いても罰は当たらないってね!!
「ならん。それは奴ら自身が気付かねばならぬのだ」
「でたよ、いつもの顰めっ面。昔からいっつもそう。自分がいつも正しいんだ――って顔でさぁ。私の言う事も聞かないでドンドン前に行っちゃって。あれはいつだっけなぁ。ほら、私の言葉を無視して他人様の縄張りに入って行って死にかけた時あったじゃん??」
「忘れた!!!!」
あっ、嘘だ。
プイっと視線を反らして大声を張る姿はリューの癖に良く似ているねぇ。
「はい、嘘確定――。嘘を付く時直ぐ視線反らすもんね」
「五月蠅いぞ。この話は後でケリをつける。今は……」
わっ、わっ、わぁっ!!
来る!!
男版リューが深く腰を落とし、獰猛な獣が獲物に襲い掛かる姿勢を取ると此方に鋭い視線を向けた。
「こいつらにいい加減気付かせてやらねばならぬからな!!」
「「っ!?!?」」
男版リューの足元の雪が吹き飛ぶと同時に彼の姿が視界から消失した。
ほ、本当に速いんだから!!
お父さんよりもずっと速いから厄介なの!!
危機から逃れようとする怖がりな体を必死に宥めてその場に留まらせると姿の消えた人を追う為に耳を澄ませた。
「……」
見えない敵から与えられる圧によって上昇した私の拍動の音、強力な魔力によって起こる木々の騒めき、そしてリューの微かな呼吸音。
幾つもの環境音が聞こえるがその中に微かな違和感を覚える音を捉えた。
空を舞う鷹が大地の獲物に向かって急降下する甲高い飛翔音。この空気を切り裂く音の主は一人しかいないよね!!
右上方から降り注いで来る音を捉えると同時、物凄い力の塊が降って来た!!
「こっち!!」
耳の良さに感謝しつつ彼の初撃を見事に躱し。彼の蹴りによって弾け飛んだ雪を隠れ蓑にして己の姿を隠す。
もう何度も食らった攻撃だからね!!
これ位見切るのは朝食前だよ。あれ?? 朝飯前だっけ??
この際どっちでもいいや。
「見切ったぞ!!」
私同様、彼の攻撃をリューが巧みに躱す。彼女の思考を汲み取るならここは当然……。
「はぁっ!!」
「ほぅ!! 恐れる処か向かって来るとはな!!」
リューが弾け飛んだ雪の雨の中を突っ切り、黒き稲妻を纏った拳を彼に放つ。
「そうすると思ったよ!!」
リューへ向けて視界を切ってしまった彼の背中目掛け、私は白き稲妻を纏わせた左足で攻撃を加えた。
挟み撃ちだ!! これなら逃げ道は無いよ!?
「ふむっ、連携については及第点だ。だが……」
後ろ、貰ったよ!!
着弾までもう僅か。
左足に纏った稲妻によって雪が蒸発して白い蒸気となって上空へ舞い上がる中、私は勝利を確信した。
「こっちの存在を忘れちゃ駄目だよ??」
「えぇ!? がはっ!?」
もう一人の女性が彼の頭上から突如として現れると私は予想だにしなかった攻撃を食らい、後方の大きな木の幹へと叩きつけられてしまった。
う、嘘……。全く見えなかったし、全然気付かなかった……。
魔力云々とかじゃなくて気配そのものすら感じなかったよ。
「ゲホっ。けほ……。うえぇぇ……」
痛い……。本当に痛いよ……。
腹部に突き刺さった雷撃の重さにより口の中に鉄の味と酸っぱい胃液が込み上げて来る。
どうして、こんな痛みを味あわなきゃいけないんだろう……。
皆だって苦しい思いのをしているのは知っているよ?? でも、やっぱり私には不似合いじゃないのかな。
口の中に不快感を多大に与える液体を雪の上に吐き出すとそこだけが真っ赤に染まる。
それが痛さと辛さを更に増幅させてしまいこのまま眠ってしまおうかと甘い考えが沸々と湧いて来る。
この人達は強過ぎて全く歯が立たない。もう眠っちゃおうかな……。でもそれだとリュー一人で戦う破目になっちゃうし。
下がろうとする重い瞼に必死に抗い、ふと顔を上げると血の気が一斉に引く光景が目に飛び込んで来た。
「うぐっ……。ぐぁぁ……」
一人の戦士がリューの首を掴み天へと掲げ、右手に纏った赤き稲妻を今にも無防備な腹部へと突き刺そうとしていた。
「もういい。貴様は一人で良くやった。俺が苦しみから解放してやる」
「け、決して屈せぬ。わ、私は……。主を……」
ど、どうしよう!? リュ、リューが殺されちゃう!!
何とかしなきゃ……。
頭の命令を聞かない体に鞭を打ち、まるで鉛の様に重い体を動かそうとするが。
「駄目だよ。ルーはあそこでリューヴが殺される所を見ていなさい」
あの優しい瞳を浮かべていた女性が恐ろしい目付きと顔付きで私の体を軽々と蹴り上げ。
「ぅげっ!!」
「ほぉら。もう直ぐあのお腹から真っ赤な血が流れ落ちて、純白の雪を赤く染めるのよ。それはもう美しい色に染まるの。ふふふ。素晴らしいと思わない??」
まるで虫けらを踏みつける様に、無残に横たわる私の体を左足で踏みつけてしまった。
い、嫌だ……。
リューが居なくなっちゃうのは。
「ね――。早く殺しなさいよ。この子達、やっぱり見込み違いだったみたいだし」
「そうだな。弱者を虐げるのは俺の趣味では無い」
だ、誰か。お願い。誰かリューを助けて……。
冷たい雪を握り締めて心の底から助けを請うがこの世界には私とリューしか居ない。
そう、誰も私達を助けに来てくれないんだった。
マイちゃん達は居ない。強いイスハさん達も居ない。
私はたった一人であの強敵に立ち向かわなきゃいけないんだよね……。
他の誰かじゃなくて、『私』 が助けなきゃいけない。
リューの背中をずっと追い続けていた。怖い事があれば直ぐリューの背中に隠れてしまった。お父さんの辛く苦しい指導をリューに任せてしまった。
本当に我ながら情けない幼少期だよね。
だけど……。今は情けない幼い頃の私とは違う。皆と一緒に成長した私は神雷にも劣らない力を持っているでしょ??
例えあの人達に勝てなくて私が居なくなってもリューが皆を守ってくれる。だから安心してこの命を差し出しても構わない。
怖い戦いから目を背けるのはもう止めだ……。優しい心は捨てろ……。受け継がれし雷狼の血を滾らせろ……。
温かくて優しい心を閉ざすと冷たく非情な心を開けて体の奥から湧いて来る激情に身を委ねた。
私は弱くない!! 雷狼の血を引く一人の気高き戦士なんだ!!!!
絶対……。絶対にぃぃいい!! 私がリューを守ってやるんだから――――ッ!!!!
「わ、私が…………」
心臓が五月蠅く鳴り続け胸の中から今にも飛び出して来そうだ。
「なぁに?? 蛆虫ちゃん」
「私が……。リューを守るんだ」
血が、肉が、燃え滾り今にも凍える木々に火を灯してしまいそうな程熱くなる。
私の胸の中にもこんな熱く、滾る戦士の心が宿っていたんだね。知らなかったよ。
「出来ないよ――。安心しなさい。ルーも直ぐにリューと同じ所に送ってあげるから」
「さらばだ、リューヴ」
男の人が意を決してリューの腹へと拳を突き出す。
その姿を捉えた刹那。
「ッ!!」
周囲の風景が消し飛び、あの男と今も私を踏みつける女だけが目の前に浮かんだ。
そうだ……。この人達は敵だ。私達を傷付けようとする悪い奴等だ。
倒すべき真なる敵を捉えると体中の血が一気に沸騰した。
「や、や……。止めろ―――――――――ッ!!!!!!」
「「っ!?!?」」
体の中から沸き起こる膨大な魔力が爆ぜ、天と地へ白き稲妻が迸り周囲の空気を焦がす。
「許さない……。リューを傷付ける人は絶対に許さないんだから!!!!」
荒れ狂う海のうねり、強風が吹き荒れる嵐の夜でも私の稲妻は止められない!!
大切な人を守る力が私には宿っているんだ!!
周囲一帯の積雪を瞬時に融解させた白き雷光。
剥き出しの土に今も流れている白き稲妻を全て吸収し、大空に浮かぶ雷雲にも負けない巨大な白雷を身に纏い。私は一筋の雷閃となってリューの下へと駆け出した。
最後まで御覧頂き有難う御座いました。
連日続けて野球観戦をしていたのですが、本日は中継が無い為。何だか寂しい感じがしましたね。
それを埋める為に遊星からの物体Xを鑑賞して執筆をしておりました。
相も変わらず素敵な造形美術にウットリしてしまいましたよ。
まだ鑑賞になられていない方がいらっしゃれば一度御覧下さい。ですが……。少々激しい表現がありますのでそっち方面が苦手な御方は御遠慮下さいね。
それでは皆様、お休みなさいませ。